三國志(ゲーム)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

三國志とは、歴史書『三国志』や歴史長編小説『三国志演義』をベースにした、中国の後漢から三国時代を舞台にした歴史シミュレーションゲームである。コーエーテクモゲームスから発売され、これまでシリーズ化されている。ゲームプロデューサーはシブサワ・コウ。プレイヤーは君主となり、内政や軍事で国力を高め、他君主と合戦を行い領地を広げていく。そして、最終的に中国統一を目指すのがゲーム目標となる。

絶影

読み:ぜつえい

曹操が初期状態で所有していることが多い。ただし初期のシナリオのみに登場し、以後のシナリオには登場しない。

曹操が乗っていた馬で、影が残らないくらいの速さが由来という。
『三国志』では、曹操が張繍という軍閥から夜襲を受けた際、脱出時に額と足の部分に矢を受ける。
『三国志演義』では、『三国志』と同じように矢を受けて脱出後に目を射られて死んだという。ただし絶影という名では登場しない。

爪黄飛電

読み:そうこうひでん

曹操が初期状態で所有していることが多い。曹操死後は子の曹丕などに受け継がれている。
『三国志演義』では曹操の愛馬である。

四輪車

読み:よんりんしゃ

諸葛亮が初期状態で所有していることが多い。諸葛亮死後は探索などで入手できる。

『三国志演義』では諸葛亮が乗っていた手押し車のこと。諸葛亮を描いた画に登場する。
諸葛亮は「木牛流馬」という道具を発明した。これは手押し車のようなものだったとみられている。
魏への北伐の際に、兵糧を輸送する目的で使われていたという。

書物

兵法書や歴史書などの著名な書物。所有した武将の統率や知力、政治を上げる効果を持つ。

孫子の兵法書

読み:そんしのへいほうしょ

著者とされる孫武の末裔という孫堅・孫策・孫権など代々が所有することが多い。

単に『孫子』とも言う。春秋時代に呉に仕えた孫武が著者とされる兵法書。中国の代表的兵法書という「武経七書」の一つである。
13篇からなり、軍略や戦術などについて述べられている。
「彼を知り己を知れば百戦殆からず」ということわざは、「謀攻篇」に述べられている兵法に由来する。
日本には8世紀頃に伝わり、貴族の教養となったり武士の用兵に用いられたりした。「軍争篇」の一つからとった、武田信玄の旗印「風林火山」はあまりにも有名である。
現在では、ビジネス分野などに応用されて関連書籍が発売されている。

孟徳新書

読み:もうとくしんしょ

曹操が初期状態で所有していることが多く、曹操死後は登場しないこともある。

『兵書接要』とも言い、曹操(字は孟徳)が記した兵法書のことである。
曹操は兵法に優れ、現在に伝わる『孫子の兵法書』をまとめた。この書物は『魏武註孫子』と呼ばれる。

論語

読み:ろんご

探索などにより入手できる。

儒教で特に重視される経書の「四書」の一つ。儒教の祖孔子や高弟の言行を、孔子の死後に弟子達がまとめた書物で全20篇からなる。
他者への慈しみ「仁」、そして社会秩序を守るための規範「礼」などが説かれている。
文中の「子曰く~」の「子」とは、孔子のことである。
「志学」や「而立」、「不惑」といった言葉の由来となり、ことわざ「論語読みの論語知らず」の「論語」である。
日本には仁徳天皇の時代に伝わり、後世研究が行われた。

史記

読み:しき

探索などにより入手できる。

中国の歴史を著した二十四史の一つで、伝説上の皇帝である黄帝から前漢の武帝までを著したものである。著者は武帝の時代に活躍した司馬遷。
紀伝体の歴史書で、本紀(皇帝や王の一代記)12巻、年表10巻、書(文化史)8巻、成家(王家などの歴史)30巻、列伝(個人の伝記)70巻から構成されている。
歴史的価値や文学的価値はかなり高く、「先んずれば人を制す」や「四面楚歌」、「傍若無人」などの言葉が生まれた。
史記が日本に伝えられた時代ははっきりしないようである。しかし、奈良時代には『史記』の文面を引用した記述が見られる。
江戸時代、徳川光圀が『史記』の「伯夷列伝」を読んだことで感動し学問を志した。光圀は紀伝体の歴史書『大日本史』の着手者である。

太平要術の書

読み:たいへいようじゅつのしょ

張角が初期状態で所有していることが多く、張角死後は探索などで入手できる。

『三国志演義』に登場する三巻から成る書物。南華老仙という人物が持っていたという。
『三国志演義』では張角という人物に南華老仙が与えた。張角はこの書で学び、風雨を操る妖術などを得たという。
その後、太平道の創始者となった張角は漢に対して反乱を起こした(黄巾の乱)。

宝物

金や銅・璧などいわゆる「たからもの」と呼ばれるものと思われる。

銅雀

読み:どうじゃく

探索などで入手できる。

冀州の鄴という場所から出土された銅でできた雀のこと。
曹操が袁紹を滅ぼした後に発見され、その後曹操は鄴の地に宮殿を建設した。
宮殿は銅雀台と呼ばれ、3つの宮殿から構成されていた。
それから造営・増築が行われていったが、元や明の時代に洪水で宮殿が倒壊。現在は遺跡になっている。

九錫

読み:きゅうしゃく

探索などで入手できる。

中国の漢の時代などで皇帝より賜った9種類の恩賞品のことをいう。
もともとこれらは天子(皇帝)しか使用できないもので、これらの恩賞を賜った者は皇帝とほぼ同等の地位にある。
九錫を賜った者のうち、ほとんどの者が自身または一族が帝位に就いている。
曹操は漢の献帝より賜り、子の曹丕が魏を建国している。また、孫権はその曹丕より賜って、後に呉の帝位に就いた。

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