Billy Joel(ビリー・ジョエル)の徹底解説まとめ

Billy Joel(ビリー・ジョエル)とはピアノマンの異名を持つアメリカを代表するシンガーソングライターである。1949年5月9日生まれ、ニューヨーク、ブロンクス出身。1971年、アルバム『コールド・スプリング・ハーバー~ピアノの詩人』でソロデビュー。以降、12枚のオリジナルアルバムと1枚のクラッシックアルバムを発表している。「ピアノ・マン」「ストレンジャー」「素顔のままで」「オネスティ」など、代表曲多数。1990年代以降はライブを中心とした活動を行なっている。

Billy Joel(ビリー・ジョエル)の概要

Billy Joel(ビリー・ジョエル)とは1949年5月9日ニューヨーク、ブロンクスで生まれたアメリカを代表するミュージシャンである。4歳からピアノを始め10代から地元ニューヨークで「ザ・ハッスルズ」「アッティラ」等のバンドに参加する。1971年にソロアルバムデビューをするが、その後LAに移り、バーのピアノ弾きとして2年程過ごす。1973年のセカンドアルバム『ピアノマン』からタイトルソングがヒット、全米25位となる。1977年のアルバム『ストレンジャー』からは「素顔のままで」が全米3位を記録、一気にスターダムにのし上がる。続く1978年のアルバム『ニューヨーク52番街』で全米アルバムチャート1位を獲得。このアルバムからは「オネスティー」が日本を中心に大ヒットした。1980年のアルバム『グラスハウス』からのシングル「ロックンロールが最高さ」は初の全米No.1シングルとなる。1983年の『イノセントマン』からは全米No.1シングルを含む6曲がヒット、以降ヒットメーカーとして全米チャートの常連となる。1993年の事実上のラストアルバム『リバー・オブ・ドリームス』まで12枚のアルバムと、ビリーが作曲しリチャード・ヒョンキ・ジューが演奏したクラシックアルバム1枚を発表、3曲のNo.1ヒットと33曲のトップ40ヒットを生み出し、23のグラミー賞にノミネートされ5つの賞を受賞した。「ピアノマン」の称号を持つ、まさにアメリカを代表するミュージシャンである。

Billy Joel(ビリー・ジョエル)の活動経歴

生い立ち~デビューまで

1949年5月9日にニューヨーク市ブロンクスで生まれ。4歳でピアノを始める。
1964年頃から、ロングアイランド出身のアイドルポップグループ「シャングリラズ」のバックでピアノを弾くなど僅か15歳で既に注目を集めていた。1967年にはニューヨークで人気を集めていた「ザ・ハッスルズ」のメンバーに加入。デビューシングルの「You Got Me Hummin'」はニューヨークでの局地ヒットとなり、全米チャートでも112位まで上った。1970年にはザ・ハッスルズのドラマーのジョン・スモールと「アッティラ」と言うDUOを結成し1枚のアルバムを出すが、結局初期の2つのバンド活動は短命に終わる。

1970年代〜

デビュー〜『ピアノマン』のヒットを経て

1971年、ビリーは、古くからNY音楽界の顔役だった人物である「アーティ・リップ」の「ファミリー・プロダクション」と契約し、初のソロアルバム『Cold Spring Harbor』をリリース、デビューを果たす。リップはビリーを売り出す為に45万ドルを費やしたと述べているが、しかしこの記念すべき初ソロアルバムは勝手にピッチを変えられて、ビリーの声も半音高く録音された状態でリリースされ、商業的にも失敗。ビリーは大きく失望する。また、リップとの契約自体が圧倒的にビリーに不利なもので、失意の彼はNYからLAに移り「ビル・マーティン」という名でラウンジ・バーのピアノ弾きとして2年近くを過ごすことになった。この頃、マネージャーだったのが、その後妻になるエリザベス・ウェーバーだった。
1972年、フィラデルフィアのラジオ局WMMR-FMは、東海岸で地下ヒットしていたビリーの「キャプテン・ジャック」のライブ公演をオンエアー、これを聞いたコロンビア・レコードのエグゼクティブ、ハーブ・ゴードンが、重役のクライヴ・デイブスに紹介、彼はすぐさまLAに飛び契約を交わす。ファミリープロダクションとの契約は条件付きで解消され、
1973年、ビリー2枚目のアルバム『Piano Man』は無事コロンビアよりリリースされた。シングルとなった「Piano Man」は全米トップ25位のヒットとなり、1975年11月にはアルバムもゴールドディスクを獲得するヒットとなった。続く1974年の3枚目のアルバム『Streetlife Serenade』からは「The Entertainer」が全米34位のヒットとなり、アルバムも再びゴールドディスクに認定される。1976年には4thアルバム『Turnstiles / ニューヨーク物語』を発表。最終的にはセルフプロデュースとなったこのアルバムからは、「Say Goodbye To Hollywood / さよならハリウッド」「New York State Of Mind / ニューヨークの想い」など中期の名曲を収録するも、商業的には不振に終わる。

2大アルバム『ストレンジャー』と『ニューヨーク52番街』の成功

しかし1977年の5thアルバム『The Stranger / ストレンジャー』でビリーは一躍スターダムにのしあがる。アルバムは全米2位を獲得。1000万枚以上を売り上げダイヤモンドディスクに認定される。シングルカットされた「Just the way you are / 素顔のままで」はビリー初の全米3位となり、翌年のグラミー賞では最優秀賞楽曲賞と最優秀賞レコード賞を受賞、ビリーにとってこれ以上ないヒットとなった。
『ストレンジャー』のヒットにより、次作へのプレッシャーはビリーに重くのしかかったが、翌1978年に発売された『52nd Street / ニューヨーク52番街』は前作を凌ぐ作品となり、遂にビルボード全米アルバムチャート1位を獲得、同年のビルボードの年間チャートでも1位を獲得するなど、ビリーの人気を不動のものにした。アルバムはグラミー賞最優秀賞アルバム賞と最優秀賞ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞の2部門を受賞する。この成功によりビリーは初来日を果たし、翌1979年には武道館にて2日間のライブを行う。

1980年代〜

『グラスハウス』~ロックンロール路線へ

1980年に7枚目のスタジオ・アルバム『Glass Houses / グラス・ハウス』をリリース。それまでのピアノを基調とした都会的な作風から一転して、ロックアーティストへの脱却を試みたこのアルバムからは5曲がシングルカット。「It’s still rock roll to me / ロックンロールが最高さ」はビリーにとって初の全米No.1ヒットシングルとなった。グラミー賞では最優秀ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した。1981年には、初のライブアルバム『Songs In The Attic / ソングズ・イン・ジ・アティック』を発表。初期の埋もれていた作品をライブテイクとして集めたこのアルバムは、アメリカと日本でトップ10ヒットとなった。1982年リリースの『The Nylon Curtain / ナイロンカーテン』は、当時のアメリカが抱えていた社会問題をテーマにした作品となったが、まだ開局して間もなかった「MTV」と上手くマッチして「Allentown / アレンタウン」「Pressure / プレッシャー」などがヒットした。

『イノセントマン』~ビルボードチャートとMTVの常連に

1983年にリリースされた『An Innocent Man / イノセント・マン』はまさにMTV時代の一つの頂点となるアルバムとなった。ビリーが1950年代に育ったブルース、ドゥーワップなどの音楽へのオマージュとして制作され、収録曲の半分以上の6曲がシングルとなり、その全てが全米40位に入った。アルバムからの第一弾シングル「Tell her about it / あの娘にアタック」はビリーにとって2曲目の全米1位を獲得、続くシングル「Uptown Girl / アップタウンガール」は全米3位、全英では初のNo. 1に輝き、全世界で800万枚のセールスを記録した。1985年には2枚組となる彼の初のベスト『Billy Joel Greatest Hits Volume1 & Volume2 / ビリー・ザ・ベスト』を発表。アメリカにおける歴代4位となる2,300万枚を売り上げた。ビリーはこの年、USA for Africa の「We Are the World」のプロジェクトにも参加した。1986年、アルバム『The Bridge / ザ ・ブリッジ』を発表。レイ・チャールズとのデュエットやシンディ・ローパー、スティーヴ・ウィンウッドとの共演が話題を呼んだ。
1987年には冷戦下のソ連で大規模ツアーを行う。これはロックの歴史的にも政治的にも画期的な出来事だった。ゴルバチョフ大統領就任と共にロックの規制も緩和されたソ連で、ビリーは最初にツアーを行ったアーティストの1人として、モスクワやレニングラードなど計6回の公演を行い、15万人を動員した。この公演の模様は、後にビデオ化、アルバム化された。1988年11月に公開されたディズニーのアニメーション映画『オリバー・ニューヨーク子猫ものがたり』でビリーは声優として出演し、ドジャー役を演じた。またこの映画のサントラに提供した楽曲「Why Should I Worry?」を最後に、『ストレンジャー』以来10年以上を共にしたプロデューサーのフィル・ラモーンと袂を分かつ。1989年のアルバム『Storm Front / ストーム・フロント』ではフィル・ラモーンの代わりにフォリナーのミック・ジョーンズをプロデューサーに起用、シングル「We Didn't Start The Fire / ハートにファイア」はビリーにとって3曲目のビルボードNo.1に輝き、年間チャートでもトップ10に入るヒットになった。アルバムも彼にとって『グラス・ハウス』以来となる首位を獲得した。

1990年代〜

ラストアルバム~ライブ活動へのシフト

1993年、ビリー12枚目でありラストアルバムとなる『River Of Dreams / リヴァー・オブ・ドリームス』を発表。ダニー・コーチマーがプロデュースを務め、前作に続く全米1位を記録。シングル・カットされたタイトル・ソングも英米共にトップ3ヒットに輝いた。このアルバムを発表後、ビリーは現役引退を示唆する。アルバムの発表からは遠ざかったもののツアー活動は継続し、特にマディソンスクエアガーデンでのコンサートは定期的に継続している。1994年には長年の願いであったエルトン・ジョンとの合同ツアー「Face to Face」を実現し、以降2010年3月まで16年に渡り幾度も行われることになる。ポピュラー音楽の新作は発表されないものの、2001年にはクラシック音楽のアルバムを発表する。ビリーが作曲し、韓国系イギリス人ピアニスト、リチャード・ヒョンキ・ジューが演奏したクラシックアルバム『Fantasies & Delusions』はビルボードクラシックチャートで18週連続1位を記録した。
その後のビリーは度重なる交通事故や鬱病の再発による入退院、再婚など多くの私生活での問題を抱えながらも、マディソンスクエアガーデンでのライブは積極的に行い、1999年の大晦日には年越しミレニアム・ライブを開催。2006年には、マディソン・スクエア・ガーデンでの12公演を連続ソールドアウトさせると言う新記録を打ち立てた。
2007年、クラシック作品を除けば14年ぶりとなるオリジナル曲「All My Life」をリリース、3月17日付のビルボード・シングルセールスチャートで初登場1位を記録した。またこの年、アメリカンフットボールの 「第41回スーパーボウル」で国家を斉唱した。12月1日には、ビリーは新曲「ファルージャのクリスマス」を発表した。これはイラクに駐留している兵士達に送られたが、ビリーでは無く無名の若手シンガー、キャス・デュロンに歌わせて、間接的に反戦を訴えた。2008年7月16日と2008年7月18日、ビリーは解体が決まったニューヨークの野球場シェイ・スタジアムで最後のコンサートを行った。シェイ・スタジアムで最初にコンサートをしたビートルズのメンバーであるポール・マッカートニー他多数のゲスト参加した。
2011年にはデビュー40周年を迎えた。2012年12月12日に「12・12・12チャリティコンサート」をマディソン・スクエアガーデンで開催。2013年、ビリーは芸術を通じてアメリカ文化に影響を与えたとしてケネディ・センター・文化賞を受賞した。2014年1月27日からマディソン・スクエア・ガーデンで月に1回のコンサートを無期限に行うと発表。2015年、ビリーは毎月のマディソン・スクエア・ガーデン・コンサート以外に21回のコンサートを行った。2014年7月22日、米国議会図書館は、ポピュラー音楽界に多大な功績を残したミュージシャンに贈られるガーシュウィン賞を授与すると発表した。2015年、ニューヨーク州ロングアイランドのストーニーブルック大学から音楽の名誉博士号を授与される。同年7月4日、独立記念日のパーティー時に2009年から交際していたアレクシス・ロデリックと結婚。2015年8月4日、ナッソー・コロシアムで改装前の最後のコンサートを行った。2017年4月5日、新しく改修されたナッソー・コロシアムで初のコンサートを行った。
2019年、ビリーはボルチモア・オリオールズの本拠地カムデン・ヤードで初めてのコンサートを行った。2020年はCOVID-19、コロナパンデミックのため、ビリーはコンサートを無期限に延期せざるを得なかった。
以上、ビリーのキャリアは大まかに3つに分けられる。『ストレンジャー』『ニューヨーク52番街』を頂点とした、ピアノ詩人としてニューヨークの市井の人々の抒情を歌った70年代。MTVの隆盛により、全米ヒットチャートの常連となった80年代。アルバム制作から身を引き、地元ニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデンを本拠地としてコンサート活動を続ける90年代以降。
しかし彼は依然としてアメリカを代表するシンガーであり、地元ニューヨークを愛するミュージシャンである。彼の最初のヒット曲「ピアノマン」。これこそが彼の原点であり、「ピアノマン」はビリー・ジョエルだけに与えられた称号である。

Billy Joel(ビリー・ジョエル)のプロフィール・人物像

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