燃えよドラゴン(Enter the Dragon)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『燃えよドラゴン』とは、1973年に香港とアメリカの合作により製作されたカンフーアクション映画。 世界各国で大ヒットとなり、カンフー映画ブームをまき起こした。主演は香港の俳優で、武術家でもあるブルース・リー。彼は本作の完成直後に急死し、今作が遺作となった。香港の沖に浮かぶ要塞島で、武術の達人を集めたトーナメントが開かれた。英国政府の要請で秘密諜報員として大会に参加した中国人青年リーは、島で行われている麻薬密売の証拠をつかみ、少林寺拳法を武器に強大な悪と対決する。

城の中へ逃げ込むハンを追うリー。ハンは義手を金属の爪に替えるとリーを迎え撃つ。二人の激しい攻防が続くが、形勢が不利と見たハンはすかさず鏡が張り巡らされた部屋へと逃げ込んだ。そこは自分の姿が鏡によって何重にも見え、相手との位置関係が判りずらい状況だった。そこで、苦悩するリーの脳裏に浮かんだのが、「本当の敵は人間の生み出した幻想だ」と、かつて少林寺の修道僧長から教えを受けた言葉だった。そしてこの言葉をつなげる。

冒頭、少林寺の修道僧長から教えを受けるシーンで、この言葉が出てくるのだが、そこではただ単に話の中の言葉に過ぎない。クライマックスの重要なシーンに再びこの言葉が蘇り、しかも絶体絶命のリーが救われることになるとは誰も予想しなかっただろう。見事な伏線を張ったセリフである。

悲惨な姉の自殺

香港の実家に戻り、父に武術トーナメントの参加を報告したリーは、父の口から姉の死が自殺だったことを知らされた。
3年前の武術トーナメント大会の時、父と一緒に街を歩いていたリーの姉、スー・リンは、街に来ていた若いチンピラどもに絡まれた。父親は、その中のボスでハンの手下であるオハラという男の顔をナイフで切りつけてスーを逃がそうとするのだが、その事がオハラを一層怒らせてしまい、チンピラたちはどこまでもスーを追い掛け回した。逃げ場が無くなったスーは、とっさに納屋に逃げ込むが、そこへオハラが立ち塞がった。絶体絶命となったスーは、落ちていたガラスの尖った破片を手に取るとオハラの前で自身の腹を刺すのだった。

トーナメントへの参加目的にハンへの復讐が加わり、父から話を聞いた後のメラメラと燃えるリーの表情が印象的である。

ヌンチャクが炸裂

地下工場を見つけたリーは、夜に部屋を抜け出し地下に潜り込んだ。そこで麻薬工場などの様々な犯罪の証拠を発見すると、無線室に入り込み、ブレイスウェイトの待つ情報局に向けて信号を送る事に成功。だがすぐに非常ベルが鳴り、次々と追って来るハンの手下達と激しい攻防戦を展開する。そのとき相手の持っていたヌンチャクを奪い取り、華麗なヌンチャク捌きを見せる。

日本でもブームとなった武器・ヌンチャクは、本作でのこのシーンが初お目見えである。リーが使ったものは正確には「タバク・トヨク」といわれるフィリピン武術・カリの武器であり、リーの親友で弟子のフィリピン系アメリカ人のダン・イノサントと言う人物がリーに教えたといわれているそうだ。

鏡の部屋の壮絶な闘い

本作のクライマックス、ハンとリーの対決シーン。ハンは左手に鉄のツメの義手を着けると、鏡が一面張り巡らされた部屋に逃げ込む。リーは鏡に反射する何人ものハンの姿に翻弄され、攻撃を受ける。そこでリーは、師の教えを思い出すと、壁の鏡を拳で砕いていく。鏡を壊すことで、本物のハンがどこにいるかを見破るためだった。そして、リーのキックがハンに炸裂し、ハンは自分が投げてドアに刺さっていた槍に胸を貫かれてしまうのだった。

何枚もの鏡に無数に映るリーとハンの姿が幻想的な雰囲気を出しているが、このシーンでの撮影には約8000枚の鏡が使用されたという。本作中最も強烈な印象を残したシーンであると言っても過言ではない。

『燃えよドラゴン』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

製作におけるエピソード

本作は、ブルース・リーのそれまでの主演作の総決算的な要素があり、それぞれの映画で見せたブルース・リーアクションのエッセンスが凝縮されている。彼にとっては集大成と言える大事な作品であり、また新人監督のロバート・クローズにとっても初の大作であり、リーはクローズに「この映画の出来を気にしているのは、あなたと私だけだ」と語ったという。当初、撮影はリーたっての希望で西本正(香港のショウ・ブラザースで47本の映画を担当した日本の撮影監督。香港名は賀蘭山)が担当することになっていた。だが、西本はクローズ監督との英語での意思疎通に不安を感じており、リーは自分が間に立つ事で西本への全面バックアップを約束した。しかしクローズも同じ不安を感じており、英語が出来るキャメラマンへ交代することになる。リーは西本に次作の撮影を約束することで謝罪し、西本も快諾した。西本の代わりに撮影を担当したギルバート・ハッブスはドキュメンタリー畑の人物で、パナビジョンが初めてなら35ミリフィルムも回したことがなかった。だが、リーの不安をよそに彼は手持ちカメラを多用した大乱闘の場面でその力量を如何なく発揮したのだった。因みに本作は、ほぼ全編をテクニカラー、パナビジョンで撮影している(ブルース・リー主演作では唯一)。
また、本作の完成作品の音声はオールアフレコであり、同時録音もされていたのだが同録音源が現在も行方不明であるらしい。オールアフレコ作品になったのは当時、ゴールデン・ハーベスト社にシンクロナイザー(映像と音声を同期させる機材)が導入されていなかったためだとされる。
リーは北京語を喋れなかったことから、彼の主演映画は北京語版も英語吹替版も、当時の香港映画の通例どおり全て声優による吹替となっているが、本作の英語版のセリフは全てリー本人の肉声である。

初期プロットからの変更

本作の脚本には、脚本家のマイケル・オーリンが公表されている脚本第1稿よりも前にまとめたプロットがあった。それは「『007は殺しの番号』に感化されたであろう内容に格闘技トーナメントの要素を加えただけ」というもので、魅力的なプロットではなく、ブルース・リーも関与していなかった。そこでは、ローパーの代わりに指名されたボロがリーと戦い、リーが勝った後、激怒したハンがラストでローパーと戦うことになっていた。つまりハンに殺されていた旧友ウィリアムスの復讐をローパーが遂げるという決着で、ジョン・サクソン演じるローパーが「最強の男」であるという事が明確にされていたのである。ブルース・リーはそのラストシーンを大幅に変更。リーの出番や台詞は殆ど脚本家のホー・シュンリンと共に手直しをしており、のちにリーが脚本づくりに関わってからは、ハンが少林寺の裏切り者という設定を加え、最後のリー対ハンの果たし合いに意義を持たせている。因みに、ハンがリーではなくローパーに目をつけ仲間に引き入れようとする点や、捕えられたリーをローパーに殺させようとするシーンはそのまま脚本になっていて大筋は完成版にも残されている。

香港映画界を担う無名時代のスターが大勢出演

サモ・ハン・キンポー出演シーン

本作には、後に香港映画界を担う無名時代のスターが大勢出演している。

<サモ・ハン・キンポー>
オープニングのリーのスパーリング相手として出演している。リーが発案したオープンフィンガーグローブをお互いが装着し、打撃戦で始まり腕絡みで終了するこのシーンは後の総合格闘技の原型になった。(因みにこのシーンは、最後に撮影されたということで、死期の迫ったリーの裸身は、明らかに本編格闘シーンのそれに比べて痩せている。)

<ジャッキー・チェン>
リーが地下基地に潜入した際に、首を折られ別カットでは長棍で顔を攻撃される衛兵役で、最後にヌンチャクで殴られ、プールに落ちる役として出演している。この時、リーのヌンチャクが顔面に当たり、紫色に腫れ上がった顔を見る度リーは謝罪したという。

<ユン・ピョウ>
一瞬だが2カットに出演している。

<ラム・チェンイン>
当時まだ21歳だったが、リーからの信頼と実力を認められての抜擢であり、武術指導助手を担当した。助手の他にも、あらゆる場面でのスタントも担当、大乱闘のシーンで活躍する囚人はほとんどのスタントを演じている。
その他、ブルース・リーの一連の香港作品で共演しているトニー・リュウや、ジャッキー・チェン映画の常連、マースやタイ・ポー、ウー・ミンツァイも出演している。

リーを襲った撮影中のアクシデント

オハラ役のボブ・ウォールがビンを割ってリーに襲いかかるシーン。本来なら砂糖を固めてビンの形にした安全な造り物のビンを使うはずなのだが、そのシーンの撮影時に何故か手違いで用意が無かった。仕方なく本物のガラスビンを使用したのだが、誤ってリーの手首を負傷させるアクシデントが発生してしまった。リーの出血は酷く、撮影現場は一時騒然となり、エキストラ達からはウォールを殺せという声が上がるほどだったという。また、リーが地下に侵入する際にコブラを捕まえるシーンがあるが、ここではリーはコブラを掴むタイミングを誤り、腕を噛まれてしまった。だが幸いにも、コブラから毒は抜かれていたので傷だけで済んだそうである。

題名に関する裏話とは

ワーナー版(英語版)オリジナルポスター

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