燃えよドラゴン(Enter the Dragon)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『燃えよドラゴン』とは、1973年に香港とアメリカの合作により製作されたカンフーアクション映画。 世界各国で大ヒットとなり、カンフー映画ブームをまき起こした。主演は香港の俳優で、武術家でもあるブルース・リー。彼は本作の完成直後に急死し、今作が遺作となった。香港の沖に浮かぶ要塞島で、武術の達人を集めたトーナメントが開かれた。英国政府の要請で秘密諜報員として大会に参加した中国人青年リーは、島で行われている麻薬密売の証拠をつかみ、少林寺拳法を武器に強大な悪と対決する。

香港公開版ポスター

本作の英語版タイトルは「ENTER THE DRAGON」であるが、当初の企画時においては「BLOOD AND STEEL」「DEADLY THREE」、或いは「HAN'S ISLAND」等となっていた。元々「ENTER THE DRAGON(中国語では「猛龍過江」の意)」は、前作『ドラゴンへの道』のために用意されたタイトルであり、当時の香港のメディアにも『ドラゴンへの道』のことが「猛龍過江(ENTER THE DRAGON)」と紹介されていた。結局、本作の製作を受けて『ドラゴンへの道』の英題は「THE WAY OF THE DRAGON」と改題された。これは実質的なプロデューサーであるブルース・リーが独断で変更したものである。
因みに、中国語タイトル「龍爭虎鬥」とは日本語で「(複数の)大激闘」という意味であり、同様の題名の映画は本作前後に多数存在するらしい。また、『燃えよドラゴン』という邦題は、配給元のワーナーの宣伝部長だった佐藤正二が、新撰組を題材にした司馬遼太郎の時代小説『燃えよ剣』のタイトルを書店で見かけヒントにしたそうで、「燃えよ」のフレーズ使用に関しては著者の了解を得たという。

日本での大ヒットの影に極真会館あり

本作が公開される前の1970年前半は、カンフーはまだ日本に普及していなかった。ブルース・リーも本作公開前に故人となり、知る人もいなかったので、当初配給元のワーナー・ブラザースは本作をメインとせず、他の作品と抱き合わせて採算付けようとしていた。漫画原作者で空手家の真樹日佐夫によると、ワーナーは大山倍達主宰の空手道場・極真会館へ本作の鑑賞を依頼し、真樹、兄の梶原一騎、大山倍達の3人がワーナーの試写室に出向いて本作を鑑賞した。鑑賞後、大山の評価は良くなかった(映画公開時のパンフレットでは高評価と書いている)のに対し、梶原は「敵味方に関わらず銃を使えなくなる設定が良く、荒唐無稽さがなくて面白い」と絶賛していたという。その結果が宣伝にも貢献され、日本での大ヒットに至った。

香港公開版だけのシーンがあった

冒頭、リーが少林寺の修道僧長から、「本当の敵は人間の生み出した幻想だ。”像”を打て!敵は倒れる」という教えを思い出し、ハンを倒すきっかけとなる場面があるが、実はこの場面、香港公開版のみに使用されたものであり、ワーナーの意向で国際公開版からはカットされていた。だが、1998年発売のワーナー版ソフト「ディレクターズ・カット版」でこの場面が挿入された。因みにこのシーンは、会話の内容を改変した別テイクが後の『死亡の塔』に流用されている。
また、オープニングタイトルにおいて、グリーンのタイトルバックに、リーのアクションが切り絵風アニメーションでリズミカルに動くという香港公開版や、撮影時のメイキング映像などが挿入された香港でのリバイバル上映版が作られている。なおこれらの映像は香港のVCD盤などで製品化されている。
逆にカットされたシーンもある。少女がバイクでトーナメントの招待状を空港に届けるというオープニングシーンシーン(黄色いジャケットを着てバイクで香港の町を走り抜ける少女)は、当時、ショウ・ブラザースを中心に活躍していた女優、ティエン・ミがゲスト出演として演じたが、そのシーンは全面カットされた。本作では祝宴シーンでハンのスピーチ後、ハンが最初に投げたリンゴに、ナイフを空中で突き刺す側近の1人としてアップシーンが見られるのみである。

リーの家族について

本作に登場するスー・リンに関して、日本語版では妹とされているが、北京語のオリジナル版では姉(姊々)であると明確に言っている。但しエンドクレジットでは役名が「李妹」となっているので誤解を招いているのだろう。
また、スー・リンの死因を語る「リーの父親」と思わしき老人が登場するが、英語版では彼はリーに対し「Mother(母)」と「Sister(姉か妹)」の墓参りをするよう促しており、「Wife(妻)」と「Daughter(娘)」とは言っておらず、親子関係が確認できる場面もない。劇中では「Old Man」と呼ばれており、父というより僕人(中国での執事)に近い立ち居振る舞いを見せるが、どちらも確証はない。

エキストラがリーに挑戦

オハラ役のボブ・ウォールの証言によれば、ハンの部下を演じているエキストラたちは、撮影現場近くにいたチンピラなどを集めて撮影しており、不穏な空気が漂っていたらしい。そのエキストラたちの中に、ブルース・リーに勝って名を上げようとする挑戦者が現れたが、闘志剥き出しのリーには全く相手にならず、不穏な空気は一掃されたという。因みにその戦いを撮影したフィルムは、ワーナー側が不要と考え、編集終了後破棄したとされる。

『燃えよドラゴン』の主題歌・挿入歌

主題曲:ラロ・シフリン「Enter The Dragon メインテーマ」

『燃えよドラゴン』の関連映像

オリジナル予告篇(英語版)

octopus42b4
octopus42b4
@octopus42b4

Related Articles関連記事

死亡遊戯(香港映画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

死亡遊戯(香港映画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『死亡遊戯』とは、1978年に公開されたロバート・クローズ監督、ブルース・リー主演の香港映画である。 スター俳優のビリー・ローはシンジケート組織からの契約を迫られるが、それを頑なに断る。ある日の撮影中に、ビリーは銃弾を浴びて銃弾を受けて殺害されたと思われたが、実はビリーは死んでおらず、単身でシンジケート組織へ戦いを挑む。 1972年にアクション場面を撮影後、ブルース・リーが急逝。 数年後に代役スタントマンを起用して追加撮影したうえで1978年に制作された。

Read Article

ドラゴン怒りの鉄拳(Fist of Fury)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

ドラゴン怒りの鉄拳(Fist of Fury)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『ドラゴン怒りの鉄拳』とは、1972年制作の香港映画。前作『ドラゴン危機一発』の大ヒットで一躍、香港のトップスターとなったブルース・リー主演の一連のカンフー映画の第2作目。日本公開は1974年。日本帝国主義が横行している1900年代初頭の上海を舞台に、中国武術の道場「精武館」を潰そうと企む日本人武術家一派に恩師を殺された青年が復讐を果たすため、単身で一派に立ち向かう姿を描く。

Read Article

ドラゴン危機一発(映画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

ドラゴン危機一発(映画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『ドラゴン危機一発』とは、1971年制作の香港映画。アメリカから香港に凱旋したブルース・リーがゴールデン・ハーベスト社と契約して主演した一連のカンフー映画の第1作目。香港では当時の映画興行記録を更新する大ヒットとなった。日本では大ヒット映画『燃えよドラゴン』の人気を受けて1974年に劇場公開された。 町の製氷工場で働く事になった田舎の青年が、その工場に麻薬犯罪がからんでいる事を知り、工場一味に戦いを挑む。

Read Article

ドラゴンへの道(ブルース・リー)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

ドラゴンへの道(ブルース・リー)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『ドラゴンへの道』とは、イタリア・ローマを舞台に、ギャングの悪行に立ち向かっていくカンフーの達人や中華料理店の従業員姿を描いたカンフー映画である。主演のブルース・リーが初監督を務めた海外ロケ作品であり、前二作『ドラゴン危機一発』『ドラゴン怒りの鉄拳』とは対照的にコミカルな演技が多々見られる。また、クライマックスでのブルース・リーとチャックノリスとのコロッセウムでの対決場面は、現在でも語り草となっており、多くの映画人にも影響を与えた。

Read Article

世界のムービースターのグッとくる良い写真まとめ!ブルース・リーやオードリー・ヘップバーンなど

世界のムービースターのグッとくる良い写真まとめ!ブルース・リーやオードリー・ヘップバーンなど

世界中で愛されているムービースターの写真を集めました。カンフーブームに火をつけたブルース・リーや、「銀幕の妖精」と称された女優オードリー・ヘップバーンなど、時を超えても人気が衰えない俳優たちのショットを掲載。映画ファン必見の貴重な写真をたっぷり紹介していきます。

Read Article

目次 - Contents