Earth, Wind & Fire(アース・ウィンド・アンド・ファイアー)の徹底解説まとめ

アース・ウインド&ファイアーとは、創設者のモーリス・ホワイトによって1969年にシカゴで結成された黒人R&B、ファンク、ディスコ、アフロポップグループである。「シャイニング・スター」「宇宙のファンタジー」「セプテンバー」「ブギー・ワンダーランド」「レッツ・グルーヴ」などヒット曲多数。2016年にモーリス・ホワイトは他界したが、フィリップ・ベイリーが継承し、50年以上経った今も活動するウルトラバンドである。グラミー賞6度受賞、全世界で約9千万枚のセールスを記録している。

モーリス・ホワイトは90年代のはじめにパーキンソン病と診断されており、1994年にバンドとともにツアーをすることを止め、それ以降は実質フィリップ・ベイリーがバンドを牽引していく。残念ながら2016年にモーリス・ホワイトは亡くなるが、モーリスの弟、ヴァーダイン・ホワイトはバンドに残っており、リーダーのフィリップ・ベイリー、更には息子のフィリップ・ベイリーjrもメンバーに加わっており、アースの遺伝子は確実に受け継がれている。アースは50年にも及ぶキャリアの中で、常にこのモーリスイズムを継承しながら、時代の流行りも取り入れ今日にいたる。アースはまさにブラックミュージックの歴史そのものである。アースの全盛期は70年代と言われるが、見方をかえればそれはブラック音楽シーンそのものが、今よりも昔の方が熱かったことを物語る。アースはまさにブラックミュージックを反映する鏡である。

Earth, Wind & Fire(アース・ウィンド・アンド・ファイアー)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

アース・ウインド&ファイアー「セプテンバー」の日

2019年9月1日、日本記念日協会は、アース・ウインド&ファイアーの結成50周年を記念して9月21日を「アース・ウインド&ファイアー“September”の日」と正式認定した。
9月21日が記念日となったのは、「September」の冒頭の一節「Do You Remember, the 21st night of September/Love was changing the minds of pretenders(9月21日の夜のことを覚えてるかい?/あの夜、僕らは本当の愛を知った)」と、ある男性が9月21日に一夜を過ごした女性のことを思い出すストーリーにちなんでいる。

「September 」誕生秘話

アースの数ある名曲の中でも、最も広く知れ渡っている曲が「September」である。実際、ラジオのオンエアでも未だにリクエストが絶えない、まさに世代を超えた名曲である。そんな「September」だが、キャッチーなメロディラインだけでなく、不思議なくらい気持ちが「アガる曲」だとメンバー全員が口を揃えている。
アースと言うバンドの凄いところは、総師モーリス・ホワイトが集めたメンバーがみんな曲が書けると言うことである。常に4.5人程のメンバーが曲作りに参加している。
「September」の作曲はモーリス自身とギターのアルマッケイ、そしてそこに新人の女性が参加している。彼女こそがこの曲に「アガる力」を与えた。彼女の名は「アリー・ウィリス」。当時、モーリスが彼女に曲作りを依頼した時、ロサンゼルスの本屋を紹介し、「私と同じレベルに達するために本を読め」と命じ、占星術からエジプト、神話の本等を紹介し、そして「これだけは絶対読め」と薦めたのが、『Greatest Salesman in the world』と言うビジネス本で、売れるという事は何かということを勉強させた。結果、彼女の参加により「September」の楽しい雰囲気が出来上がった。
そしてもう一つのアゲアゲの代表曲「Boogie Wonderland」にも彼女は作曲として加わることになる。その後彼女は作曲家、プロデューサー等、マルチタレントとなり、1987年、全英、全米で2位を記録したペットショップボーイズの「What Have I Done to Deserve This?"」を作曲したり、映画『ビバリーヒルズコップ』や『カラーパープル』ではグラミー賞を獲得。また日本でもヒットした海外ドラマ「フレンズ」のテーマ曲「I'll Be There for You」を作曲しエミー賞にノミネートされた。残念ながら彼女は2018年に亡くなるが、生涯に携わったアルバムの売り上げは6000万枚にも及んだ。

「After the Love has gone」誕生秘話

アースが今までライブで最も演奏してきた曲は「After the Love has gone」である。
数々の名曲を作曲してきたモーリス・ホワイトだが、この曲は実はモーリスの手が加わってない。
当時、まだ若かったデイヴィッド・フォスターがモータウンの新人をプロデュースしている時に、いいコード進行のアイデアが浮かんだ。デイヴィッドはそれを友人のジェイ・グレイドンの家に持ち込み、彼の家でメロディーを完成させる。ちょうどその頃、ビル・チャンプリンが曲を欲しがってたので、「この曲は彼にあげて歌詞を書いてもらおう」ということになり、ビル・チャンプリンが歌詞を付けて遂に曲は完成した。
ちょうどその頃モーリスと仕事をしていたデイヴィッドは「いい曲が出来た」と言って聞かせてしまった。そうしたところ、モーリスが気に入ってしまい「是非我々にやらせてくれ」と言う事になった。
一旦はビル・チャンプリンにあげてしまったものの、日の出の勢いだったアースの要望に断ることが出来ず、困ったデイヴィッドはジェイ・グレイドンに電話して、ビル・チャンプリンに断りの電話を入れてもった。ビルは大人の対応で承諾してくれたが、結果これがアースを代表する名曲となった。
後日談がある。
その後、ビル・チャンプリンはシカゴのヴォーカリストとして新加入することになるが、当時のシカゴはヒット作もなく瀕死の状態だった。ビルは「若い凄いプロデューサーで、デイヴィッド・フォスターと言う男を知ってるから紹介するよ」と言い、紹介されたデイヴィッドはシカゴをプロデュース、1982年「Hard to say i’m sorry (素直になれなくて)」を作曲し、全米No.1を獲得、シカゴは見事に復活するのである。

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