平家物語(アニメ)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『平家物語』は、鎌倉時代の軍記物語である『平家物語』を古川日出男が現代語訳した版を底本として、サイエンスSARUが制作した2022年1月から放送されたテレビアニメ。物語の語り部となる琵琶法師の「びわ」がアニメオリジナルキャラクターとして主人公に据えられている。未来が見える力を持つ琵琶法師の娘「びわ」が平家の屋敷で暮らすようになり、滅びゆく一族の栄華と衰退をその目で見つめていく。平家の人々と「びわ」の交流を軸に、時代に翻弄されながらも懸命に生きた人々の群像物語。

『平家物語』の概要

『平家物語』は、鎌倉時代の軍記物語である『平家物語』を古川日出男が現代語訳した版を底本として、サイエンスSARUが制作した2022年1月から放送されたテレビアニメ。作家の古川日出男が『平家物語』を現代語訳した『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09 平家物語』(河出書房新社)をベースとしており、物語の語り部となる琵琶法師の「びわ」がアニメオリジナルキャラクターとして主人公に据えられている。
未来が見える目を持つ幼いびわは、栄華を誇った平家の武士に父親を殺される。その時見た平家の滅亡を、偶然にも平清盛の息子である重盛に伝えることになる。びわに興味を持った重盛は、いく当てのない幼児を自身の屋敷に置いておくことにした。重盛の息子や、清盛の娘である徳子といった平家の人々と幸せを共有したびわ。しかし、避けられない一族の滅亡と大好きな人たちの死を前に、びわは何もできなかった。平家の人々とびわの交流を軸に、時代に翻弄されながらも懸命に生きる人々の群像劇が琵琶の音と共に描かれている。

『平家物語』のあらすじ・ストーリー

平家とびわの出会い

平家へ悪態をつく人間を捕まえる禿(かぶろ)が都にいた頃、幼いびわは父親と、都の人が連れていかれる現場に遭遇した。乱暴に家の女を連れ出そうとする平家の者たちに、びわは「ひどい」と思わず言ってしまう。その言葉を聞いた禿はびわに近寄り、父親がびわを庇って平家の武士に斬られた。死にゆく父に動揺するびわの右目には、滅びゆく平家の行く末が見えた。びわの右目は色が薄く、見るひとの未来が見えるのだ。

ある晩、平家の棟梁である平清盛(きよもり)の宴の席で、清盛の義弟時忠(ときただ)は「平家にあらざるは人にあらず」と言って場を盛り上げた。その中で浮かない顔の清盛の長男重盛(しげもり)に、清盛は厳島に社を築くことと福原に移り住むことを話した。京を離れて海に近い福原で、中国との貿易を行いより一層富を得ようという魂胆である。そして、清盛は棟梁の座を重盛に渡した。夜がふけ、屋敷の庭で重盛は琵琶の音を聞く。ボロ着を着たびわが「お前たちは、じき滅びる」と重盛に言うと、「私にも見える」と重盛は自身の左目には死者が見えることを話した。そして、平家の武士がびわの父親を殺したことを知り、膝をついて謝った。泣きじゃくるびわを、重盛は「我らのために近くにいてくれ」と屋敷に置くことにした。

びわは重盛の息子で同世代の維盛(これもり)、資盛(すけもり)、清経(きよつね)と一緒に暮らすことになった。季節は巡り、びわは維盛らと兄弟のように遊んで喧嘩をし、時々重盛に琵琶を聞かせながら穏やかな日々を送った。長男の維盛は思慮深く、物腰は柔らかいが怖がり。次男の資盛は、横柄で思ったことを口にする勝ち気な男児。三男の清経は明るく朗らかで、笛を吹くのがうまかった。ある日、帝の側近である摂政の前を資盛が馬を降りずに通り過ぎたため、その場で懲らしめられて傷だらけで帰ってきた。そのことに怒った清盛は摂政の移動時を狙って、平家の武士で襲った後、敵の髷(もとどり/髪の毛を頭の上に束ねたところ)を全て落としてしまった。「面白い」と笑う清盛に「やりすぎだ」と嗜める重盛の言葉は届いていない。

妓王の運命と徳子の輿入れ

重盛の判断で、資盛は伊勢で親元を離れて暮らすことにより反省の意を示すことになった。先の襲撃によって、平家に恨みを持つ者のことを考えた上での決断だった。「お前は面白くない」と重盛にいう清盛に、びわは「一寸先は闇だぞ」と食って掛かる。そんなびわが清盛邸を訪れたのは、清盛の娘である徳子(とくこ)に呼ばれたからであった。徳子は妹が嫁いでから話し相手がいなかったため、びわを気に入ってよく相談事や愚痴を漏らしていた。徳子の妹の盛子(もりこ)は藤原家に嫁いだが、すぐに夫は亡くなり、夫と前妻の間の子供を育てなくてはならなくなった。徳子は政略結婚に翻弄される妹の身を憂いてため息をつく。そして、「自分も例外ではない」と呟いた。徳子には6つ下の次期帝である、高倉天皇への輿入れが決まっていたのだ。輿入れ当日、「いくな」と駄々をこねるびわには、徳子が波に沈む不幸な行く末が見えていた。

びわは清盛邸で、妓王(ぎおう)という名の白拍子(しらびょうし/平安朝末期に起こった歌舞を舞う遊女)に出会う。彼女は元々清盛のお気に入りであったが、仏御前(ほとけごぜん)という白拍子を清盛が贔屓し始めてからは仏御前の話し相手として屋敷に呼ばれるようになった。びわは自身の生き別れた母親も白拍子だと聞いていたため、美しく優しい妓王によく懐いた。そんなびわに妓王は母親がまだどこかで生きている可能性があることを話す。「いつか会える」と微笑む妓王に「いつかというのはいい言葉だの。明日、明後日。先のことが少し、楽しみになるの」とびわは嬉しそうに語った。「また今度」とびわに言ってその日は別れた妓王。しかしその後妓王は出家し、次びわが妓王に会ったのは静かな山寺であった。平家に翻弄される人生から抜け出した妓王は、澄んだ顔をしていた。

厳島の思い出と延暦寺の強訴

完成したばかりの厳島神社で、徳子が子を授かるように維盛が舞を奉納した。徳子が嫁いでからすでに6年の月日が経っており、帝も16になっていた。びわは潮が引いた鳥居までの道を、「どこまでも平家の領地だ」と楽しげにはしゃぐ維盛たちと共に歩く。清盛邸に帰ると、徳子が来ていた。徳子は、子供が生まれないことを「辛い思いをさせてしまうから、生まれないほうがいいのかも」と言ってびわに微笑む。2人に資盛も加わって話していると、高倉天皇が出かけることを伝えにきた。快く送り出す徳子は、天皇が他の女性に会いに行くことを知っていた。

一方重盛は、平家と繋がりのある藤原氏がある寺と揉め、焼いてしまったことに頭を悩ませていた。その寺はその時代権力を強めていた延暦寺(えんりゃくじ)に連なっており、延暦寺は焼き討ちにした藤原氏たちに処分を求めた。しかし、彼らが朝廷の最高権力者である後白河法皇(ごしらかわほうおう)の側近である西光(さいこう)の息子であったため、処罰することを躊躇っていたのだ。そうこうしている内に、延暦寺の僧兵が神輿を担いで朝廷に強訴(ごうそ)しに来てしまう。仕方なく兵を出す重盛は、「神輿は射てはならん」というが結局散々に打ち負かすことになった。

鹿ヶ谷の陰謀

ある晩、重盛の義兄である藤原成親(なりちか)を含めた後白河法皇、西光、俊寛(しゅんかん)他数名が、平家の滅亡を企てる密議を俊寛の屋敷で行った。その話はすぐに清盛の耳に入った。延暦寺の強訴を重盛が収めたということもあり、西光は捕らえられて打首になる。その後、法皇も捕らえて幽閉しようと支度をする清盛のもとへ、真剣な表情で現れた重盛は「法皇のもとへは行くな」と告げる。「朝廷に仕えてきた平家が、朝廷に背くことはあってはならないことで、ここまで繁栄できたのは朝廷の力添えがあったからである」と重盛は続ける。そして、「ここを通るのなら、私の首を刎ねてからにしてください」と真っ直ぐ清盛を見据えた。このおかげで、法皇に清盛の手が下ることはなくなった。しかし、事が収まってすぐに徳子が体調を崩す。何かにうなされる徳子の周りに、重盛は西光や左遷された俊寛らの怨念を見た。子を宿していた徳子を案じて、恩赦(おんしゃ)が行われたが俊寛だけは許されなかった。

その後、徳子は男の子を産み清盛は喜んだ。しかし都では天災が続き、徳子の妹である盛子が若くして亡くなった。平家への風当たりもいよいよ強くなる中、重盛は熊野へ参拝する。そして、「清盛が栄華を求めず、栄華が一代で終わるのなら一族の恥を見ないで済むよう私の命を縮めてほしい」と切に祈った。それから程なくして、重盛は病に伏せることになる。重盛を心配して後白河法皇も屋敷を訪れるが、病は一向に良くならなかった。病床で苦しむ重盛はびわに「其方を巻き込んでしまった。滅びゆく、平家という一族に」と呟いて、琵琶の音を望んだ。びわの弾く琵琶の音を聞きながら、重盛は永眠する。その後、びわは重盛のように左目で死者が見えるようになった。

以仁王の令旨

重盛がなくなってしばらく、重盛の弟である宗盛(むねもり)が棟梁を継いだ。宗盛は平家の棟梁という立場を使って好き放題行い、加えて清盛の抑止力として役割を果たさなかったため事態はどんどん悪化していった。信頼の厚かった息子が自分よりも早く死んでしまって気が抜けていた清盛を、好機と捉えた後白河法皇は平家の所領を没収していく。その話を聞いた清盛は、腹を立て京の朝廷に兵を向かわせた。清盛は朝廷の重要官職を全て平家一門に変え、後白河法皇も囚われの身となる。恨みを強める後白河法皇をそのままに、徳子の息子は当時最も若くして天皇へと即位し、安徳(あんとく)天皇となった。そんな中、平家への不満を受けて後白河法皇の第二皇子である以仁王(もちひとおう)が、平家討伐の令旨を各地に言い渡す。すぐに以仁王を捕らえようと平家の兵が迫るも、すんでの所で平等院に逃げたため、一気にそこを攻めることになった。戦には維盛も駆り出され、叔父である重衡(しげひら)と知盛(とももり)と共に戦った。平家の勝利に終わり、以仁王は矢が当たって死に、途中以仁王を匿った寺は重衡が焼き討ちにした。その晩、慣れない戦場の地獄絵図に涙を流す維盛は、戦の恐ろしさに心底震えていた。

一方、徳子は高倉上皇と別の女性との間に、子供ができたことをびわに話す。「清盛の娘である自分よりも、心休まる場所なのだろう」と徳子は寂しそうに語った。その様子を見て嘆くびわに、「私は世界が苦しいだけじゃないって思いたい。だから私は許して、許して、許すの」と涙を流して徳子は言った。

敦盛の登場、富士川の戦い

京での乱を避けて、平家一門と天皇は福原に遷都した。びわと資盛、清経はそこで敦盛(あつもり)と出会う。小枝(さえだ)の笛という逸品を受け継いでいた敦盛は笛が上手く、同じく笛の名手である清経に会えるのを楽しみにしていた。その晩、月見の席で2人に重衡も加わって、美しい笛を奏でた。福原に移り住んで、高倉上皇は体調を崩していた。看病をする徳子に、上皇は申し訳なさそうに眉をひそめ「其方には感謝している」と伝える。その頃、清盛は夜な夜な骸骨や悪夢にうなされ、苦しんでいた。清盛は眠れるようにびわに琵琶を弾くよう頼み、それについてきた維盛と資盛に「我らは何もできない貴族に変わって生きやすい世にしてきた」と話した。しかし、それを聞いて維盛は自分たちが今疎まれ、恨みを買っていることに引っかかる。

その頃伊豆の源頼朝の元に、後白河法皇から平家打倒のお達しが届いていた。頼朝はすぐに挙兵したが、平家に敗れて僅かな兵で逃げる。しかし、その後の戦を想定して清盛は頼朝を追うよう息子たちに命じ、総大将に維盛を指名する。「まだ早い」という周囲を押し切って、若い維盛は戦場へ向かわされた。各地の源氏が頼朝軍に加わり、平家をはるかに上回る数で川の向かい側に陣取っていたが、戦いは朝に開始する事になっていた。その晩、川にいた水鳥が一斉に飛び立ち、敵襲と勘違いした平家の兵士は、慌てて逃げ出してしまった。維盛は清盛の逆鱗に触れたが、何とかお咎めなしとなった。浜辺でびわは維盛に「舞を見せてほしい」と願うが、「私も変わらねば」と冷たく言われてしまう。

清盛の死

福原に遷都してわずか半年で、平家と天皇は再び京都に戻ってきた。そんな平家を快く思わない興福寺の僧兵らは、戦う気がないことを知らせに来た平家の使いを返り討ちにする。これに怒った清盛は、興福寺を攻めるように重衡に言った。夜まで僧兵との戦いは続き、火を焚かなければ勝機が消えるため重衡は仕方なく民家を燃やして灯りをとった。しかし、以仁王を追討する際に意図せず燃やしてしまった寺のことを悔やみ、最後まで決断を渋っていた。その心配通り、周囲の火は寺まで届いて興福寺と東大寺が燃え落ちた。戦で続けて寺を燃やしたことで、祟りを恐れた重衡は芸事をすることもなくなり、一心に経を唱える日々を送った。

そんな折、福原から体調を崩していた高倉上皇が危篤となり、清盛に呼び出される徳子。清盛は徳子に、義父である後白河法皇に嫁ぐことを勧めてきた。しかし徳子は「いいえ」とその話を断り、その場で髪を切り出家しようとする。慌てた清盛は徳子の好きにさせる事にする。そして、清盛はその後すぐに高熱に苛まれることになる。清盛は全身から湯気を出し水を浴びていたが、妻の時子(ときこ)に「墓前に頼朝の首をもってこい」と言い残して亡くなった。それからすぐ、資盛はびわを平家から遠ざけるために、「春になる前に出ていけ」とわざときつく突き放した。

倶利伽羅峠の戦いと都落ち

平家の屋敷から出たびわは、琵琶を弾きながら白拍子だった母を探していた。聞くところによると、びわと同じ目の色をした白拍子が越後にいるという。その白拍子は浅葱(あさぎ)の方と呼ばれており、越後平氏と呼ばれた男の側室だったとびわは土地の人間に聞いた。「やっと会える」と喜ぶびわだが、浅葱の方は越後から京に帰ったと知り肩を落とす。

頼朝には木曽義仲(よしなか)がつき、義仲が平家を追い詰めていく。京にまで頼朝よりも先に義仲がやってきそうな勢いだが、棟梁の宗盛は毎夜宴ばかり開いていた。呆れて焦りを隠せない維盛は、義仲を討つために出陣する。「明日そちらに行く」と名乗り合いの末に義仲に言われた維盛は、明朝の戦に備えて休むが夜中に、大群の掛け声で目を覚ます。平家の背後に大群が押し寄せており、維盛はまんまと義仲に騙されたのだった。逃げ惑う平家の兵士は追い詰められて、谷の底に落ちていった。そして、平家はとうとう福原に移り、京を出る事になる。数年ぶりの福原は大層荒れ果てており、かつて共に笛を吹いた浜で清経は敦盛に、「僅かな兵で平家はどうなるのだ」と涙ながらに訴えた。「我らが戦う番だ」と意気込む敦盛とは対照的に、清経は以前の朗らかさを失っていった。その後福原も源氏に攻め入られ、焼け落ちたため平家は海に逃げる。

清経の死、びわの母

九州の太宰府まで逃げてきた平家は、粗末な家で一夜を明かす。徳子には京で後白河法皇により、新たに帝が擁立されたと知らせが入った。「帝は一人だ」とはっきり言う徳子の側で、まだ幼い安徳天皇が寝息をたてる。しかし、太宰府にまで後白河法皇からの平家打倒の命が下り、仕方なく平家一門は戦いに備えることになる。未だ身支度をしない清経に資盛が「こうなるのは仕方ないことだ」というと、「平家と共にあった武士たちの誠実さや実直さは、何の意味もなさない」と清経は涙を流す。

びわは海を逃げる平家を想っていた。京で出会った3人の若い白拍子と旅を行い、母を探す途中でびわの脳裏に清経が見える。太宰府からも逃れた平家は、陸に上がると敵襲に遭うため船の上で一夜を明かそうとしていた。月明かりの下で清経は笛を少し響かせ、おもむろにへりへ登り、そのまま海に飛び込み自ら命をたった。その様子を先が見える右目で確認したびわは、「自分はいつも何もできない」と一晩中泣いた。次の日、3人の白拍子とともにようやく母親の居場所を突き止めて、家を訪ねる。全盲の母に出会い、今までとある武士に無理やり嫁がされていたことを聞かされる。「どんな時でも、びわと父親を想って祈っていた」と話す母の言葉を聞いて、「平家の行く末を見届けようと思う。見届けて、祈りを込めて琵琶を弾く」と再び平家と行動を共にする。

一ノ谷の戦いと敦盛

平家が一ノ谷で、頼朝の弟である義経(よしつね)率いる軍に圧倒され敗走する最中、敦盛は清経に誓った「雄々しく戦う」という言葉を思い出していた。そして、戦場に亡き清経の笛を忘れたことに気づき、引き返す。笛を手に平家の船が浮かぶ浜へ向かおうと馬で駆けていると、「敵に背を向けるとは」と一人の源氏の武者に挑発される。敦盛は馬を降り、刀を抜いた。見事な剣術で敵に膝をつかせるも、戦いに不慣れなため人を斬ることに躊躇い、一瞬の隙を作ってしまう。そこを見逃さなかった源氏武者に、押し倒されて兜を取られる。しかし、敦盛のまだ若く幼い顔を見た武者は、その顔を自身の息子に重ねて動きを止めた。助けようとした武者に、敦盛は「さっさと首を取れ」と言い放ち「首を取れば、其方の名も上がろう」と穏やかに武者へ語りかけた。若い敦盛の命はこの瞬間、終わることになる。

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