ドラゴンへの道(ブルース・リー)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『ドラゴンへの道』とは、イタリア・ローマを舞台に、ギャングの悪行に立ち向かっていくカンフーの達人や中華料理店の従業員姿を描いたカンフー映画である。主演のブルース・リーが初監督を務めた海外ロケ作品であり、前二作『ドラゴン危機一発』『ドラゴン怒りの鉄拳』とは対照的にコミカルな演技が多々見られる。また、クライマックスでのブルース・リーとチャックノリスとのコロッセウムでの対決場面は、現在でも語り草となっており、多くの映画人にも影響を与えた。

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『燃えよデブゴン』広告

香港のアクション監督、俳優のサモ・ハン・キンポーは、後にブルース・リー及び本作へのオマージュを込めて監督、主演作『燃えよデブゴン』(原題『肥龍過江』、1978年)を発表した。

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『ダブルチーム』(1997年)でのジャン=クロード・ヴァン・ダムとミッキー・ロークとの対決シーン。

他にもクライマックスでのブルース・リーとチャック・ノリスとの対決は、ツイ・ハーク監督の『ダブルチーム』(1997年)でのジャン=クロード・ヴァン・ダムとミッキー・ロークとのバトル場面にも影響を与えている。

東宝東和と東映の配給権トラブル

『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』広告

本作の配給会社ゴールデン・ハーベストが日本への配給権を東宝東和(1974年公開当時:東和)と東映にそれぞれ売却した事で、公開前にトラブルが発生した。東宝東和では、ゴールデン・ハーベストの『片腕ドラゴン』(1972年)からはじまり、『ドラゴン危機一発』や『ドラゴン怒りの鉄拳』等の作品を国内で公開を行った実績がある。続けて『ドラゴンへの道』も東宝東和が配給権を取得し『ドラゴン電光石火』とタイトルで、雑誌の広告等で既に掲載していた。
一方、東映は千葉真一主演『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1972年)の海外ロケの際に香港に立ち寄り、ゴールデン・ハーベストと付き合いが生まれ、『ドラゴン怒りの鉄拳』の上映権を低価格で売り込まれていたとの事。結局、東映は千葉真一主演『激突! 殺人拳』(1974年)の制作もあってこれを断る。しかし再びゴールデン・ハーベストは、東映に今度は『ドラゴンへの道』の配給権を買わないかと催促し、購入する事になった。それに対し、既に興行権を獲得していた東宝東和が猛抗議する。結果的にゴールデン・ハーベストが、ブルース・リー主演『死亡遊戯』(1978年)の配給権を売る約束をした事で、東宝東和は『ドラゴンへの道』の配給権を手放す事となった。そして東映に配給権が渡ったなかで、公開に至った。

幻の作品『細鳳』との関係

企画物『細鳳』のワン・ショット。

ブルース・リーが生前、テレビの時代劇の企画物として考えていたが、結局実現する事はなかった。衣装の撮影ショットは、『ドラゴンへの道』の格闘場面の撮影場所にて行われた。

『ドラゴンへの道』の主題歌・挿入歌

主題曲:ジョセフ・クー『WAY OF THE DRAGON(エレキギターver.)』

本作品の音楽を担当したジョセフ・クーは、他にも『ドラゴン怒りの鉄拳』 (1971年)や『男たちの挽歌』 (1986年)等、数多くの香港映画の音楽を手掛け、「香港音楽界のゴッドファーザー」と呼ばれた。

主題歌:マイク・レメディオス『ドラゴンへの道』

本作主題歌を歌ったマイク・レメディオスは中国人歌手で、ノラ・ミャオや、ブルース・リーの実弟ロバート・リーとは、香港ラサール高校時代の同級生であるとの事。

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