David Foster(デイヴィッド・フォスター)とは【徹底解説まとめ】

デイヴィッド・フォスター(David Walter Foster) は、1949年11月1日生まれの、カナダ出身のミュージシャン、作曲家、編曲家、レコードプロデューサー。70代よりキーボーディストとして活動をスタートし、78年にジェイグ・レイドンと共に「エアプレイ」を結成。その後数々のアーティストに楽曲を提供、作品をプロデュースし、「ヒットマン」の異名をとる。グラミー賞47回ノミネート、そのうち16回受賞。全世界で5億枚以上を売り上げた世界で最も成功したプロデューサーの一人である。

David Foster(デイヴィッド・フォスター)の代表曲

Till you take my love

1977年ハーヴィー・メイソンのソロ3作目『ファンク・イン・ア・メイソンジャー』からのシングル。フォスターが作曲アレンジ、プレイし、全米R&Bチャートで大ヒット。

Got to be real

シェリル・リンのデビュー作から、TOTOのデヴィッド・ペイチとの強力タッグにより作られた一曲。全米ビルボードR&Bチャート1位を獲得、総合チャートでも12位となるヒットを記録。

Nothing you can do about me

ジェイ・グレイドンと結成したユニット「エアプレイ」からの代表曲。

After the Love Has gone

アース・ウインド&ファイヤーの1979年発表のアルバム『黙示録(I Am)』からの一曲。元々はフォスターのユニット「エアプレイ」のアルバムに収録されたナンバーだが、アース・ウインド&ファイヤーの総師モーリス・ホワイトに気に入られ譲り渡す事に。結果この曲は全米2位のヒットとなり、フォスターにとっての初のグラミー賞、最優秀R&Bソングを受賞した。フォスターの名を一気に世に知らしめたナンバー。

Let’s go round again

「ピック・アップ・ザ・ピーセス」の全米ナンバーワンをヒットを持つイギリス出身の白人ファンクバンド「アヴェレージホワイトバンド」のフォスター作のディスコソング。アルバム『シャイン』からの一曲。

Hard to say I’m sorry( 素直になれなくて)

1969年より活動していたシカゴは、この時期どん底の状態にあったが、フォスタープロデュースのこの曲により見事復活。フォスターにとっても初の全米ナンバー1を獲得し、名実ともにプロデューサーの地位を確立した。

Mornin

David Foster(デイヴィッド・フォスター)はアル・ジャロウのアルバムに多数携わっているが、中でも代表といえるナンバー。ジェイ・グレイドン、アル・ジャロウ3人の共作である。TOTOのドラマー、ジェフ・ポーカロのドラムが軽快にシャッフルする。

Through the fire

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