聖飢魔II(SEIKIMA-II)の徹底解説まとめ

1982年、早稲田大学の音楽サークルで結成。Voのデーモン小暮閣下(現・デーモン閣下)を筆頭とする悪魔教布教のために構成されたバンド(というコンセプト)。デビュー当初、悪魔風の顔と衣装で色物的な扱いを受けるが、高い歌唱・演奏レベル、独特のユーモア溢れるエンターテイメント性がお茶の間に受け入れられ、ヘヴィメタルリスナーにとどまらない幅広い信者を獲得した。

聖飢魔Ⅱの布教活動のために金銭を寄付する事。いわゆる構成員へのギャラやコンサートチケット料金である。なお構成員へのプレゼントは「貢ぎ物」と言う。

ゼウス・ゼウスの妨害

聖飢魔Ⅱによる悪魔教の布教活動を妨害せんとする全知全能の神の事。デーモン一族を10万年もの間、ヨッツンハイムへ閉じ込めたのもこのゼウスである。なお、黒ミサのアクシデントや閣下の歌詞間違いはすべて「ゼウスの妨害」である。日常生活において皿が割れるなどの事態も「ゼウスの妨害」と言える。デーモン閣下はゼウスの妨害により、よく歌詞を間違える。また同義語として、「地球の重力に慣れていない」がある。これは地球デビュー時のまだ演奏が粗い状態を意味する。

構成員(メンバー)

デーモン小暮閣下(現・デーモン閣下):Vocal

生誕は紀元前98038年11月10日。年齢は10万歳を超える(西暦での年齢は公開していない)。
悪魔集団聖飢魔II主宰。悪魔教教祖。
名前は「デーモン小暮」(1985年)、「デーモン小暮閣下」(2000年)、「デーモン閣下」(2010年以降)と変遷。通称は「デーモン」「閣下(かっか)」。

早稲田大学社会科学部卒業。銀行員の父を持ち、世を忍ぶ仮の幼稚園から小学一年の途中まではニューヨークで過ごした帰国子女。転勤等で広島に在住した事もある。
桐蔭学園高等学校→早稲田大学という経歴は、趣味の相撲でも所縁のある「やくみつる」と同経歴であり「やく先輩」と呼ぶ関係でもある。高校時代より相撲好き。ベルトをまわしに見立て相撲をしたりしていた。高校の校則は大変厳しく「エレキ楽器禁止」であった(閣下は調査の為、敢えてその厳しい環境に身を置いたと言う)為、高校時代のロックバンド活動は封印されていた。

幼少期から演芸に長け、人間界でも目立つ存在であった。大学時代、音楽外でもゴジラの鳴き真似コンテストに出場して優勝した経歴もあり、早慶戦の試合前にマイクパフォーマンスとして披露。また、『たけしのお笑いサドンデス』に出演し、ビートたけしから「将来タレントになれる」と評価されたこともあり、たけしから一目置かれている。また、劇団に所属し俳優養成課程を最短コースで修了。プロの俳優として俳優部に登録されていた事を著書で明かす。バンドデビュー以前よりマルチタレントとしての布石を窺う事ができた。

ヴォーカルスタイルは、ハイトーンシャウトを自在に操り、正統派のロックヴォーカリストスタイルであるが、KISSばりの火吹きや血吐き、また三転倒立をしながら唄う「天地逆転唱法」など奇抜なステージングも披露する。好きなヴォーカルはASIAの「ジョン・ウェットン」。
ステージでの激しいアクションが災いし、ミサ中に骨折するアクシデントも起きた(俗にいう蒜山高原事件)。しばしの車椅子生活の中、テレビ出演も行っているが、これはパワーアップの為の“改造手術”であり、車椅子(と見られるもの)は、「スーパー・デーモンカー・ターボGT・ロイヤル・サルーン」というスーパーカーであるという。

そして、日本の伝統音楽、伝統芸能にも傾倒しミサ中に日本舞踊(花柳流)も舞う場面もある。
聖飢魔Ⅱ解散後はソロアーティストとして活動。日本の古典芸能とロックの融合を図るなど革新的な活動を行っている。また相撲評論家として確固たる地位も得られ、加えて小学校時代を過ごした広島では「がん検診啓発特使」に就任。主に広報活動を担っている。さらに広島東洋カープファンである事も明らかにしている。

公式HPでは「悪魔教布教のため聖飢魔IIの結成に尽力し、音楽活動のみならず舞台役者、文化評論家、相撲評論家、映画監督、としても人類のあらゆるマス・メディアを席巻。バラエティー番組はもとより、スポーツ、報道、教育、芸術、環境、国際放送、CM、国政選挙特番に至るまでほぼ全分野で画面に登場する。「聖飢魔II内では総務部長とか段取り専務だが、他の現場では概ね『宴会部長』」等、紹介されている。

エース清水長官:Guitar

生誕:1959年3月9日(聖飢魔II在籍時の公式設定によるとB.D.100036(B.C.98038)年 3月 9日)。
地獄中央情報局長官。エース清水長官、エース長官と、長官の敬称を以って呼ばれる。通称「聖飢魔IIの赤い風」。軍帽風の帽子がトレードマークである。

聖飢魔Ⅱへの参加は、「清水さん清水さん、ドラム叩きまへんか?」と当時のダミアン浜田殿下(聖飢魔Ⅱ創始者)に誘われ初代ドラマーとして加入。一時脱退もするが、バンド解散時までギタリストとして参加する。その後、2005年の復活ミサ(ライヴ)の際、復帰も果たすが「これが最後」と、以降のミサには不参加となっている。
聖飢魔II解散後はACEに改名。人間のミュージシャンとして元グラスバレーの本田海月とAOR〜R&Bを基調とするユニット、face to aceを結成し、ギタリスト兼ボーカリストとして活動中である。

聖飢魔Ⅱ時代、クリアで艶のあるギターの音色が特徴で、彼の奏でるエモーショナルなギターソロはエース節と称された。速弾きやロックスピリットを力強く顕示するルーク参謀やジェイル大橋代官とは相対するプレイスタイルで、総じてバンドサウンドはツインギターの魅力溢れる絶妙のハーモニーとなっていた。
また、音楽理論に基づいた美しい旋律、フレーズは、緻密な計算の上に成り立っており「構築美」とも言えるものである。
そしてデーモン閣下以外で唯一リードヴォーカルをとることがあった。 「Angel Smile」、「精神の黒幕〜Libido〜」、「悪魔のブルース」などでリードヴォーカルを担当した(「精神の黒幕〜Libido〜」は閣下とツインリード)。

音楽遍歴では中学時よりギターを始め、ディープ・パープルを聴いてプロを目指すことを決意する。大学在学時よりプロ活動を開始。音楽理論を独学で学び譜面起こしや、教則本の執筆を行う一方、つのだ☆ひろ&ジャップス・ギャップスのギタリストとして本格的にデビューし、ステージでの演奏を行っていた。両親はオペラ歌手。また父方の祖父母である清水金太郎・静子も人気オペラ歌手という音楽一家の生まれであった事から、小さい頃より家では音楽が流れ、音感も早くから身に付いていた。
他の聖飢魔Ⅱ構成員よりも早くプロデビューをし最年長でもあった為、敬語で話しかけられる機会も多く敬意を払われている。
ACEという名前は、学生時代バレーボール部のキャプテン(エースアタッカーではない)だったことに因む。同じ系統の顔のKISSのエース・フレーリーとは無関係である。

公式HPによると、「すべての話はエースに通ず』の言葉よろしく『エースのお百話』をさかなにして酒を飲めば、一週間はあきずに飲み続けられる、と伝えられている」。

Sgt.ルーク篁Ⅲ世参謀(現・S.G.ルーク篁参謀):Guitar

1964年4月12日生まれ(聖飢魔II在籍時の公式設定によるとB.D.100034(B.C.98036)年 4月12日)。
元魔界軍事局参謀。
聖飢魔II在籍時は正式名称を Sgt.ルーク篁III世 (英表記:Sgt. LUKE TAKAMURA III) (サージェント ルーク たかむら さんせい)。
地獄の高級住宅地ヒバリーヒルズ発生のギタリストにして通称は「聖飢魔IIの蒼い稲妻」。デーモン小暮閣下からは「青いの」、黒柳徹子からは「ヒトデ」と呼ばれたこともある。

1984年、大学サークルにて「紫馬肥」(むらさきうまごやし)を結成。として、デーモン小暮閣下、エース清水、ジード飯島らと活動していた。紫馬肥時代に出来た「EL.DO.RA.DO」を聖飢魔IIの大教典(アルバム)『地獄より愛をこめて』に提供し、翌1987年2月よりSgt.ルーク篁III世の名で、ジェイル大橋の後任として加入する。
悪魔事異動(メンバーチェンジ)により聖飢魔IIは第6期となり13番目の悪魔(最後の悪魔)となる「ルーク参謀」を迎え、以降解散まで異動は行われていない。

ギターを始めたきっかけは「姉に無理矢理ギターを持たされて弾かされたため」であった。当初のギターもエレキギターではなく、ヤマハのフォークギターというフォーク少年で主にかぐや姫やNSPの楽曲をコピーしていた。大教典(アルバム)「PONK!!」ではフォークなど、自分のルーツとなったジャンルの作曲も手掛けプロデュースも行っている。洋楽、ハードロックへの目覚めは、ギタリスト:リッチー・ブラックモア。

プレイスタイルはジェイル大橋代官同様、ロックスピリットを力強く顕示するハードロックや速弾きで、エース長官とは対極のポジションとなる。
また、ニッポン放送の深夜放送「デーモン小暮のオールナイトニッポン」では中期以降にレギュラー参加(ゲストであったが、ほぼレギュラー出演)し、笑い声とトークセンスを披露する。「デモルク」コンビとして人気を博し、パーソナリティ人気投票でベスト10内に名前を連ねた事もある。

聖飢魔Ⅱ時代も、リード・ヴォーカルも担当したソロアルバム『篁』、1993年にライブアルバム『SOAKING WET LIVE』をリリース。また、レコーディング・プロデューサーとしてSo What?(ヴォーカルは「THE冠」の冠 徹弥)のアルバムにも参加している。

生活は超健康的で、「自転車・ビタミン・ロックンロール」な生活をしているとの事。自転車に関しては、J SPORTS cycle road race「ツール・ド・フランス」にゲスト出演も果たしている。 体力維持のために東京都内での移動は可能な限り自転車に乗っている。

解散後、2002年からはドラマーの雷電湯澤(RX、元聖飢魔II)、ベーシストのMASAKI(アニメタル、元JACKS'N'JOKER)とともにCANTAを結成。ギターとヴォーカルを務める。また、2007年以降は、高見沢俊彦ソロプロジェクトに参加。「王子連合」の一員としても活動している。

ゼノン石川和尚:Bass

1962年6月22日生まれ(聖飢魔II在籍時の公式設定によると「B.D.100036年(紀元前98038年)6月22日)。
元地獄文化局長。地獄の貿易港サイド・ビーチ発生の聖飢魔IIの2代目ベーシスト。
敬称は博士・画伯・和尚・書家・豪傑と各構成員の中でも最多だが一般的に「和尚」と呼ばれている。また、デーモン小暮閣下からは「ツノ」、黒柳徹子からは「鬼の方」と呼ばれたこともある(ゼノン石川が頭に角の生えた姿をしていたため)。「イエーイのおじさん」(最初の期間限定再集結時より)とも呼ばれる。

1986年6月、ゾッド親分が演奏テクニックの不足を理由に脱退、ゾッド親分のベースの師でもあったテクニシャン・ゼノン石川和尚が加入する。和尚自身はフュージョン系バンドに所属していたため、聖飢魔IIから声がかかった時相当意外だったという。
プレイスタイルは聖飢魔II先代ベーシストのゾッド星島とはかなり対照的に、「演奏している時は動かざる事山の如し」と形容され、ミサ(ライヴ)でのソロタイムなど一部を除きほとんど動かない。性格も非常に穏やかである。聖飢魔IIでの作曲は少ないが、『織田信長』『闘う日本人』などを作曲している。
また、サークルで両バンド同時所属などの交流がある「爆風スランプ」の江川ほーじんが脱退した際、後任が見つかるまでサポートメンバーとして参加したこともある。

“世を忍ぶ仮の大学生”時は多摩美術大学(本人によると、卒業はしていないので「出身」ではないとのこと)に通っており、画伯という称号も持つ。音楽だけでなく、絵画、写真などもこなす多芸な人物として知られ、全都道府県のツアーでは「書道」も披露する。1991年、聖飢魔Ⅱ構成員がそれぞれソロ活動を行う中、ライデン湯沢と、頭文字をとったユニット「RX」を結成。聖飢魔IIのハードさとは対照的な、フュージョン色の強い音楽を展開した。RXではメインMCを務め、その語りには定評がある。

聖飢魔II解散後の2000年以降は石川俊介の名で活動を開始し、結成当時はサポートだった松崎雄一を正式メンバーに加え「RX」を再始動。デーモン閣下のソロ活動におけるバックバンド「黒船バンド」には松崎・雷電と共に参加している。 RXと並行してスタジオ・ミュージシャンとしての活動を始めており、是方博邦やデーモン小暮閣下、T-SQUARE、大橋隆志のサポートなどに参加。 現在もライヴ活動中心に幅広く活躍している。
そして人間の姿をしているときは悪魔としての記憶はないと称している。

聖飢魔Ⅱの公式HPによると、「 ベースさえ弾けて、後で一杯飲めればそれで満足という欲のない性格で、打算的に仕事をしないため、5万人の客の前で演奏した翌日に50人も入れるか?というライヴ・バーで弾いていたりする。」との事。

ライデン湯沢殿下:Drums

1964年11月21日生まれ(聖飢魔II在籍時の公式設定によると「B.D.100034年(紀元前98036年)11月21日)。
天地共通の凶皇・雷神の息子(故に、本来は神の一族であり、正確には悪魔ではない)。地獄の鬼ヶ島 Hill Mountain発生の四代目ドラマー。

1985年、デビュー直前だった聖飢魔IIの三代目ドラマー:ジャギ古川の脱退によるドラマーの欠員に伴い、ジェイル大橋代官と共にオーディションで加入。ゼノン石川和尚(現:石川俊介)とのリズムコンビネーションは抜群でモンスターリズムセクションと称され、ミサでは曲の合間にゼノン和尚とソロアンサンブル「モンスター・リズム・バトル」を披露することもあった。1999年に解散するまでの14年間、ゾッド星島やゼノン和尚と共に聖飢魔IIのリズムを支えた。

ドラミングスタイルは強烈なパワーヒッター。ヘヴィメタルには少ないシングルバスセッティングであるが、バスドラムを高速で連打する際に踵と爪先を交互に駆使して叩く、フロアタムを混ぜ込んでツーバスのように聞かせるなど、多彩な技術を持ち併せている。影響を受けたドラマーとして、レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムを挙げ、ダイナミックなフレーズなどに影響がみられる。また、聖飢魔II時代の自作曲作品「緑色の雨」ではキーボードも操った。

豪快なドラムプレイとは裏腹に几帳面。部屋も整理整頓がゆき届いているという。 曲順や曲の細かい構成をいつもしっかりと把握しているので聖飢魔Ⅱ内では『庶務二課』と呼ばれていた。ゲーム専門誌にコラムを持つ程の無類のゲーム好き、また麻雀やTVゲーム、ボーリング好き。
そして細身だが燃費が悪く、すぐにお腹をすかせ、空腹では眠れない。好きな食べ物はカツ丼、ナポリタン、カレーライス、モスバーガー。食事が足りない時などは「足りなひ」と発言する。

ミサ(ライヴ)ではタカタカと小走りし、ブルース・リー張りの黄色い衣装でヌンチャクを振り回すなどのパフォーマンスをし、信者(ファン)からは「動きがオモチャのようで非常に愛くるしい」と言われる。容貌は若い頃の志村けんによく似ており、聖飢魔II時代には「映画村で殿様の格好をして歩いていたらすれ違った通行人から志村けんと間違われた」との逸話も披露している。

聖飢魔Ⅱ再結成時以外、解散後は人間の姿でのライヴを行うが、「僕の場合はちょっと違いまして、ライデン湯沢が世を忍ぶ仮の姿で活動してるだけです」と述べ、聖飢魔II時代のキャラクター設定をそのままに活動しているのはデーモン閣下と雷電の2名のみということになる。

ジェイル大橋代官:Guitar

1965年5月5日生まれ(聖飢魔II在籍時の公式設定によるとB.D.100033(B.C.98035)年5月5日)。
元地獄最悪刑務所拷問官→元魔界帝国治安判事。

ダミアン浜田殿下の脱退に伴うオーディションが行われる。これは地球デビューに向けてのオーディションであったが、この結果1985年6月にジェイル大橋代官とライデン湯沢殿下が加入する事となった。この悪魔事異動(メンバーチェンジ)により、地球デビュー構成員が固まった(このオーディションで紫馬肥(むらさきうまごやし)のギタリスト、Sgt. ルーク篁III世参謀とポジションを争った事になる)。
大教典(3rdアルバム)『地獄より愛をこめて』ではメイン・ソングライターとして活躍し「アダムの林檎」など多くの曲を作曲。シングルカットされた「アダムの林檎」はゴールデン作曲賞とゴールデンシングル賞を受賞した。

しかし、元来アメリカンロック指向が強く、聖飢魔Ⅱの音楽性(明らかにブリティッシュ・ヨーロッパ寄り)、活動方針に嫌気がさし1987年1月に脱退。その後夢を実現させる為に大橋隆志の名で渡米。キャッツ・イン・ブーツ、スラムローズとして活動した後、帰国。聖飢魔IIの地球デビュー10周年を記念した魔暦紀元前4年(1995年)の「サタンオールスターズ」に再び悪魔の姿で、ダミアン浜田殿下、ゾッド星島親分、ジード飯島大将らとともに参加。このツアーへの参加を機に和解を果たし、解散3DAYS(魔暦元年・1999年)の大黒ミサの2日目"THE SATAN ALL STAR'S DAY"にも悪魔の姿で現れ、歴代聖飢魔II構成員と共演している。一度目の再結集ツアーから正規構成員に復帰している。1987年の脱退以後は本名を名乗り、様々な音楽活動を日米で展開する。

来歴として、小学生時代にはブラスバンドに入り、中学2年生の時にアコースティックギターを始める。その後エース・フレーリーに憧れ、レスポールタイプのエレクトリックギターを手に入れる。尊敬していたギタリストはウリ・ジョン・ロートやジョー・ペリー。
高校時代には地元で NOVA というバンドで活動。その後聖飢魔II名義で発表される 「FIRE AFTER FIRE」、「APHRODITE」、「DEATH LAND」 などの原曲はアレンジは異なるもののこの頃から演奏されていた。 愛知教育大学附属高等学校を卒業後、國學院大學に入学。

聖飢魔IIの魔暦12年(2010年)の再々集結以降、不参加となった上手側のギターを担当する事が多くなるが、聖飢魔II在籍時に「ここ難しいから、先輩お願いします。」とエース長官に押しつけていたパートが、自分に返ってくることとなった。

公式HPによると、「酸いも甘いも体験し、最近では「音楽の中でだけ尖っていればいいや」という境地に達し、花の写真撮影が趣味になり、他の構成員に若手芸人を解説するようになる。 酒もほとんど飲まなくなった。聖飢魔IIには地球征服の前後、ほぼ5年おきにpart-time memberとして参加している。猫好き。 山登りと昆虫採集好き。依然として女好き(?)」。
顔の紋様や、身のこなし、性格から「猫」に喩えらることが多い。

途中脱退した構成員(メンバー)

ダミアン浜田(サタン45世)殿下(現・陛下)

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