映画『時計じかけのオレンジ』はなぜカルト映画になったのか

『時計じかけのオレンジ』は、1971年に公開されたスタンリー・キューブリック監督による近未来のイギリスの管理社会を舞台にしたSF映画である。この映画は主人公の暴力的な少年やその仲間たちが繰り広げる凄惨な暴力描写が多くあり、映画館での公開が禁止されたこともある。しかし同時に公開当時から今でも多くの人を惹きつけている映画である。なぜ『時計じかけのオレンジ』は人々から熱狂的な支持を集めるのか、解説する。

『時計じかけのオレンジ』に隠されたメッセージ

「時計じかけのオレンジ」は近未来を舞台にした作品であるが、現代社会がこの近未来に近づいていると考えられる。例えば学生のアレックスが多くの犯罪行為をしているという点。現代社会では、少年犯罪の増加している。そしてアレックスの暴力性の所以は、おそらく彼の家庭環境である。物語中で登場するのは、派手な服装を身にまとった母親、オドオドとしている父親のもとで育ったアレックス。この両親は息子アレックスの本質的は部分を見ようとせず、世間体ばかり気にしている。子供の愛し方が分からず、遠い距離感で接してしまう。現代の乾いた親子関係の典型のように描かれている。
そしてタイトルの『時計じかけのオレンジ』。これは原作者アンソニー・バージェスが一時期住んでいたマレーシア語では人間を『オラン(ORAN)』と読んでいたことに由来する。つまり『時計じかけのオレンジ』とは『時計仕掛けの人間』の意味でもある。時計仕掛けの人間とは、国家の奴隷を指す意味である。アレックスは自身の暴力性の衝動を政府に操作されてしまい、人形状態なってしまう。国家に操れ、空っぽの人形のようになったアレックスこそが時計仕掛けのオレンジであるのだ。
現代社会の問題と重ねて見れるからこそ、「時計じかけのオレンジ」は古びない映画なのである。

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