レベッカ(REBECCA)とは【徹底解説まとめ】

1984年メジャーデビュー。紅一点ヴォーカルNOKKOのパワフル&キュートなヴォーカル、独特のファッションも話題を呼ぶ。4thシングル「フレンズ」は大ヒットし、アルバムもミリオンヒット。大ブレイクするも1991年突然の解散。1995年に1度限りの再結成、1999年「フレンズ」のremixed versionがドラマ主題歌に起用され、翌年再結成。2015年三度再結成し今に至る伝説のバンド。

レベッカ(REBECCA) 概要

デビューに至るまで

デビュー前、まだバンド名もレベッカではない頃、ヴォーカルは男性であり、初代リーダーとなる木暮武彦、そしてNOKKOの兄がメンバーであった。
その後、兄の友人である木暮に誘われ、NOKKOがバンドに参加、「レベッカ」のヴォーカルとなる。まもなく埼玉のコンサートでCBS/SONYのスタッフにスカウトされるが、木暮とNOKKOは突如渡米。アメリカで活動を試みるが長くは続かず帰国。そこへNOKKOのソロデビューの話が持ち上がりオーディションも決定していたが、NOKKOはそれを受けず、レベッカの活動再開を希望する。そしてNOKKO兄もベーシストとして加わり、レベッカは活動再開(しかし、再開1ヶ月後には高橋教之が当時ドラムスの大金ハルヤに誘われ加入しているため、在籍期間は僅かであった)。
その後、大金(ドラムス)、石川(キーボード)が続いて脱退。メンバーが入れ替わり、NOKKO(Vo)、木暮(G)、高橋(B)、小沼(Dr)、土橋(Key)の5名で1984年デビューを迎える。

デビュー後~現在まで

1984年4月21日、シングル「ウェラム・ボートクラブ」でデビュー。翌1985年にリリースされた「ラブ イズ Cash」でブレイクを果たし、同年発売の4thシングル「フレンズ」が大ヒット、同年発売の4thオリジナルアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』が、当時のロックバンドのアルバムとしては異例のミリオンセラーとなる。その後も「RASPBERRY DREAM」「MOON」などヒット曲を連発するも、1990年1月19日に日本武道館で行われたコンサートツアー「BLOND SAURUSの逆襲」の最終公演を最後に、レベッカは活動を休止。翌年の1991年2月14日に解散した。
その後、1995年に阪神・淡路大震災の復興支援を目的として1度限りの再結成を行う。また、1999年放送のフジテレビ系ドラマ『リップスティック』の主題歌として、シングル曲「フレンズ」のリミックスバージョンが起用されたこともあり、翌年、2000年にも再結成。シングルをリリースする。しかしライヴも無く、活動終了のコメントも無い自然消滅のような形で終息した。
メンバーはソロで活動に専念する傍ら、NOKKOのソロコンサートにメンバーをサプライズで招いたりと、メンバー交流は絶えなかった。
そして、2015年より完全再結成を果たし、8月と11月には単独ライヴを開催。チケットは即完売。多数のメディアにも出演をし、同年12月31日には念願の「第66回NHK紅白歌合戦」への初出場を果たした。2017年からは、およそ28年振りの全国ツアーを開催している。

バンド名の由来

小説『黒い瞳の少女レベッカ』(原題:Rebecca of Sunnybrook Farm 作:ケイト・ダグラス・ウィギン)から命名したとされる。命名者は初代ギタリストであり、リーダーの木暮武彦。レベッカ脱退後も彼は「どうしても“R”から始まるバンド名にしたかった」という理由で、バンド「レベッカ♂」を「RED WARRIORS」に改名したという。

音楽性

ギタリストの木暮がリーダー、ソングライターであった事もあり、デビュー当初はハードロック色の強い曲調のバンドだった。NOKKOのヴォーカルの資質をまだ活かしきれていない印象がある中、木暮とドラマーの小沼が音楽性の違いから脱退。次のリーダーとなった土橋安騎夫はキーボードサウンドをメインとし、マドンナやシンディ・ローパーら同世代の海外スター歌手の曲調をオマージュし、トレンドを巧みに採り入れていった。
また、NOKKOのヴォーカルとキャラクターに焦点を合わせ、NOKKOの魅力を前面に押し出すポップな曲調の曲作りを始める。そこからNOKKOの歌、歌詞、ステージングはバンドサウンドと見事にマッチ。バンドの音楽性が明確となった事で、爆発的なヒットに繋がっていった。

影響力

当時としては珍しい紅一点ヴォーカルのバンド編成。後にこの形態のバンドが多く出現する事となり、レベッカはパイオニア的存在であった。
元JUDY AND MARYのヴォーカルのYUKIもレベッカの大ファンであることを公言している。

レベッカ(REBECCA)のメンバー

NOKKO

シングル「ラズベリードリーム」のジャケット

1984年にレベッカのヴォーカルとしてデビュー。
エキゾチックで日本人離れした顔立ちであるが、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の生粋の日本人。本名は山田信子。愛らしい少女のようなキュートさと、時に凛とした大人の女性の表情も見せる変幻自在のヴォーカル。またヴィジュアルも注目され、たちまちカリスマ的存在となる。小柄ながらもパワフルなステージを魅せ、デビュー後間もない頃から学園祭、ライヴハウスで活躍。1991年のバンド解散後はソロに転向。現在もアニメや子供の曲など、幅広い世代に向けて楽曲提供を行い音楽活動を続けている。

私生活では、1990年に初代ギタリストの元メンバーの木暮武彦と結婚するが、3年後に離婚。2002年に音楽プロデューサーの保土田剛と結婚。2006年に女児を出産、一児の母でもある。

土橋安騎夫

キーボーディスト。
子供の頃からピアノ、フルートを習っていたというクラシック出身者。立教大学在学中よりプロを目指し活動。「コンテスト荒らし」として名を馳せるバンドで各地のライヴハウスを回っていたが、デビューの夢を果たす事はできなかった。後にバンドは解散。その後すぐレコード会社、CBS/ソニーのから連絡があり1983年にレベッカ加入。1984年のデビュー時からのメンバーとなる。
1985年、リーダーの木暮武彦が脱退したため、後任のリーダーとなる。「フレンズ」を筆頭に以後のほとんどの作品の作曲を手掛けている。
またグラスバレー・聖飢魔IIなどのサウンド・プロデュースも行う。他アーティストへの楽曲提供も多く、松田聖子の「Strawberry Time」も作曲(アルバムの表題曲であるが、シングルリリースの予定はなかったのだが、本人の強い意向によりシングルカットされ、この曲で紅白にも出演した)。他にも酒井法子、沢田知可子、チェキッ娘、アレンジャーとしては宇都宮隆、穴井夕子などを手掛けた。
現在はレベッカ以外では、Live、DJ、Produce、劇判音楽の制作など、幅広い音楽活動を展開中である。

高橋教之

ベーシスト。
1983年2月、当時ドラマーであった大金ハルヤの誘いでレベッカに参加。当初はレベッカのニューウェイブ系ロックの音楽性に同調できず、後任がみつかるまでという約束で加入した。次第にレベッカの音楽に興味を持ち、サラリーマンを辞め、レベッカデビュー後も在籍する事となる。
1987年にはソロ・アルバム『ランドスケープ』を発表。その後、1991年2月のレベッカ解散後は、ドラムスの小田原豊、サポートメンバーの是永巧一らとのBaby's BreathやR.P.Rなどのバンドを結成して活動。しかし、2000年に母と兄の介護のため音楽活動をやめざるを得ず、埼玉にある運送会社で営業所長を務める事となった。音楽熱は冷める事なく、サラリーマンとなってからも一日たりともレベッカの事を忘れなかったという。その後NOKKOからオファーを受け再結成に参加する事となった。ステージに向けて社員帰宅後に社内でベースの練習をし、有給休暇を使いレベッカの活動に参加していた。

小田原豊

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