The Beatles(ザ・ビートルズ)とは【徹底解説まとめ】

The Beatles(ザ・ビートルズ)とは、1962年に英国でデビューした20世紀を代表する4人組ロック・バンド。その影響力は音楽のみならず、ファッション、言動、思想にまで及び、社会現象を巻き起こした。彼等の音楽を語るうえで特筆すべき点の一つは、彼等自身の音楽的成長がそのまま音楽界全体の、そして聴き手である我々ファンの音楽的成長を促したことだろう。1970年の解散後も彼等の影響力は引き継がれ、21世紀の現在でもそれは変わらない。

Side A
1. Back In The U.S.S.R.
2. Dear Prudence
3. Glass Onion
4. Ob-La-Di, Ob-La-Da
5. Wild Honey Pie
6. The Continuing Story Of Bungalow Bill
7. While My Guitar Gently Weeps
8. Happiness Is A Warm Gun

Side B
1. Martha My Dear
2. I'm So Tired
3. Blackbird
4. Piggies
5. Rocky Raccoon
6. Don't Pass Me By
7. Why Don't We Do It In The Road?
8. I Will
9. Julia

Side C
1. Birthday
2. Yer Blues
3. Mother Nature's Son
4. Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey
5. Sexy Sadie
6. Helter Skelter
7. Long, Long, Long

Side D
1. Revolution 1
2. Honey Pie
3. Savoy Truffle
4. Cry Baby Cry
5. Revolution 9
6. Good Night

1968年11月22日にリリースされた10枚目で初の2枚組アルバム。またザ・ビートルズの設立したアップルからリリースされた初のザ・ビートルズのアルバムであった。アップルからは本アルバムの前にジョージのソロ「Wonderwall」(11月2日)とジョンとヨーコの「Unfinished Music NO. 1 - Two Virgins」(11月11日)がリリースされている。
シングル「Lady Madonna」「Hey Jude」の後にリリースされたが、どちらのシングルも収録されなかった。

レコーディング経過は以下の通り。

●1968年

1月12日
以下をレコーディング。
・Untitled (のちの「The Inner Light」)

2月3日
以下をレコーディング。
・Lady Madonna

2月4日
以下をレコーディング。
・Across The Universe

2月6日
以下の2曲をレコーディング。
・The Inner Light
・Lady Madonna
以下の2曲のモノ・ミキシング。
・The Inner Light
・Lady Madonna

2月8日
以下の2曲をレコーディング。
・The Inner Light
・Across The Universe

以下の2曲のモノ・ミキシング。
・The Inner Light
・Across The Universe

2月11日
以下をレコーディング。
・Hey Bulldog
以下のモノ・ミキシング。
・Hey Bulldog
*「Hey Bulldog」は「The Beatles」には収録されず、アニメーションのサントラである「Yellow Submarine」に収録された。

2月15日
以下のモノ・ミキシング。
・Lady Madonna

3月15日
シングル「Lady Madonna/The Inner Light」リリース。

5月30日
以下をレコーディング。
・Revolution (のちの「Revolution 1」)

5月31日
以下をレコーディング。
・Revolution (のちの「Revolution 1」)

6月4日
以下をレコーディング。
・Revolution (のちの「Revolution 1」)
以下のモノ・ミキシング。
・Revolution (のちの「Revolution 1」)

6月5日
以下をレコーディング。
・Ringo's tune (のちの「Don't Pass Me By」)

6月6日
以下の2曲をレコーディング。
・This Is Some Friendly (「Ringo's Tune」と呼ばれていた楽曲で、のちの「Don't Pass Me By」)
・Revolution 9
以下のモノ・ミキシング。
・This Is Some Friendly (「Ringo's Tune」と呼ばれていた楽曲で、のちの「Don't Pass Me By」)

6月10日
以下をレコーディング。
・Revolution 9

6月11日
以下の2曲をレコーディング。
・Blackbird
・Revolution 9
以下のモノ・ミキシング。
・Blackbird

6月20日
以下をレコーディング。
・Revolution 9

6月21日
以下の2曲をレコーディング。
・Revolution (のちの「Revolution 1」)
・Revolution 9
以下の2曲のステレオ・ミキシング。
・Revolution 1
・Revolution 9

6月25日
以下のモノ・ミキシング。
・Revolution 1
以下のステレオ・ミキシング。
・Revolution 1
以下のテープ編集
・Revolution 9(この編集ヴァージョンが最終的に使用される)。

6月26日
以下をレコーディング。
・Untitled (のちの「Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey」)

6月27日
以下をレコーディング。
・Untitled (のちの「Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey」)

6月28日
以下をレコーディング。
・Untitled (のちの「Good Night」)

7月1日
以下をレコーディング。
・Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey

7月2日
以下をレコーディング。
・Good Night

7月3日
以下をレコーディング。
・Ob-La-Di, Ob-La-Da

7月4日
以下をレコーディング。
・Ob-La-Di, Ob-La-Da

7月5日
以下をレコーディング。
・Ob-La-Di, Ob-La-Da

7月8日
以下をレコーディング。
・Ob-La-Di, Ob-La-Da
以下のモノ・ミキシング。
・Ob-La-Di, Ob-La-Da

7月9日
以下の2曲をレコーディング。
・Ob-La-Di, Ob-La-Da
・Revolution
*「Revolution」はリハーサルのみ。

7月10日
以下をレコーディング。
・Revolution

7月11日
以下の2曲をレコーディング。
・Revolution
・Ob-La-Di, Ob-La-Da
以下のモノ・ミキシング。
・Ob-La-Di, Ob-La-Da

7月12日
以下の2曲をレコーディング。
・Don't Pass Me By
・Revolution
以下の3曲のモノ・ミキシング。
・Don't Pass Me By
・Ob-La-Di, Ob-La-Da
・Revolution

7月15日
以下の2曲をレコーディング。
・Ob-La-Di, Ob-La-Da
・Cry Baby Cry
以下の2曲のモノ・ミキシング。
・Revolution
・Ob-La-Di, Ob-La-Da

7月16日
以下をレコーディング。
・Cry Baby Cry

7月18日
以下の2曲をレコーディング。
・Cry Baby Cry
・Helter Skelter

7月19日
以下をレコーディング。
・Sexy sadie

7月22日
以下の2曲をレコーディング。
・Don't Pass Me By
・Good Night

7月23日
以下をレコーディング。
・Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey
以下の2曲のモノ・ミキシング。
・Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey
・Good Night

7月24日
以下の2曲をレコーディング。
・Sexy sadie
・Untitled
*「Untitled」は内容不明のサウンド・エフェクト集。未発表。

7月25日
以下をレコーディング。
・While My Guitar Gently Weeps

7月29日
以下をレコーディング。
・Hey Jude

7月30日
以下をレコーディング。
・Hey Jude
以下のステレオ・ミキシング。
・Hey Jude

7月31日
以下をレコーディング。
・Hey Jude

8月1日
以下をレコーディング。
・Hey Jude

8月2日
以下をレコーディング。
・Hey Jude
以下のステレオ・ミキシング。
・Hey Jude

8月6日
以下のモノ・ミキシング。
・Hey Jude

8月7日
以下をレコーディング。
・Not Guilty
*「Not Guilty」は未発表であったが、のちに「Anthology 3」に収録された。

8月8日
以下のモノ・ミキシング。
・Hey Jude
以下をレコーディング。
・Not Guilty

8月9日
以下の2曲をレコーディング。
・Not Guilty
・Mother Nature's Son

8月12日
以下をレコーディング。
・Not Guilty
以下のモノ・ミキシング。
・Not Guilty

8月13日
以下の2曲をレコーディング。
・Sexy Sadie
・Yer Blues

8月14日
以下の2曲をレコーディング。
・Yer Blues
・What's The New Mary Jane
*「What's The New Mary Jane」は未発表であったが、のちに「Anthology 3」に収録された。
以下の2曲のモノ・ミキシング。
・Yer Blues
・What's The New Mary Jane

8月15日
以下をレコーディング。
・Rocky Raccoon
以下のモノ・ミキシング。
・Rocky Raccoon

8月16日
以下をレコーディング。
・While My Guitar Gently Weeps

8月20日
以下の4曲をレコーディング。
・Yer Blues
・Mother Nature's Son
・Etcetera
・Wild Honey Pie
*「Etcetera」は内容不明の未発表曲。
以下の2曲のモノ・ミキシング。
・Mother Nature's Son
・Wild Honey Pie
以下のテープ編集
・Revolution 9

8月21日
以下をレコーディング。
・Sexy Sadie
以下のモノ・ミキシング。
・Sexy Sadie

8月22日
以下をレコーディング。
・Back In the U.S.S.R.

8月23日
以下をレコーディング。
・Back In the U.S.S.R.
以下のモノ・ミキシング。
・Back In the U.S.S.R.

8月26日
以下のテープ編集
・Revolution 9(この編集ヴァージョンが最終的に使用される)。

8月28日
以下をレコーディング。
・Dear Prudence

8月29日
以下をレコーディング。
・Dear Prudence

8月30日
以下をレコーディング。
・Dear Prudence
シングル「Hey Jude/Revolution」リリース。

9月3日
以下をレコーディング。
・While My Guitar Gently Weeps

9月5日
以下をレコーディング。
・While My Guitar Gently Weeps

9月6日
以下をレコーディング。
・While My Guitar Gently Weeps

9月9日
以下をレコーディング。
・Helter Skelter

9月10日
以下をレコーディング。
・Helter Skelter

9月11日
以下をレコーディング。
・Glass Onion

9月12日
以下をレコーディング。
・Glass Onion

9月13日
以下をレコーディング。
・Glass Onion

9月16日
以下の2曲をレコーディング。
・I Will
・Glass Onion

9月17日
以下のモノ・ミキシング。
・Helter Skelter
以下をレコーディング。
・I Will

9月18日
以下をレコーディング。
・Birthday
以下のモノ・ミキシング。
・Birthday

9月19日
以下をレコーディング。
・Piggies

9月20日
以下をレコーディング。
・Piggies

9月23日
以下をレコーディング。
・Happiness Is A Warm Gun In Your Hand (のちの「Happiness Is A Warm Gun」)

9月24日
以下をレコーディング。
・Happiness Is A Warm Gun In Your Hand (のちの「Happiness Is A Warm Gun」)

9月25日
以下をレコーディング。
・Happiness Is A Warm Gun In Your Hand (のちの「Happiness Is A Warm Gun」)
以下のモノ・ミキシング。
・Happiness Is A Warm Gun In Your Hand (のちの「Happiness Is A Warm Gun」)

9月26日
以下の4曲のモノ・ミキシング。
・Happiness Is A Warm Gun
・What's The New Mary Jane
・Glass Onion
・I Will
以下をレコ-ディング。
・Glass Onion

10月1日
以下をレコーディング。
・Honey Pie
以下のモノ・ミキシング。
・Honey Pie

10月2日
以下をレコーディング。
・Honey Pie

10月3日
以下をレコーディング。
・Savoy Truffle

10月4日
以下の2曲をレコーディング。
・Martha My Dear
・Honey Pie

10月5日
以下の2曲をレコーディング。
・Savoy Truffle
・Martha My Dear
以下の3曲のモノ・ミキシング。
・Honey Pie
・Martha My Dear
・Dear Prudence
以下の2曲のステレオ・ミキシング。
・Honey Pie
・Martha My Dear

10月7日
以下のステレオ・ミキシング。
・While My Guitar Gently Weeps
以下のモノ・ミキシング。
・While My Guitar Gently Weeps

以下をレコーディング。
・It's Been A Long Long Long Time (のちの「Long Long Long」)

10月8日
以下の3曲をレコーディング。
・It's Been A Long Long Long Time (のちの「Long Long Long」)
・I'm So Tired
・The Continuing Story Of Bungalow Bill

10月9日
以下のステレオ・ミキシング。
・The Continuing Story Of Bungalow Bill
以下のモノ・ミキシング。
・The Continuing Story Of Bungalow Bill
以下の2曲をレコーディング。
・Long Long Long
・Why Don't We Do It In The Road

10月10日
以下の2曲をレコーディング。
・Piggies
・Glass Onion
以下の3曲のステレオ・ミキシング。
・Glass Onion
・Rocky Racoon
・Long Long Long
以下のモノ・ミキシング。
・Glass Onion
以下をレコーディング。
・Why Don't We Do It In The Road

10月11日
以下をレコーディング。
・Savoy Truffle
以下の3曲のモノ・ミキシング。
・Piggies
・Don't Pass Me By
・Good Night
以下の3曲のステレオ・ミキシング。
・Piggies
・Don't Pass Me By
・Good Night

10月12日
以下の4曲のステレオ・ミキシング。
・Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey
・Helter Skelter
・Mother Nature's Son
・Ob-La-Di, Ob-La-Da
以下の4曲のモノ・ミキシング。
・Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey
・Mother Nature's Son
・Ob-La-Di, Ob-La-Da
・Long Long Long

10月13日
以下をレコーディング。
・Julia
以下の5曲のモノ・ミキシング。
・Julia
・Dear Prudence
・Wild Honey Pie
・Back In The U.S.S.R.
・Blackbird
以下の3曲のモノ・ミキシング。
・Julia
・Dear Prudence
・Blackbird

10月14日
以下をレコーディング。
・Savoy Truffle
以下の7曲のステレオ・ミキシング。
・I Will
・Birthday
・Savoy Truffle
・While My Guitar Gently Weeps
・Yer Blues
・Sexy Sadie
・What's The New Mary Jane
以下の3曲のモノ・ミキシング。
・Savoy Truffle
・While My Guitar Gently Weeps
・Long Long Long

10月15日
以下の3曲のステレオ・ミキシング。
・Happiness Is A Warm Gun
・I'm So Tired
・Cry Baby Cry
以下の2曲のモノ・ミキシング。
・I'm So Tired
・Cry Baby Cry

10月16日~17日
*ザ・ビートルズ、最初で最後の24時間ぶっ通しでの作業。
*この日、「Back In The U.S.S.R.」と「Dear Prudence」、そして「The Continuing Story Of Bungalow Bill」と「While My Guitar Gently Weeps」の曲間をなくす処理(クロスフェイド)、及び「Revolution 9」の冒頭に「Can You Take Me Back」と歌われる楽曲を挟み込む処理が行われた。
以下の2曲のモノ・ミキシング。
・Why Don't We Do It In The Road
・It's All Too Much
以下の2曲のステレオ・ミキシング。
・Why Don't We Do It In The Road
・It's All Too Much
*「It's All Too Much」はアニメーション映画「Yellow Submarine」のサントラ盤収録のための作業。

11月22日
アルバム「The Beatles」リリース。

ジャケットはポールがアイディアの原案を持ち込み、イギリスの画家、リチャード・ハミルトンが手掛けている。通称「ホワイト・アルバム」と呼ばれているように、「Sgt. Pepper's~」の真逆を行くように一面真っ白であり、アナログ盤には「The Beatles」の文字が浮き出るようなエンボス加工が施されている。また、通し番号が振られているが、イギリス盤だとモノラルやステレオの判別なしに振られているため、モノラルとステレオで同一の通し番号のアナログは存在しない。CD化に際しては、エンボス加工の代わりにグレイの文字で「The Beatles」と書かれており、通し番号はない。ポールによると、ジョンが通し番号「A1」を持っていたが、現在ではリンゴが所有しているという。

ジャケットに関してはいくつかの候補があった。そのうちの一つは後に「The Beatles Ballads」のジャケットに使用されている。

アメリカ盤、日本盤ともにイギリス・オリジナル盤と同ジャケット、同収録曲であった。ただしアメリカ盤はこの「The Beatles」からモノラル盤のリリースはなし。アメリカでのモノラル盤は1987年のCD化で初めて登場した。

日本盤もモノラルではなくステレオであった。イギリス盤と同仕様によるアナログ・アルバムのモノラル盤は1982年1月21日にオリジナル・モノ・シリーズとして限定リイシューされたのが初めてになる。

イギリスのメロディ・メーカー誌のチャートでは、1968年11月30日に3位に初登場。翌週12月7日に1位に輝くと、その後翌1969年2月15日まで11週間1位に君臨していた。

アメリカのビルボード誌のチャートでは、1968年12月14日に11位に初登場。翌々週12月28日に1位に輝くと、その後翌1969年2月1日まで6週間1位に君臨していた。2月8日に2位に落ちるも、翌週2月15日には1位に返り咲き、以降3月1日まで3週間1位となり、計9週間1位に君臨していた。

ザ・ビートルズ初、オリジナルとしては唯一の2枚組アルバムで、全30曲が収録されている。プロデューサーのマーティンは当初、曲数を絞って1枚ものにすべきだと主張したが、メンバーの誰からも同意されなかった。ザ・ビートルズのメンバーは1968年2月16日から順次、インドのリシケシュに旅立っている。マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー主催による瞑想キャンプに参加するためだが、本アルバムに収録された楽曲の多くはこのキャンプ参加中に作られている。イギリスのシンガー・ソングライターであるドノヴァンも同キャンプに参加しているが、ギター持参で参加したのはこのドノヴァンだけであったため、ザ・ビートルズのメンバーはドノヴァンからギターを借りて作曲をしたり、ドノヴァンからフィンガー・ピッキングを習得したりしている。

ドノヴァンは「僕たちは瞑想しに、自己発見をしに、そして答えを求めてそこに行った。ホワイト・アルバムは類まれなる作品だ。そしてそれは、インドへの旅によるところが大きい。インドのあとに僕らが書いた曲は全部、僕らが詩人として、そしてミュージシャンとして、真実を歌うことを学んだことを証明している」と語っている。

ポールは「リシケシュではたくさんの曲を作った。ジョンも想像力を発揮していた。そしたらジョージがイラついて『僕らは瞑想するために来たんだ。次のアルバム用の曲作りに来たんじゃない』って言いに来たことがあった。ジョージはちょっと厳格すぎるんだ」と語っている。

マーティンは「ブライアン・エプスタインが亡くなってものごとは大きく変わり、ビートルズは個々の道を歩み始めた。ホワイト・アルバムはその結果だ。彼らはたくさんの曲を私のところに持ってきて、そのすべてをレコーディングしたがった。そうやってできたのがホワイト・アルバムだった。とても素晴らしいアルバムだが、ばらつきがあると感じた。素晴らしい曲がある一方で、そうでもない曲もあるとね」と語っている。

収録されている楽曲はオーソドックスなロック・ナンバーから、デキシー、スカ、ブルース、バロック、フォーク、カントリー、クラシック、ヘヴィー・メタル、ミュージック・コンクレートと多種多様であり、米ローリング・ストーン誌では「現代西洋音楽の歴史がつまっている」と評されている。

このアルバムからアシスタントとして後に名プロデューサーとなるクリス・トーマスが参加している。マーティン不在時には彼に代わり、レコーディングの監督を行ったり、ジョージの楽曲にハープシコードで参加したりしている。

クリスは「実際の話、雰囲気は問題ないと思っていた。けれど毎日曲の途中で、彼らはアップルにだれを雇ってだれをやめさせるかの話し合いをしなきゃならなくてね。でもプレイし始めたら、本当に素晴らしい雰囲気になったし、まさにロックしていたな。それに彼らはすごくおかしいんだ。ポールはさっさとやっちゃうけど、ジョンはマイ・ペースで。でもあとでポールと一緒に仕事して、僕は彼がどれほどビートルズをリードしてきたかわかったよ。彼は驚くほどの才能に恵まれている。すごく正確なんだ」と語っている。

本アルバムではロンドン・ソーホーにあるトライデント・スタジオも使用されている。当スタジオには8トラックのレコーディング・デッキが設置されていたため、一人でのオーヴァーダブが容易になった。よってメンバー4人が揃って演奏に参加する必要もなくなり、全員が参加している楽曲は全体の半分にも満たない。故に「ソロ作品の集まりみたいだ」という評価にもつながることになる。

本アルバムのレコーディングの最中に、ポールの指示通りにドラムスがプレイできず、疎外感を覚えたリンゴは約2週間の「脱退」を経験している。その間、彼はピーター・セラーズのヨットでのんびりと過ごした。この時に後の「Abbey Road」に収録される「Octopus's Garden」が作られている。

ポールとリンゴの関係だけでなく、本アルバムのレコーディング時はかなり悪い雰囲気が漂っていた。自分は必要とされていない、と感じているリンゴ、すでにザ・ビートルズには執着がなくなり、ヨーコしか目に入らないジョン、リーダーシップを発揮してなんとかまとめようとするポール、そしてそんなポールに反発するジョージ。図式としてはこのような雰囲気の中でレコーディングは進められ、そんな雰囲気に耐えられず、エンジニアのジェフ・エメリックは途中で離脱している。

ジョージは「ポールはいつも手を貸してくれた。自分のが10曲ほど出来上がったあとならね。それでようやく、僕のを1曲手伝ってくれるのさ。そんなのばかげているだろう。実際、すごく身勝手な話じゃないか」と語っている。

ジョンはレコーディング・スタジオに当然のようにヨーコを連れてきており、これが他のメンバーの癪に障った。ある日、プレイバックを聴いていた場にヨーコがおり、ジョンが何気なく「これ、どう思う」と訊ねるとヨーコは「かなりいいと思うけど、もう少しテンポが速い方がいいんじゃない」と答えた。スタジオにいた全員はその場で凍りつき、ジョンですらショックと恐怖が顔に浮かんだという。ジェフはその時のことを思い出し「ヨーコがザ・ビートルズに口出しをしたその時点で、ザ・ビートルズの崩壊は始まった」と語っている。

マーティンは「ヨーコがスタジオに来て、常にジョンのそばにいた。彼女が病気になったとき、ジョンはスタジオにベッドを持ち込み、そこにヨーコを寝かせたんだ。ふたりの精神は完全に一体化していた」と語っている。

ジョージは「ヨーコはまさしく僕らの中に踏み込んできた、というよりジョンがヨーコと一緒に踏み込んできた。ジョン以外誰も知らない人がスタジオに来たのは初めてだった。常に彼女がいるってのはとても妙な気分だった。僕は居心地が悪かったよ」と語っている。

ポールは「ヨーコはジョンにいくつものアートの道筋を示したんだと思う。僕らにとって困ったことは、そのことが僕らが築き上げてきた組織を壊し始めたってことだ。ジョンはヨーコなしではいられなくなっていた。でも彼女がアンプの上に座るのはとても不愉快だった。『ボリュームを上げてもいいでしょうか』とか『アンプから降りていただけませんでしょう』とかどういう風に言えばいいのか全くわからなかった。ジョンがグループを離れたのは2人の障害になるもの全てを清算するためだったんだろう。何といっても僕らはザ・ビートルズだ。まるで僕らが彼女の家来になったみたいで、とても変な感じだった。『ホワイト・アルバム』はそんなぎくしゃくした状況の中で作られたんだ」と語っている。

リンゴは「スタジオにしょっちゅうヨーコがいるというのは、北部的な人間の僕らにはありえないことだった。僕ら4人の関係は密接で、家族のようなものだったから、ヨーコの登場は緊張を生んだんだ。ジョンはそうじゃなくても、僕らは他人からの度を越した干渉が大嫌いなんだ」と語っている。

ジョンは「ポールは常に丁寧にヨーコに近づいては『もう少しうしろに控えていてはどうですか』と言った。僕の目の届かないところで行われていたから、何がどうなっていたのかは僕にはわからなかった。僕らは愛の喜びに輝いていた。まわりはみんな、このセッションで彼女は何をするつもりなんだろうと、ビリビリしていた。いつも一緒にいたいというカップルだったというだけなのにね。まわりにはなんとも異常な空気が流れていたんだ。」と語っている。

外部ミュージシャンも多数参加しており、特にエリック・クラプトンの参加は有名。また女性ヴォーカルの参加(ヨーコ・オノとリンゴの妻のモーリーン)もザ・ビートルズ史上初めてである。

外部ミュージシャンの一人で、アップル・レコード所属のソロ・アーティストでもあるジャッキー・ロマックスは「彼らは思いつく限りのフィーリングで、ひとつの曲を演奏していた。テンポを速くしてみたり、遅くしてみたり、4分の3拍子、4分の4拍子、8分の6拍子にしてみたり。あらゆることを試そうとするあまり、時にはクレイジーな感じになったりしながらね。奇妙だったよ。そうやって、意味のない部分や、やりすぎてるところを削っていくって感じだった。そういう風にやれたのも、時間の制約なんてなかったからさ」と語っている。

ポールは後に「このアルバムは脈絡がないだとか、ソロばっかりだとか言われるけど、後から言うのは簡単さ。ビートルズのホワイト・アルバムだぞ。黙れってんだ」と語っている。

またポールは「ホワイト・アルバムは……。緊張のアルバムだね。僕らはみんなサイケデリックな状況の真っ只中にいた。もしくはそこを出てきたばかりだった。いずれにしても、奇妙な状況さ。ベッドの置いてあるスタジオでレコーディングしたことなんかなかったし、ビジネスの話だのなんだので、ひっきりなしに人が訪ねてくるし。やたらに衝突していたね。あれは最高に奇妙な経験だった。だって僕らは解散しようかてときで、それだけでもじゅうぶん緊張しきっていたんだから」
と語っている。

ジョンは後に「曲はそれぞれ、僕とバック・グループ、ポールとバック・グループという感じだった。そのやり方はなかなか楽しめたが、しばらくして僕らは解散したんだ」
「僕はいつも2枚組アルバムのほうが好きだと言い続けてきたんだ。僕の音楽は2枚組のほうがベターだからね。あそこじゃ生の自分が出てる。プロデュースはそれほど気に入っていないけれど」
「このアルバムに収録されている僕の曲はシンプル&プリミティヴ。『Sgt. Pepper's ~』とは正反対だけど、僕はいつでもこっちの方が好きだ」と語っている。

ジョージは「4面もやるというのは、ある意味失敗だったと思う。あれだけのヴォリュームだと、普通のリスナーにはなかなか入り込めないからね。僕は主に1面を聴いている。あれはすごく好きだな」と語っている。

リンゴは「バンドのメンバーとして考えると、僕はホワイト・アルバムのほうが『Sgt. Pepper's ~』よりいいって感じがする。最後のほうではまた本来のバンドらしさが戻ってきたからね。『Sgt. Pepper's ~』と違ってオーヴァーダブもそんなんい多くはないし。なにしろ『Sgt. Pepper's ~』の時の僕らはオーケストラとかいろいろ入ったせいで、基本的に自分だちのアルバム用のセッション・グループだったんだ」と語っている。

アメリカの音楽評論家、レスター・バンクスは「ロックの歴史上、初めて4人のソロ・アーティストからなるひとつのバンドが作ったアルバムだ」と語っている。

映画監督のスティーヴン・スピルバーグは「僕はザ・ビートルズのファンじゃなかったんだ。自分で見つけた音楽じゃなかったからさ。でもこの「ホワイト・アルバム」を聴いて改宗したんだ」と語っている。

収録曲概説

● Back In The U.S.S.R.
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「ビーチ・ボーイズのパロディのつもりで書いた。それにチャック・ベリーの『Back In The U.S.A.』、そのあたりから取ったんだ。グルジアの女の子たちが、カリフォルニアみたいな感じでウクラナイのような場所について話すというアイディアが気に入ってね」「ジェリー・リー・ルイスのように歌おうとしたんだ」
*ジェリー・リー・ルイス:ロック・アンド・ロールのオリジネイターの一人。
ザ・ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴは、1968年初頭にポールと一緒にインドにいたときに、コーラスのアイディアを提供している。

ジョン「ポールが書いた。ちょっとは手伝ったかもしれないけど」
ポール「これは、海を越えて手をつなぎ合うってことでもある。それについては今も意識してるよ。だって向こうも僕らが好きなんだ。たとえクレムリンのお偉いさんがそうじゃなくても、子供たちはそうさ。そして、そのことは、人類の未来にとっても重要なことに思えるんだ」

この曲のレコーディングが始まった1968年8月22日から9月3日まで、リンゴは「自分は必要とされていない」と感じ、ザ・ビートルズを「脱退」している。よってこの曲のドラムはポールが叩いている。
ポール「『Back In The U.S.S.R.』のドラムをこなせなくて、僕が代わりにやったときには、リンゴもかなりカチンときていたはずさ。他人がうまくできないことをちゃんとやってのけるというのは、奇妙なもんだよ。はったりをかけているみたいな感じで。『なんだよ、少なくとも助けにはなっているだろ』ってね。で、そこにパラノイアが入り込んでくると『あいつに見せつけてやる!』ってなる。そのあたりにはすごく気をつかったな」

ザ・ビーチ・ボーイズのメンバー、ブライアン・ウィルソン「誰かが何かいうまで、この曲がザ・ビーチ・ボーイズのパロディだなんて、ちっとも気が付かなかった。すごく愛すべき曲だと思うよ」

「U.S.S.R.」とは「Union of Soviet Socialist Republics」(ソビエト社会主義共和国連邦)のこと。1922年から1991年までユーラシア大陸に存在していた国。2018年現在、この国は地球上には存在しない。

モノラルとステレオではジェット音のサウンド・エフェクトの挿入箇所に違いがある。また、ステレオは間奏中に掛け声が入ってくるが、モノラルでは全てカットされている。

*レコーディング詳細
1968年
・8月22日
第1~第5テイクをレコーディング。
・8月23日
第5テイクにオーヴァー・ダブ。第5テイクをテープ・リダクションして第6テイクを作成。第6テイクにオーヴァー・ダブ。
*オーヴァー・ダブの詳細は不明だが、ジョンとポールによるドラムス、ポールとジョージによるベース、ジョンとポールによるギター、ポールのヴォーカルとピアノ、ジョンとジョージによるビーチ・ボーイズ風のバック・ヴォーカル、手拍子がオーヴァー・ダブされている。
第6テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月13日
第6テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Dear Prudence
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「インドで書いた。ミア・ファローの妹についての曲だよ。彼女、長時間瞑想しすぎたせいで、ちょっとおかしくなっていたらしく、僕らが泊まっていた小さな山荘から出てこられなくなってたんだ。彼女を連れ出す役に選ばれたのが僕とジョージだった。僕らなら信用してるだろうからってね」
ポール「ジョンが歌って聞かせたらよくなった。瞑想より誰かと話す必要があったんだ
*ミア・ファローはアメリカの女優。彼女の妹がプルーデンス・ファロー(当時20歳)で、この曲の主人公。二人とも1968年にマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのアシュラムで、超越瞑想を学ぶために、ザ・ビートルズとインドを訪ねている。

この曲もリンゴ不在の間にレコーディングされたので、ポールがドラムを叩いている。

この曲でジョンがプレイしているスリー・フィンガー・ピッキングは、インドでドノヴァンが教えている。

2016年、米ローリング・ストーン誌にプルーデンス・ファローのインタビューが掲載された。少し長くなるが、以下に引用しておく。

有名な『ホワイト・アルバム』の曲の主人公、プルーデンス・ファロー・ブランズがマハリシやビートルズとの活気ある日々を回想する

1968年1月、当時20歳のプルーデンス・ファローは、インドのリシケーシュでマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの下で瞑想を学ぶという2年がかりの夢をようやくかなえた。姉で女優のミアに付き添われて現地入りしたファローの後に到着したのは、他でもないビートルズメンバーとその恋人たちだった。ビートルズのインド滞在は記録されている通りだが、4人はマハリシの下で悟りを目指しただけでなく、曲を書き、一般的に『ホワイト・アルバム』として知られているセルフタイトルの2枚組アルバムを制作し、その年の終わりにリリースした。

ファローは、合宿所でビートルズを取り巻いていた喧噪にのまれることなく、自室で長時間の瞑想に集中していた。1つのことに熱心に向かう彼女の姿はジョン・レノンにインスピレーションを与え、レノンは『ディア・プルーデンス』(ローリングストーン誌が選ぶ最も優れたビートルズの曲ベスト100で63位)を書き、後に『ホワイト・アルバム』に収録した。レノンはプレイボーイ誌のインタビューにこの曲について語り、記事はレノンの死後1981年に世に出た。レノンによると、ファローは「滞在先の小屋から出て来なかったので、僕らは彼女を外に引っ張り出したんだ。3週間こもりきりで外に出ようとしなかったからね。彼女は誰よりも先に神様を見つけようとしていた。マハリシの合宿所では、誰が先に宇宙的な体験ができるか競っていたんだよ。」

映画監督兼脚本家のジョン・ファローと女優モーリン・オサリヴァンの娘、プルーデンス・ファローの10代は波乱に満ちていた。精神的に満たされたいという願いは、やがて彼女を瞑想とマハリシの世界に導いた。現在プルーデンス・ファロー・ブランズは、結婚し子供を持ち、フロリダで超越瞑想を教えている。近年出版した回想記『Dear Prudence: The Story Behind the Song』には、ハリウッドでの幼少期からインドを訪問した時代までが記されている。今回ファローは、合宿所でのビートルズとの思い出や『ディア・プルーデンス』を初めて聞いた時のこと、そして半世紀に渡ってこの曲が彼女にとってどのような存在だったか、ローリングストーン誌に語った。

ーなぜマハリシに会わなければならないと思ったのですか?

この瞑想法を広めたのが彼だったからです。この方法を本当に説明できるのは発信者である彼だけでした。マハリシの下で学びたいと思うようになってから2年も経っていたので、実際に会えた時に自分がどのような反応をするのか全く分かりませんでした。その時私が感じたのは、この上ない平穏と静寂でした。瞑想の時にもそのような感覚はありましたが、それを遥かに超える素晴らしい瞬間でした。私は地面に泣き崩れました。

ービートルズもインドに行くことになっていたことは知っていましたか?彼らはあなたとミアが到着した少し後にリシケーシュの合宿所に着きました。

知っていました。私はずっとインドに行こうとしていました。ミアが私に電話をくれて、自分も行きたいけれどビートルズも行くようだと言いました。ビートルズは1967年の夏に瞑想を始めていました。ビートルズの発信力はすごかったので、グル、インド、マントラといった言葉や考え方はたちまちメディアに乗るようになりました。ニュースにもなりました。自分のことで精いっぱいだった私は、周りで起きていることに気をとられることはありませんでした。

ー合宿所でのビートルズとの交流はどのようなものでしたか?特に現地に長く滞在していたジョンとジョージとはいかがでしたか?

彼らのことは好きでした。様々な点で私と考え方が同じでした。ビートルズは、当時人々が経験していたこととほとんど同じことを経験し、普通の人たちと同じことを言っていました。地に足がついていました。本にも書きましたが、マハリシはビートルズが静かに過ごせるよう、専用の食堂を準備しようとしましたが、彼らは「みんなと一緒に居たいし、同じように扱ってほしい」と言っていました。

ーかなり瞑想に打ち込まれていましたね。ご自分の部屋で1日8時間も取り組まれていました。

それ以上でした。5日間ぶっ通しで瞑想し、トイレにも行かず、寝ることも食事をとることもしませんでした。私がどんなに真剣だったか、マハリシはその時知ったようです。講座に参加していた年上の人たちは睡眠をとっていましたし、屋根の上で日光浴をし、散歩にも行っていました。少し極端な人たちは大勢いましたが、私はその中の一人でした。保護者の監視の目が届かないのをいいことに、とことん打ち込みました。

ー瞑想にのめり込むあなたを見て、ジョンは『ディア・プルーデンス』を書きました

そのとおりです。恐らくジョンは、私が部屋に長時間こもった後、またはその直前にこの曲を書いたのでしょう。私は初めから自分の目標を達成することにしか興味がありませんでした。つまり、自分の中の闇を一掃し、健康を取り戻し、現実を生きられるようになりたかったのです。瞑想すればそうなることは分かっていましたが、どのようにそれが可能なのかは理解していませんでした。

ービートルズは滞在中に曲を書き、演奏をしていたことは知っていましたか?

ええ、毎日午後になるとジョンのギターの音が聴こえてきました。2、3時間位ギターを練習したり、様々な音やメロディーを試していました。ある晩、確かジョンとジョージが(ポールは来ませんでした)私の部屋に来て、『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』を演奏してくれました。

ー別の部屋に移動したかったと書かれていますが、彼らは瞑想の邪魔になっていましたか?

そうですね、講義に参加していた他の参加者は全員が瞑想にふさわしい静かな小屋に滞在していました。私たちの小屋は「セレブ用ブロック」ということになっていて、ビートルズだけでなく他にもセレブやその関係者が滞在していました。夜はジョンとジョージ(滞在期間中はポールも)がドアの外のベランダで他の人たちと一緒にジャムセッションをしていました。

ービートルズに会ってスターの魅力に取りつかれなかったのはなぜですか?

それ以前にも有名人は周囲に居ましたが、あまり興味がありませんでした。正直に言ってビートルズが近くに居ても居なくても、私には関係のないことでした。でも、ジョンとジョージのことは大好きでした。考え方がとても合いましたから。彼らはミュージシャンでありながら、いろいろなことに関心を持っていました。一方私は、たった1つのことにしか興味がなく、それは(合宿所に)滞在し、瞑想の効果を最大限に得ることでした。私は彼らよりずっと極端でした。

ージョンとジョージは講座を修了する前に合宿所を去りました。2人とマハリシの不仲が大々的に報じられましたが、そのことをどのように受け止めましたか?

本当に突然のことだったので悲しかったです。彼らは2ヵ月間1日8時間瞑想していました。彼らが去る姿を見るのは悲しく不快なことでした。何が起こったかは話せません。なんとなくは分かりますが、自分がはっきり知らないことを憶測で話したくありません。ジョンがマハリシに帰ると言った時、私はその場にいました。

ーその後、あなたは『ホワイト・アルバム』を持っていたお母さんから『ディア・プルーデンス』の話を聞きました。お母さんのニューヨークのアパートにご家族で集まって「ウィンクキラー」というゲームをしていた時ですね。

心理ゲームみたいなものです。犯人役にウィンクされたら死んでしまうというゲームで、誰が犯人か予想しながらやります。でもウィンクされると殺されるかもしれないので誰の目も見たくありません。母に全員を「殺す」絶好のチャンスが訪れました。母は、皆のところを回って次は『ディア・プルーデンス』がかかると言いました。そしてレコードをかけました。皆に聴くよう促しながら、実は全員を殺していました。曲がかかっている間、母は私の前に来て、「素晴らしい曲よね?」と言うので顔を上げたらウィンクされました。

ー曲の中でジョンがあなたをどう描いたか、最初は不安だったそうですね。

ジョンは実に聡明で、ものすごく面白い人でした。他者を見る目も鋭いので彼が何を書くかなんて分かるわけがありませんでした。見当もつきませんでした。ジョンは何でも書くことができました。私にとってうれしかったのは、ジョンが私のプライバシーを最大限尊重してくれたことでした。

ー今、この曲をどう思いますか?

この曲には、60年代とはどういう時代だったかが凝縮されています。とても前向きで、実に美しい歌詞です。重要な曲だと思います。ビートルズの曲の中で一番不人気で、分かりづらい曲だと思っていましたが、インドでの講座の雰囲気や、私たちが静寂の中で瞑想を体験した、インドという土地のエキゾチックなところを捉えていると思います。

出典: rollingstonejapan.com

プルーデンス・ファローとマハリシ・マヘーシュ・ヨーギー。

*レコーディング詳細
1968年
・8月28日
第1テイクをレコーディング。
・8月29日
第1テイクにポールのベース、ジョンのヴォーカル、バック・ヴォーカル、手拍子、タンバリンをオーヴァー・ダブ。
・8月30日
第1テイクにオーヴァー・ダブ。
*オーヴァー・ダブの詳細は不明。
・10月5日
第1テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・10月13日
第1テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Glass Onion
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「あれを書いたのは僕だよ。単なる捨て曲さ。『The Walrus was Paul(あのセイウチはポールだったんだ)』という1行は、みんなをもっと混乱させてやろうと思って入れたんだ」「ジョークだったのさ。僕はヨーコと一緒になってポールから離れかけていたから、あの1行はなかば罪の意識から入れたんだ。僕は僕なりに……なんていうか、これはポールに宛てたすごくへそ曲がりなメッセージなんだよ。『ほら、このささやかなマボロシを受け取ってくれ。僕は出て行くからさ』ってこと」

歌詞の中には、ザ・ビートルズの以下の既存曲が登場してくる。
・Strawberry Fields Forever
・I Am The Walrus
・Lady Madonna
・The Fool On The Hill
・Fixing A Hole

ジョン「『Glass Onion』では随分と笑わせてもらったよ。『Sgt. Pepper's』の時のように、さんざん深読みされたからね。『逆立ちしてこの曲を逆回転で再生すれば、あなたは秘密のメッセージを受け取るだろう』とかさ。おとといメル・トーメがテレビに出ているのを見ていたら、なぜだか僕の曲のいくつかはドラッグの使用を奨励するために書かれたというんだ。けど本当に、そんな曲は1曲もないよ。この曲にしても、僕なりのいいかたで『お前らみんなクソったれ』っていってただけだし」

アップル・レコードからデビューした「Badfinger」は改名前は「The Iveys」であり、新しいバンド名の候補の一つとしてこの「Glass Onion」もあがっていた。

ステレオとモノラルでは間奏に若干の違いがある。
ステレオでは間奏の3回目の「Oh Yeah」と叫ぶ後ろでかすかに高い声の「Oh Yeah」が重なって入ってくるが、モノラルではカットされている。

*レコーディング詳細
1968年
・9月11日
第1~第34テイクをレコーディング。
・9月12日
第33テイクにジョンのヴォーカルとタンバリンをオーヴァー・ダブ。
・9月13日
第33テイクにドラムスとピアノをオーヴァー・ダブ。
・9月16日
第33テイクにリコーダーをオーヴァー・ダブ。
・9月26日
第33テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
サウンド・エフェクトのレコーディングが行われる。
*このサウンド・エフェクトは未使用に終わっている。
・10月10日
第33テイクにエンディングのストリングスをオーヴァー・ダブ。
第33テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Ob-La-Di, Ob-La-Da
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
曲のタイトルはナイジェリアのコンガ奏者、ジミー・スコットの口癖からとられた。
ポール「クラブでつるんでた男(ジミー・スコット)がジャマイカ訛りで『Ob-La-Di, Ob-La-Da life goes on』とよくいっていたんだ。僕があの曲を作った時は、けっこうムッとしてたけどね。自分の取り分はないのかって。で、僕は『なあジミー。これはただの言い回しだぜ。そりゃ自分で曲を書いたんなら、印税だって入るだろうけど』といったのさ。彼はこうも言ってたな『Nothing too much just out of sight(すぎたもんなんてねえさ。ただすげえってだけで)』。そういう言い回しに長けた男だったんだよ」

ジョン「たぶん歌詞を2、3行あげたと思うけど、これはポールの曲、彼の歌詞だ」

この作品はレコーディングにやたらと手がかかった。おかげで他のメンバー、特にジョンとジョージはうんざりしていた。
セカンド・エンジニアのリチャード・ラッシュ「『Ob-La-Di, Ob-La-Da』を4、5晩やったあと、ジョンがまるっきりぼうっとした状態でセッションに現れました。なにかクスリをやっていたんでしょう。『オーライ! 『Ob-La-Di, Ob-La-Da』をやろうぜ』というと、まっすぐにピアノに向かい、これ以上は出せないというぐらいの音で、今までやっていたより2倍も速くキーを叩いたんです。『これでいいだろ! ええ?』って。彼は本当にイラついていました。でも結局使われたのはそのヴァージョンだったのです」。

ジョンの友人のピート・ショットンはこんなやりとりを書きとめていた
(ようやく完璧な演奏だと思えるものが終わったあとで、ポールがいきなり笑い出した)
ポール「ああ、くそ! もう1回やり直さなきゃならない」
ジョン「そうか、オレはオーケーだと思うぜ」
ジョージ「そうだよ。完璧だったよ」
ポール「だけど君らは気が付かなかったのか?」
ジョン「気が付くって、何に?」
ポール「僕は『デズモンドは家で可愛い顔にお化粧をする』って歌ったんだ。本当は『モリー』って歌うべきところを」
ここでジョージ・マーティンがテープをプレイバックし、たしかに間違って歌っていることを確認する。
ポール「まあ、聞いた感じは悪くないし……。そのままにしておこう。ちょっとした混乱を作っておこうよ。みんなデズモンドは両刀使いか女装趣味なのかって不思議がるだろう」
*このエピソードに関しては、ジョンが「その方が面白いからそのままにしておけ」と言った、と書いている書籍もある。

イギリスのロック・バンド、ザ・ポリスのドラマーだったスチュワート・コープランド「曲全体のリフは歌詞とメリハリに合わせて決定すべきなんだ。『Ob-La-Di』にアクセントがあり、『Ob-La-Da』にアクセントがあって、『life goes on』のあたりでスカっぽい感じになってくる。この歌詞には、はっきりした韻律があるし、それがおそらくは最終的にスカのビートで演奏した理由になっているんじゃないかな。事実、これはホワイト・レゲエの先駆け的な作品だからね」

モノラルとステレオではイントロに違いがある。
ステレオはイントロに手拍子が入るが、モノラルではカットされている。

*レコーディング詳細
1968年
・7月3日
第1~第7テイクをレコーディング。第7テイクにポールのヴォーカルとアコースティック・ギターをオーヴァー・ダブするが、第4テイクの方がベーシック・リズムが良かったためこちらをベストとし、アコースティック・ギターをオーヴァー・ダブ。
・7月4日
第4テイクにポールのヴォーカルと、ジョンとジョージのバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。第4テイクをテープ・リダクションして第5テイクを作成。第5テイクにポールのヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
・7月5日
第5テイクにサックス、ボンゴ、ピッコロ(すぐに不要ということでギターを被せる形でオーヴァー・ダブして消されてしまう)をオーヴァー・ダブ。
・7月8日
第1~第12テイクをレコーディング。リメイクということで第1テイクからやり直されている。第12テイクをテープ・リダクションして第13テイクを作成。第13テイクにポールのヴォーカル、バック・ヴォーカル、マラカスなどのパーカッションをオーヴァー・ダブ。
第13テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングはポールの持ち帰り用に作成された。
・7月9日
第20~第21テイクをレコーディング。再リメイクということでテイク番号が繰り上がっている。結局、この2テイクは未使用に終わっている。第13テイクにオーヴァー・ダブ(詳細は不明)。第13テイクをテープ・リダクションして再22テイクを作成(再リメイクの続きの番号が使用された)。第22テイクに手拍子、ヴォーカル、パーカッションをオーヴァー・ダブ。
・7月11日
第22テイクにサックスとベースをオーヴァー・ダブ。第22テイクをテープ・リダクションして第23~第24テイクを作成。第23テイクにオーヴァー・ダブ(詳細は不明)。
第23テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングはポールの持ち帰り用に作成された。
・7月12日
第23テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングはポールの持ち帰り用に作成された。
・7月15日
第23テイクにポールのヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
第23テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・10月12日
第23テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Wild Honey Pie
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
1分に満たない楽曲で、演奏もバック・コーラスもすべてポールが一人で行っている。
ポール「これはどうするのかはっきりしない、インストゥルメンタルの断片だったんだけど、パティ(ハリスン)が大好きだというんで、アルバムに入れておくことにした」

*レコーディング詳細
1968年
・8月20日
第1テイクをレコーディング。
第1テイクを元にモノ・ミキシングが行われている。
*マーク・ルイソン著による「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」では第26テイクを元にミキシングが行われていると記述されているが、第1テイクの誤りだと思われる。
・10月13日
第1テイクを元にステエオ・ミキシングが行われている。

● The Continuing Story Of Bungalow Bill
ジョンの曲でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「マハリシの瞑想キャンプにいた男のことを書いたんだ。その男はちょっと休みを取って何頭か哀れな虎を撃ちに行ったかと思うと、その後でまた神との対話を始めたのさ。それと昔ジャングル・ジムというキャラクターがいてね。そいつをバッファロー・ビルと合体させてみた。一種のティーンエイジャー的なメッセージ・ソングで、同時にちょっとしたジョークでもある」
*ここで語られている男はリチャード・クックという名前であった。

「not when he looked so ferce」の1行はオノ・ヨーコがソロで歌っているが、これはザ・ビートルズの作品に初めて収録されたソロの女声ヴォーカルになった。バック・ヴォーカルにはオノ・ヨーコ以外にもリンゴの妻だったモーリーンも参加している。

イントロで使用されているスパニッシュ・ギターは、メロトロンのフレーズ・サンプルに収録されていたもの。「The Beatles Box (リヴァプールより愛を込めて ザ・ビートルズ・ボックス)」にはこのスパニッシュ・ギターと、エンディングのジョンの掛け声がカットされたヴァージョンが収録されている。

*レコーディング詳細
1968年
・10月8日
第1~第3テイクをレコーディング。
・10月9日
第3テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● While My Guitar Gently Weeps
ジョージの作品でリード・ヴォーカルもジョージ。
ジョージ「僕は中国の易経の本を1冊持っていて、その基本には、万物はお互いに関係しあっているという、東洋の思想があるように思えた。物事は単に偶然の産物にすぎないという西洋的な見方じゃなく。この考えは北イングランドの両親の家を訪ねたときも僕の頭を去らなかった。僕はどんな本でもいいから、聞いて最初に耳に入ったことがらを曲にしようと心に決めた。それはきっとその瞬間、その時間と関係があるはずだから。僕は適当に本を取り上げ、それを開き、『gently weeps』というフレーズが目に入った。それから本を元に戻して、曲作りに取りかかった。歌詞は最終的にレコーディングする前にいくぶん変えたけど」

この曲のギター・ソロはジョージの友人でもあるエリック・クラプトンが弾いている。
ジョージ「ジョン、ポール、リンゴと一緒にこの曲に取りかかったんだけど、3人とも全然興味を持ってくれなかった。でも僕は内心これはいい曲だと思っていた。次の日、エリック(クラプトン)と一緒になった僕はセッションに向かう途中で言った。『今日はこの曲をやるんだけど、ギターを弾いてくれないか』。彼は『だめだよ。そんなことできないよ。ビートルズのレコードでプレイしたやつなんか誰もいないだろ』と答えた。それでも僕は『なあ、これは僕の曲で、君にプレイしてもらいたいんだよ』といったんだ。で、エリックがやってくると、他の3人もとびきりのプレイを聞かせてくれた。彼がそこにいたからさ。僕もリズム・ギターとヴォーカルに専念できたしね。で、エリックがリードを弾いて、それはもう申し分のない出来だった。そのあとプレイバックを聴いたんだけど、そこで彼が『いいんだけどひとつ問題がある。ビートルズっぽさが足りない』といいだして、それでちょっとしたブレをつけるために、そいつをADT(オートマティック・ダブル・トラッキング)にかけたんだ。あの曲をやったときは、アコースティック・ギターを弾きながらうたった。ポールがピアノで、それにエリックとリンゴ。そうやってレコーディングしたんだ。そのあと、ポールがベースをオーヴァーダビングした」

ジョージは1974年後半に行われたソロ・ツアーでもこの曲を披露している。
ジョージ「エリックがギターを弾いてくれたオリジナル・ヴァージョンも悪くないけど、ある意味で、僕がライヴでやったヴァージョンの方がいいね。つまり、ビートルズ時代は、僕は自分の歌い方がちっとも好きじゃなかった。うまく歌うことができなかったんだ。僕はいつもすごく被害妄想的で、すごくピリピリしてて、それが僕の歌い方を委縮させていた」

モノラルとステレオではエンディングが若干異なる。
ステレオでは、エンディングのフェイド・アウト寸前に「yeah yeah yeah」のヴォーカルが入っているが、モノラルではカットされている。

*レコーディング詳細
1968年
・7月25日
第1テイクをレコーディング。
・8月16日
第1~第14テイクをレコーディング。リメイクのため、第1テイクからリスタートしている。第14テイクをテープ・リダクションして第15テイクを作成。
・9月3日
第15テイクをテープ・コピーしてこれを第16テイクとする。これは4トラックのテープを8トラックのテープにコピーする作業であり、ザ・ビートルズがEMIスタジオで初めて行う8トラックのレコーディングでもあった。
第16テイクにジョージが逆回転のギラー・ソロをオーヴァー・ダブ。
・9月5日
第16テイクにジョージのヴォーカル、マラカス、ドラムス、ギターをオーヴァー・ダブ。これまでのレコーディングに関し、ジョージは納得がいかなかったため、全てを破棄。リメイクとして第17~第44テイクをレコーディング。
・9月6日
第25テイクにエリック・クラプトンのギターをオーヴァー・ダブ。
・10月7日
第25テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。
*この日のミックスはモノ、ステレオ共に使用されなかった。
・10月14日
第25テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Happiness Is A Warm Gun
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「銃の雑誌がその辺りにあって、表紙は発射直後の銃の写真だった。記事のタイトルが『Happiness is a warm gun』でね。中身は読まなかったけど」「僕は思ったね。『なんて素敵で、イカれたことをいうんだろう』。だってあったかい銃ってのは、たった今何かを撃ったってことだろ」「感じの違う3つの曲から少しずつ取って、あらゆるタイプのロック・ミュージックを盛り込もうとしたんだ」「僕の傑作の一つだと思う。きれいな曲だし、その中で起こっていることもみんな大好きだ」「みんなドラッグについての歌だというけど、ドラッグよりもロックンロールのことを歌ってるのさ。一種のロックンロールの歴史なんだ。なんでみんなヘロイン注射のことを歌っているというんだろうね。一度だけ誰かが注射で何かやっているのを見たことがあるけど、あんなの見るだけでもいやだね」
ポール「この曲は『The Beatles(アルバム)』の中でも特に気に入っている」

ロナルド・レーガン元大統領の息子、ロン・レーガン「昔、13歳くらいのころ、姉のパティからホワイト・アルバムを借りたんだ。僕が『Happiness Is A Warm Gun』を聴いているのを母親が聞きつけて、あたふたしていたのを覚えている。母親は随分とこの曲のことを気に病んでたね」

三部構成となっているが、第三部の「When I Hold You」のパートでは、ドラムスが4分の4拍子でリズムをキープする中、他の楽器や歌は4分の3拍子で進む。

モノラルとステレオではヴァージョンが異なる。
ステレオでは、「I need a fix」に入る前に「down」という声がフェイドインしてくるが、モノラルにはない。
「Mother superior jump the gun」の繰り返し部分のバック・コーラスがステレオでは2回目から入ってくるが、モノラルでは3回目から入ってくる。

*レコーディング詳細
1968年
・9月23日
第1~第45テイクをレコーディング。
・9月24日
第46~第70テイクをレコーディング。
・9月25日
第53テイクと第65テイクを編集、これを第65テイクとする。第65テイクにジョンのヴォーカル、ジョン、ポール、ジョージによるバック・ヴォーカル、オルガン、ピアノ、チューバ(リミックスで削除されている)、スネア・ドラム、タンバリン、ベースをオーヴァー・ダブ。
第65テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・9月26日
第65テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月15日
第65テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Martha My Dear
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
「マーサ」とはポールが飼っていたシープドッグの名前。
ポール「ピアノのレッスンで習うような曲として生まれた。僕のピアノの演奏レベルを超えたものだったから、弾くのはかなり難しいんだ」

*レコーディング詳細
1968年
・10月4日
第1テイクをレコーディング。第1テイクにブラス・セクションをオーヴァー・ダブ。
・10月5日
第1テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● I'm So Tired
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「これを書いたのは僕だ。これもまたインドにいたときに書いた。眠れなくてね。1日じゅう瞑想して、夜になると眠れなかったんだ」「大好きなトラックのひとつ。とにかくサウンドがいいし、うまく歌えている」

*レコーディング詳細
1968年
・10月8日
第1~第14テイクをレコーディング。
・10月15日
第14テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Blackbird
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。ジョンも1行だけ手助けしている。
ジョン「あの曲には歌詞を1行提供しているよ」

ポールは、1968年半ばに起きたアメリカの人種差別に反対する暴動を報じた新聞記事に触発され、黒人公民権闘争のメタファーとしてこの曲を書いている。
曲に関してはジョージが弾いていたバッハの「リュート組曲第1番」の「ブーレ」をヒントにしている。

モノラルとステレオでは、小鳥のさえずりのサウンド・エフェクトの挿入箇所が若干異なる。またエンディングではステレオの方が少し長くさえずっている。

バッハ:リュート組曲第1番「ブーレ」

*レコーディング詳細
1968年
・6月11日
第1~第32テイクをレコーディング。
第32テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・10月13日
第32テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Piggies
ジョージの作品でリード・ヴォーカルもジョージ。ジョンが歌詞の少し、そしてジョージの母親、ルイーズ・ハリスンの助言も得て完成させている。
ジョージ「『Piggies』は社会的なメッセージ・ソングだ。僕が途中に入れる1行に詰まっていると、母親が『What they need is a damn good whacking (たっぷりぶん殴ってやる必要がありそうだ)』という歌詞を考え付いた。これはつまり、奴らにはたっぷりお仕置きをする必要があるということで、それをごくシンプルに表現したわけだ。『backing』それに『lacking』と韻を踏む必要もあったし、一方でアメリカの警官やカリフォルニアのイカれた連中とはまったく関係のない言葉でなきゃならなかった」
ジョン「ジョージには、フォークとナイフでベーコンを食べるってくだりをあげたんだ」

ハープシコードを使用するというアイディアはエンジニアのクリス・トーマスによるもので、クリス自身がプレイしている。

モノラルとステレオでは、豚のなぎ声のサウンド・エフェクトの挿入箇所や回数が若干異なる。

*レコーディング詳細
1968年
・9月19日
第1~第11テイクをレコーディング。
・9月20日
第11テイクをテープ・コピーしてこれを第12テイクとする。これは4トラックのテープを8トラックのテープにコピーする作業である。第12テイクにジョージのヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
・10月10日
第12テイクにストリングスをオーヴァー・ダブ。
・10月11日
第12テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Rocky Raccoon
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「好きなトーキング・ブルースで初めて、ウェスタンを皮肉ってパロディにした」
ジョン「ポールが書いた。ミエミエだろ? この僕がわざわざギデオン聖書なんてものの曲を書くと思うかい?」

ポールはインドのマハリシのキャンプの屋上で、ジョンとドノヴァンと3人でギターを弾いているうちに、この曲のアイディアを思いついている。

ジョンがハーモニカを吹いているが、ザ・ビートルズの楽曲ではこれがジョンの最後のハーモニカ演奏となった。

モノラルとステレオでは、ハイハットが入ってくるタイミングが異なる。
ステレオでは1回目のサビの「Only to find Gideon's Bible」の直後から入ってくるが、モノラルは次の「Rocky had come equipped with a gun」の終わり辺りからフェイド・インしてくる。

*レコーディング詳細
1968年
・8月15日
第1~第9テイクをレコーディング。第9テイクをテープ・リダクションして第10テイクを作成。第10テイクにジョンのハーモニカ、マーティンのホンキー・トンク・ピアノ、ジョン、ポール、ジョージのバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
第10テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月10日
第10テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Don't Pass Me By
リンゴの作品でリード・ヴォーカルもリンゴ。リンゴにとって初の単独作品となった。
リンゴ「僕の曲は、すでにある曲の歌詞をちょっと変えただけっていうシロモノばかりでね。他の3人は喜々として元ネタの曲を指摘してくれたよ」「気に入ってるね。僕の最初の曲なんだ。完成させるのにドキドキしたよ」

フィドルを弾いているのはジャズ・ベーシストでもあり、プロモーターでもあるジャック・ファロン。彼はザ・ビートルズがEMIのオーディションを受ける約10週間前の1962年3月31日、南イングランドのストラウドでのギグの出演契約を取りまとめた人物であった。
ジャック・ファロン「普通カントリー・フィドルはダブル・ストップ(2本の弦を弓で鳴らす複音を多用する奏法)で演奏するものだけど、アレンジを担当したジョージ・マーティンとポールはシングル・ノートでやってくれと言ったよ。ダブルでは元々彼らが欲しがっていたようなカントリー・サウンドにはならなかった。 それで彼らも満足したようだ。リンゴもその場にいて、自分の曲に目を光らせていたよ」。
リンゴ 「あのクレイジーなバイオリニストのプレイを録音した時には、ぞくぞくしたよ」。

そのフィドルはモノラルとステレオでエンディングの演奏が異なる。また、ステレオに比べモノラルの方が回転数が速く収録されている。

*レコーディング詳細
1968年
・6月5日
第1~第3テイクをレコーディング。第3テイクをテープ・リダクションして第4~第5テイクを作成。第5テイクにリンゴのヴォーカルをオーヴァー・ダブするが、ポールのベースのオーヴァー・ダブに置き換えられる。第5テイクをテープ・リダクションして第6テイクを作成。
・6月6日
第5テイクのポールのベースを消し、リンゴのヴォーカルをオーヴァー・ダブ。第5テイクをテープ・リダクションして第7テイクを作成。第7テイクにポールのベースをオーヴァー・ダブ。
第7テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このミキシングはラフ・リミックスであり、マスターとしては使用していない。
・7月12日
第7テイクにジャック・ファロンのヴァイオリン、ポールのギター、リンゴのピアノをオーヴァー・ダブ。
第7テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・7月22日
オーケストラ、及びピアノの編集用パートの第1~第4テイクをレコーディング。
・10月11日
第7テイク、及び編集用の第4テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Why Don't We Do It In The Road?
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
レコーディングにはポールとリンゴのみが参加している。
ジョン「あれはポールだよ。別の部屋で、ひとりきりでレコーディングした。それがあのころのやり方だった。僕らがスタジオ入りすると、彼はレコードをまるごと完成させている。ドラムもピアノも歌もみんな彼。ジョージのことは話せないけど、ポールが僕らをそっちのけにして何か仕上げてしまったときは、いつも傷ついていたんだ。でもそれがそのころのやり方だったのさ」
ポール「ジョンが公けに傷ついたと言及したのは、あれが思い出す限りでは唯一のケースだった。つまり僕がリンゴと二人で『Why Don't We Do It In The Road?』をやったときのことだ。意図的にやったんじゃない。ジョンとジョージは何かの仕上げにかかっていて、僕とリンゴはフリーだった。ただぶらぶらしているだけだったんだ。だからリンゴに『行こうよ。これをやろうぜ』といったのさ。僕はジョンがあとでこの曲を歌っているのを耳にした。この曲が好きだったし、だから一緒にやりたかったんだろう。とてもジョンらしい曲だったからね。それで彼は気に入ったんだと思うよ。すごくジョン的だ。アイディアもね。僕の感じじゃない。僕にジョンが飛び火してできた曲なんだよ。でも『Revolution 9』の時は、彼も同じことをやったんだ。彼は一人で、僕抜きであれを作った。なのに誰もそのことは口にしない。今や彼はナイスガイで、僕はロクデナシなのさ」

ジョンは「Let It Be」のセッションの間、「Why don't you put it on the toast (そいつをトーストにのせようぜ!)」という替え歌を歌っていた。

ステレオにはイントロに手拍子が入っているが、モノラルではカットされている。

*レコーディング詳細
1968年
・10月9日
第1~第5テイクをレコーディング。
・10月10日
第5テイクにヴォーカル、手拍子、ベース、ドラムスをオーヴァー・ダブ。第5テイクをテープ・リダクションして第6テイクを作成。第6テイクにポールのギターをオーヴァー・ダブ。
・10月16日~17日
第6テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● I Will
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「メロディだけで完璧な作品。たまには運よく素晴らしいメロディができることがある。インドでドノヴァンが気に入ってくれた」

ポールは口でベースの音を出している。モノラルとステレオではその「口ベース」が入ってくるタイミングが異なる。ステレオでは出だしの「knows」の後からすぐに入ってくるが、モノラルでは1回目の「I will」の後から入ってくる。

*レコーディング詳細
1968年
・9月16日
第1~第67テイクをレコーディング。第65テイクをテープ・コピーしてこれを第68テイクとする。これは4トラックのテープを8トラックのテープにコピーする作業である。
・9月17日
第68テイクにバック・ヴォーカル、ベースを模したスキャット、アコースティック・ギターをオーヴァー・ダブ。
・9月26日
第68テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月14日
第68テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Julia
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「これは僕が書いた。ヨーコが手伝ってくれた」「ジュリアは僕の母親だ。でもこれはヨーコと母親を混ぜてひとつにした一種の合成だね。インドで書いたんだ」

歌詞の冒頭の部分は、詩人ハリール・ジブランの作品から採られている。
*ハリール・ジブラン:レバノンの詩人。英語読みでは「カリール・ジブラン」。ジョンは1926年の「Sand and Foam」から採っている。
*1926年の「Sand and Foam」の一節は「Half of what I say is meaningless, but I say it so that the other half may reach you」。「Julia」の一節は「Half of what I say is meaningless, But I say it just to reach you, Julia」。

歌詞の一部「seashell eyes, windy smile, calls me」はドノヴァンが手助けをしている。

この曲はザ・ビートルズの楽曲の中で、ジョンが一人でレコーディングした唯一の曲である。

*レコーディング詳細
1968年
・10月13日
第1~第3テイクをレコーディング。
第3テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Birthday
ポールがメインになった作品でリード・ヴォーカルもポール。
ジョン「僕ら二人で書いたんだ。スタジオで書いた。すぐその場でできたんだ。ポールは古い50年代のヒット曲の『Happy Birthday Baby』みたいな曲を書きたかったんじゃないかな」「クズみたいな曲だ」

この曲でプロデュースを務めたクリス・トーマス「ポールが最初に入ってきて『Birthday』のリフを弾き始めた。そのうちに他のメンバーがやってきて、でもその時までに、ポールはきっちり曲を書き終えていた。文字通り、スタジオで完成させてしまったんだ」

バック・コーラスにはパティ・ハリスンとヨーコが参加している。

*レコーディング詳細
1968年
・9月18日
第1~第20テイクをレコーディング。第20テイクをテープ・コピーし、第21~第22テイクを作成。これは4トラックのテープを8トラックのテープにコピーする作業である。第22テイクにオーヴァー・ダブ(詳細は不明)。
第22テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月14日
第22テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Yer Blues
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「インドで書いた。神に近づこうとするあまり、自殺したい気分になってきてね」
ポール「物置のような狭いテープの保管倉庫で肩をくっつけ合いながら演奏したんだ」

タイトルの「Yer」は「Your」のスラング。ジョンはあまり深刻に受け取られるのを嫌い、ポールの勧める「Your」ではなく、軽い感じの「Yer」をタイトルに選んでいる。

歌詞の中の「Dylan's Mr. Jones」とは、ボブ・ディランの楽曲「Ballad Of A Thin Man」に登場する厭世的な男のこと。

冒頭のカウントは1968年8月20日にわざわざ録られており、そのカウントのみをマスターの冒頭に付け足している。「I Saw Her Standing There」と同じようなアプローチである。

*レコーディング詳細
1968年
・8月13日
第1~第14テイクをレコーディング。第6テイクをテープ・リダクションして第15~第16テイクを作成。第14テイクの一部をテープ・リダクションして第17テイクを作成。
第16テイクと第17テイクをつなぎ合わせるテープ編集を行う。
・8月14日
第16、及び第17テイクの編集ヴァージョンにジョンのヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
第16、及び第17テイクの編集ヴァージョンを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・8月20日
編集用パートの第1テイクをレコーディング。内容はリンゴによる冒頭の「ツゥー、スリー」のカウント。
8月14日作成のモノ・リミックスに編集用パートの第1テイクを冒頭に繋げる編集処理を行い、これがモノ・マスターとなる。
・10月14日
第16、及び第17テイクの編集ヴァージョン、編集用パートの第1テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Mother Nature's Son
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「(ナット・キング・コールの楽曲)『ネイチャー・ボーイ』の影響。リンダとは自然を愛する者同士だとわかってね」
ジョン「ポールが書いた。あれはマハリシが自然について話していた時の法話から来ている。僕も『I'm Just A Child Of Nature』というタイトルの曲を作った。それが数年後に『Jealous Guy』になったんだ。二人ともマハリシの同じ法話からインスピレーションを受けたのさ」

テクニカル・エンジニアのアラン・ブラウン「ポールはボンゴに似たサウンドにするために、ドラムにオープンなエフェクトを欲しがったんだ。そこで僕らはスタジオを出て、廊下にドラムを据え、マイクをずっと遠くにセットしました。そのころはカーペットを敷いていなかったので、面白いスタッカート効果が得られましたよ」

エンジニアのケン・スコット「ポールはジョージ・マーティンや管弦楽器奏者と一緒に階下でアレンジをやっていた。すべて順調で、みんな生き生きしていたよ。本当にいい感じだった。すると不意にジョンとリンゴが入ってきて、いきなりナイフで切れそうなくらいにビンと張りつめた雰囲気になった。瞬時にね。そういうのが10分くらい続いたかな。で、彼らが出ていくと、すぐまたいい感じになったんだ。すごく妙な感じだったよ」

*レコーディング詳細
1968年
・8月9日
第1~第25テイクをレコーディング。
・8月20日
第24テイクにオーヴァー・ダブ。第24テイクをテープ・リダクションして第26テイクを作成。オーヴァー・ダブの詳細は不明だが、ドラムス、ティンパニー、アコースティック・ギター、ブラス・セクションがオーヴァー・ダブされている。
第26テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・10月12日
第26テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ザ・ビートルズの楽曲の中で最も長いタイトルが付いている。そのタイトルにある「monkey」についてジョンとポールでは異なった解釈をしている(ジョンの作品なのでジョンの「解釈」という書き方は正しくはないが)。
ジョン「タイトルは単に曲の中のいいと思うところをつけただけだ。僕とヨーコのことだよ。愛で輝いている僕ら二人以外は、みんなパラノイアのように見えてたからね」
ポール「『monkey』のようなヘロイン用語が出てくるようになった。これ以上酷いことになりませんように、と願うしかなかったね」

ジョン「ファッツ・ドミノがこの曲の素晴らしいヴァージョンをやっているよ」

Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey/Fats Domino

*レコーディング詳細
1968年
・6月26日
リハーサルが行われる。
・6月27日
第1~第6テイクをレコーディング。第6テイクをテープ・リダクションして第7~第8テイクを作成。第8テイクにオーヴァー・ダブ(詳細は不明).
・7月1日
第8テイクにオーヴァー・ダブ。第8テイクをテープ・リダクションして第9~第10テイクを作成。第10テイクにオーヴァー・ダブ。オーヴァー・ダブの詳細は不明だが、ポールのベースとジョンのヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
・7月23日
第10テイクにジョンのヴォーカルをオーヴァー・ダブ。第10テイクをテープ・リダクションして第11~第12テイクを作成。第12テイクにバック・ヴォーカルと手拍子をオーヴァー・ダブ。
第12テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・10月12日
第12テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

yamada3desu
yamada3desu
@yamada3desu

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