累(かさね)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『累(かさね)』は、松浦だるまによるサスペンスホラー漫画。今は亡き美人女優「淵透世(ふち すけよ)」の実の娘である累。彼女の顔は、名声を得た母親からは似ても似つかぬほど醜かった。しかし母譲りの天性の演技力を持つ主人公は、「口づけをした相手と顔と声を入れ替えることができる」口紅の力を使い、淵透世の再来と呼ばれるほど美人女優として活躍していく。恐ろしいまでの「美」への執着、渇望。「美」を手に入れた際に放つ圧倒的な輝き。一人の女性が「美」に取り憑かれていく様が描かれている。

口紅による顔の永久交換。口紅に更に両者の血液を塗ってくちづけすることが必要。永久交換すると顔だけでなく全身が入れ替わる。

『累(かさね)』の名言・名セリフ/名シーン・名場面

累「一度でいいから私もいってみたい ここから抜け出して けど…わたしの声を聞いてくれるのはお月様だけ」

いじめの一環で学芸会のシンデレラ役に推薦された累。密かに母のような女優になることに憧れていた累は、晒しものになることを役を引き受ける。河原でひとり練習に明け暮れた累はついに本番の舞台へと立つ。
裂けるような唇に口紅を塗った累にざわつく観客席。それでも累は「ここはママがいた世界。ママが見ている。私は今私ではない」と自分に言い聞かせた。やがて台詞を読み上げる累。
「一度でいいから私も行ってみたい。ここから抜け出して。けど……私の声を聞いてくれるのはお月様だけ」。シンデレラとはほど遠い容姿だがいつしか観客達は累の演技に魅了されていた。

誘「捨てなさい!卑屈なあなた自身を!」

五十嵐 幾の顔でジョバンニ役を演じる累と背後に現れたのは母の誘

五十嵐 幾の顔でジョバンニ役を演じる累。しかし、友を慕い頼るジョバンニ役を通して自身の劣等感を突きつけられた累。演技がうわついて声もでない、そんなとき母の幻影が現れた。「かさねちゃん 醜いあなた自身の心は今の容姿には必要かしら?」と母の幻影に言われ「そうか、五十嵐 幾の中にはこんな劣等感や自己嫌悪なんか存在しない」と累は考える。

「捨てなさい!卑屈なあなた自身を!」

幾が感じているような自信で心を満たした累は素晴らしい演技を見せ始める。
「彼女が持っているのは……美しさに裏付けられた自身!!そうよ!あれだけ嫌だった自分自身を捨てられるのよ!」と累がさらに一皮むけた瞬間だった。

累「生きる最後のその瞬間まで光の中で美しくありたい!!!」

丹沢ニナの死亡により再び醜い顔に戻った累。直前まで輝かしい舞台の上でニナとして羨望の眼差しを受けていた累は、自身の本来の醜さに戻ることは耐えられなかった。己の醜さが死ぬまで纏わりつくことに絶望する。「生きる最後のその瞬間まで光の中で美しくありたい!!!」と地面に這いつくばり叫ぶ累。「私は本物の私に成るために、生きるために、美しさが必要なのよ」。「美」への執念が再び累を突き動かす。

誘「私はこの舞台に出たいよ……釿互。……これは私が舞うべき物語だ」

羽生田が書いた台本『暁の姫』は朱磐の伝説がモチーフとなっており、美しい巫女と醜い鬼女が対をなしてもつれ合う。まるで誘と透世の運命のらせんがそのまま描かれていた。「忌むべき過去を思い起こさせる舞台などこの人が許すはず無い」。羽生田はそう思っていたが、生前の誘はこの台本を見て「私はこの舞台に出たいよ……釿互。……これは私が舞うべき物語だ」と涙を流して言った。そして誘は「醜い鬼女」側を演じようとしていた真意を羽生田が知るのはこのずっと先の話になる。

『累(かさね)』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

「累」は江戸時代の怪談がモチーフ

単行本第3巻の巻末で作者により、この物語は江戸時代の「累ヶ淵」という怪談がモチーフになっていることが明かされている。
累ヶ淵は茨城県に実在する地名で、この地を舞台とした累(るい、かさね)という女性の怨霊にまつわる物語は広く流布し、これに触発された作品が多く制作された。
「累」という名の醜い顔をした女性が、因果の中で「与右衛門」という名の夫に殺害され、怨霊となる筋立てが共通する。まさに漫画「累」のモチーフになった怪談といえる。

物語内に出てくる実在する劇場

様々な劇場が本作内には登場するが、どれも「本多劇場」「神奈川芸術劇場」など実在する有名な劇場がモデルとなっている。

現実でも有名な実在する戯曲

『かもめ』『サロメ』『マクベス』などは実在する有名な戯曲。
しかし物語の最後に累が演じる『暁の姫』は完全なオリジナルとなる。

『累(かさね)』の主題歌・挿入歌

主題歌:Aimer「Black Bird」

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