スカイ・クロラ The Sky Crawlers(映画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』とは、『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』で有名な押井守監督による作品である。声優陣に加瀬亮や菊地凛子、竹中直人を迎える。完全な平和が成立している時代。戦争はショーとして存在している。ショーは空でのみ繰り広げられ、殺し合いを成立させているのは年を取らない子供たち「キルドレ」である。彼らは毎日同じ日々を過ごす。戦争を仕事としてこなしながら、死なない限り、毎日同じ日々がやってくる。何かを変えたくても変えられない人々の日常。

バイス

インシデントによく似た機体でH型の尾翼を持つ。インシデントよりは軽量級の機体だが機種に機銃5門を備えており、軽さを活かした対地攻撃も得意としている。

チューリップ

ラウテルン社の特徴は大きなパワーをもつエンジンによる攻撃力と機動力である。しかし、チューリップは軽量な液冷エンジンを一機搭載したライトウェイトな機体であり、運動性能に着眼しているラウテルン社としては珍しい戦闘機である。

クロアサン

ロストック社の填鷲(てんが)によく似た攻撃機で機体全体が翼に見える全翼である。左右の翼端にはボールターレットと呼ばれる上下左右回転できる旋回銃塔がある。

『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』の名言・名セリフ/名シーン・名場面

「気を付けて」「何に?」

ダイナーへ向かう函南優一、いつ間にか行くことが習慣になった

函南がダイナーで敵機に気づき、基地に報告して戻ろうとした際、店の女将に「気を付けて」と言われたのに対し、函南が「何に?」と返答した。確かに実生活でも、何に気を付けたらいいのか分からない。逆に、過剰に気を付けることで、行動が制限され動けなくなってしまうこともある。動かなければ死ぬことはないかもしれない。でも、それは生きているとは言えない。また、気を付けたところで死を含めた何かを防げるわけではなく、何かが起こるときは起こるのだ。

「でも、明日死ぬかもしれない人間が、大人になる必要なんてあるんですか?」

レーダー基地要員に怒って疲れた草薙に代わり、草薙の愛車を運転する函南

レーダー基地で函南がレーダー基地要員に言った台詞。レーダー基地要員は草薙水素の態度を見て大人げないと言った。それに対して函南はこのように応じた。大人になったら死ねるわけではないので、わざわざ大人になる必要もない。大人と子供の差は明確ではないが、生と死の差は明確なものである。生と死の差が大きいならば、大人になることよりも生を維持すること、つまり生き抜くことの方が重要である。生き抜くためには大人になろうとする時間なんてもったいない。それよりも、生命力豊かで、好奇心と興味を充実させている子供のままの方が、より生きていると言えると。この台詞の中には、大人になった人間たちに対する疑問が投げかけられている。

「君は生きろ。何かを変えられるまで」

互いの存在を確かめ合う草薙水素と函南優一

物語の終盤、死にたいと語る草薙水素に対して函南が言った台詞。現状は、現状にいる本人だからこそ変えられる。しかし、人は無意識に現状を維持しようとする生き物である。そのように行動してしまう原因と現実がある。インターネットを含めた情報が溢れすぎている現在、人は何かを実行しようとするとき、次の結果が見えてしまっている。正確には、同じようなことを実行した他人のネガティブな結果が、画面や音声として表現されている。そこには成功した例もしっかりとあるのに、自然とネガティブな結果ばかりに意識がいってしまう。そのため、「何をやっても変わらない」、「何をやっても同じ」という感情に支配されていく。生きていくだけなら、それでもいいはずで、それは幸せなことでもある。そのことが解っていても、同じ現状と同じ毎日に対して不安になり、そして、終わらせたくなる。でも、終わらせることも、逃げることも、変えることも、どれも恐怖のかたまりにみえる。だから現状を維持する。それでも現状は生きている実感に欠けている。だから、終わらせようとする。だが、終わらせてしまうことは最も意味のないことである。だからこそ、生きていかなければいけない。何かを変えられる何かが起こるまで、何かを起こすまで。
とにかく、この作品を作った人間たちが最も伝えたかった言葉である。

『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』の見どころ

一番多い意見は、「一度観ただけでは退屈なだけの映画」である。しかし、その意見の人間も、「あれは何だったんだろう?」と、一つ一つのエピソードを思い出してしまう映画である。それらエピソードに対しての解釈は一つではない。その解釈が一つではないことこそが、この映画の一番の見どころである。どうしても、自分の耳で聴いたセリフに対して理由や疑問を考えてしまう。
最後の函南の台詞。字幕では「ティーチャーを殺す」となっている。しかし、英語をしっかり聞くと「I kill my father.」と聞こえる。直訳すると「僕は、僕の父親を殺す」である。草薙水素の娘、草薙瑞季の父親は、本編序盤の台詞をつなぎ合わせていくと、ティーチャーであると予想できる。しかし、最後に函南がティーチャーのことを「父親」と言っているのである。もし、これがこのままの意味だとすると、函南はティーチャーの息子ということになる。
キルドレは永遠に子供のままである。しかも、空戦で死なない限り生き続ける。函南の前任者がジンロウであったように、誰かが死んでも、名前が違うほぼ同じ人間が出現する。このループをずっと繰り返しているため、それぞれのキャラクターの年齢はあてにならない。そのため、時系列で「誰に何があったか」ということを正確に知ることは不可能である。誰と誰がどのタイミングで出会い、何があったのか。それは今生きている本人なのか、前任者なのか。それぞれのキャラクターが、覚えているはずの出来事を覚えていなかったりと、観ている側にとってのパズルのピースは無数に散りばめられている。それらを、視聴者自身で色々と組み合わせて考察できるのが一番の魅力である。

『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

”こだわり”と思われる、劇中に登場するポルシェ912(草薙水素の愛車)と主役機体である散花(さんか)との共通点

草薙水素の愛車と同じ、空冷エンジンの水平対向4気筒のポルシェ912

草薙水素の愛車は小説では詳しい車種は明らかにされていないが、劇中に登場するのは空冷エンジンの水平対向4気筒のポルシェ912である。そして、類似のメカとして登場するのが函南や土岐野が駆るレシプロプロペラ機・散花である。双方の共通点は操縦者の後ろに空冷のエンジンがあること。制作側の意図にもみえるし、持ち主である草薙の趣味にもみえる。おそらく、司令官にされ、飛行機を操縦する機会が減ってしまった草薙の、実生活で少しでも操縦感覚を鈍らせないための選択であろう。小説で函南は、飛行機に乗っている時と同じぐらい気持ちがいいと評している。ポルシェ912は高性能型である911の廉価版として一般では位置付けられているが、水平対向6気筒の911より軽く、小回りが利く。函南が特異な操縦をしているように、散花も他に類を見ない圧倒的小回りが特徴である。ポルシェにそれを求めたかは定かではない。
小説のスカイクロラシリーズでは、ティーチャーがもともと函南や草薙の所属するロストック社という民間軍事会社の人間であったことが書かれている。ティーチャーはロストックを去り、ロストックにとっての戦争相手のラウテルン社に移る。その理由の一つとして、ロストックが、散花のような後ろにエンジンとプロペラがある、プッシャ式しか作らなくなったというのがある。ティーチャーの、機首に黒豹のマークがある機体はトラクタ式である。ティーチャーのテクニックはトラクタ式に特化しているらしい。

草薙水素(くさなぎすいと)と草薙素子(くさなぎもとこ)が似ているのは偶然

押井守監督の一番の代表作は「攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL」である。主人公の名前は「草薙素子(くさなぎもとこ)」である。「スカイ・クロラ」の主人公は「草薙水素(くさなぎすいと)」。素子(そし)と水素(すいそ)である。素子(もとこ)の由来は攻殻機動隊を観ると感じ取ることができる。インターネットの中、電子回路内で自分の分身である電子を自由に制御できる、まさに半導体素子の素子(そし)である。水素(すいと)の意味は、ある意見ではキルドレの最初のモデルというのがある。原子番号1番、誕生(製造)1番のキルドレ、水素という意味である。
多くの意見と推察があるが、この二つのキャラクターの名前が似ているのは偶然である。攻殻機動隊の上映時期は、スカイ・クロラの出版のずっと後であり、監督の押井氏もスカイ・クロラの小説は映像化の話が来る前までは、読んだことがないと発言しているからだ。

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