三國志(ゲーム)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

三國志とは、歴史書『三国志』や歴史長編小説『三国志演義』をベースにした、中国の後漢から三国時代を舞台にした歴史シミュレーションゲームである。コーエーテクモゲームスから発売され、これまでシリーズ化されている。ゲームプロデューサーはシブサワ・コウ。プレイヤーは君主となり、内政や軍事で国力を高め、他君主と合戦を行い領地を広げていく。そして、最終的に中国統一を目指すのがゲーム目標となる。

曹操

曹操(そうそう:155~220)
字(実名以外の名)は孟徳(もうとく)。ゲームでは184年から207年までのシナリオに登場する。全般的に能力値が高く、特に統率、知略、政治が高い。

魏の初代皇帝となった曹丕の父で、魏の礎を築いた。
若いときに役人となり、黄巾の乱では反乱軍を破るなど活躍した。
董卓が権力を握ると、挙兵して反董卓連合に参加。その後勢力を拡大し、漢の皇帝献帝を迎える。
華北の名門袁紹を官渡の戦いで破り、そのまま華北を制圧。それから南下をして荊州に進軍する。
赤壁の戦いで孫権・劉備連合軍に敗れるものの、後に孫権と同盟を結び荊州を守っていた関羽を倒す。
晩年は魏王となったが、最期まで帝位に就くことはなかった。
戦略家や文人、政治家としての評価が高いが、『三国志演義』では漢王朝を牛耳った悪人などといったように描かれている。

曹丕

曹丕(そうひ:187~226)
字は子桓。ゲームでは207年から221年のシナリオまで登場する。全体的に能力値は高いが、特に知略や政治の能力値が高い。

曹操の次男。父の死後、魏王となり、同年献帝から禅譲される形で皇帝に即位した(文帝)。
九品官人法という役人の登用制度を定めるなど、政治面での功績が大きい。
江東の孫権に対しては呉の王に任じたが、やがて孫権と対立する。何度か孫権を攻めるも敗れた。
226年に病にて崩御。皇太子だった長子の曹叡(明帝)がその後即位した。

夏侯惇

夏侯惇(かこうとん:?~220)
字は元譲(げんじょう)。ゲームでは184年から207年までのシナリオに登場する。統率や武力、政治の能力値が高く、特に統率や武力が高い。

主君曹操の父親は夏侯氏の出身なので、曹操とは同族にあたる。曹操が兵を挙げたときから従い、拠点の守備などを任された。
呂布との戦いで敵の矢を受け、左目が不自由になってしまう。
曹操が中原や華北を完全制圧した後は、総司令官として孫権にあたる。
曹操の死後、子の曹丕より大将軍に任ぜられるが、同年、夏候惇もこの世を去る。
『三国志演義』の描写から、一般的に隻眼の猛将として知られている。

夏侯淵

夏侯淵(かこうえん:?~219)
字は妙才(みょうさい)。ゲームでは184年から207年までのシナリオに登場する。統率や武力の能力値が高い。『三国志演義』では弓の名手として描かれているため、弓の適性が高い。

夏侯惇の従弟にあたり、曹操が兵を挙げたときから従う。
勇猛さで知られ、合戦では敵を急襲する戦法を得意とし、「三日で五百里、六日で一千里」と称されるものだった。
中国西方の涼州において反乱を起こした勢力と戦い、その後涼州を平定する。
しかし中国西部の定軍山における劉備軍との戦いで、黄忠の攻撃により戦死する。
『三国志演義』では弓の扱いに長けた猛将として描かれている。

郭嘉

郭嘉(かくか:170~207)
字は奉孝(ほうこう)。ゲームでは190年から207年までのシナリオに登場する。知略や政治の能力値は高いが、武力が低い。

もともと華北の袁紹に仕えていたが、後に曹操の配下となる。
主に参謀的役割を果たし、曹操と敵対していた徐州の呂布を攻めるように進言する。
袁紹との官渡の戦いでは事前に周辺状況を予想して、曹操を戦いに集中させた。
袁紹死後の袁氏を衰亡させるのに謀略面で活躍、華北の人材を曹操のもとに招いた。
ところが、曹操が華北を完全に平定しないうちに病死する。曹操は郭嘉の死を大変悲しんだという。

荀彧

荀彧(じゅんいく:163~212)
字は文若(ぶんじゃく)。184年から207年までのシナリオに登場する。知略や政治の能力値が高いが、武力は低い。

若年の頃から才覚に優れたことから、「王佐の才」と呼ばれた人物。
もともと中央役人だったが、後に袁紹、次いで曹操に仕えた。曹操からは「わが子房(前漢の劉邦の家臣張良にちなんだ言い方)」と喜ばれたという。
曹操に後漢の皇帝献帝を擁立するように進言し、曹操から政治や軍事の一切を相談される。
袁紹との官渡の戦いでは後方を担当しながらも、曹操に進言や激励を行い、袁紹の撃破に功があった。
しかし晩年、曹操と官爵を巡って意見が対立し、その後死去した。自殺したともいわれている。

司馬懿

司馬懿(しばい:179~251)
字は仲達(ちゅうたつ)。194年から234年までのシナリオに登場する。統率や知略、政治の能力値が高い。

魏の後に建国された「晋」の礎を築いた人物。若い頃から才覚があって聡明であるといわれていた。
曹操に仕えていたが、当の本人からは警戒されていたという。
曹操の子曹丕(文帝)の時代に、行政面の実質的トップになり、次の曹叡(明帝)の時代には大将軍となり、軍事面でも高位となった。
五度にわたる蜀の諸葛亮の攻撃を防衛し、その後反乱を起こした公孫淵を破った。
その後も魏の軍事面を担ったが、クーデターを起こして実権を掌握する。
彼の死後、孫の司馬炎が魏の曹奐(魏の第5代皇帝)より禅譲されて「晋」の初代皇帝となった。

劉備

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