BLANKEY JET CITY(ブランキー・ジェット・シティ)とは【徹底解説まとめ】

BLANKEY JET CITYとは、独特な歌声とギターリフを野太いリズム体による重厚なグルーヴに乗せ、繊細かつ攻撃的な音楽で多くのロックファンを魅了した日本を代表するロックバンド。1987年に結成され、オリジナルアルバム8枚をリリースし、そのカリスマ性が色あせることの無いまま2000年に解散した。

BLANKEY JET CITY概要

メジャーデビューまで

1987年、バンド活動をする浅井、照井に中村が加わり「THE BLANKEY JET CITY」を結成。バンド名の由来は彼らが考えた架空の物語が由来となっている。「黒人解放運動をしていたブランキーという名の男がいた。その後歳月が過ぎ年老いた彼は孤独になってしまう。孤独を紛らわすためなのか彼はあてのない旅に出る。そうして辿り着いたのが“JET CITY(浅井曰く、空虚な街、不良たちが集まる架空の都市、だという)”。彼はこの街を心底気に入り後に市長となる。」というのが考えられたストーリーである。1994年初期までは、「THE BLANKEY JET CITY」だったが、その後「THE」が抜けて「BLANKEY JET CITY」となった。
1990年、TBSで放送された『三宅裕司のいかすバンド天国』通称“イカ天”に出場する。多くのバンドを輩出してきたこの伝説的番組で見事5週連続勝ち抜きに成功し、第6代グランドイカ天キングを獲得。東芝EMIと契約する。

デビューから解散まで

1991年4月、デビューアルバム「Red Guitar And The Truth」をリリース。オリコン初登場にして8位を記録する。
1991年6月、“東京コレクション”に出場。この時にはデニス・ホッパーと同じステージに立っている。
1992年1月、2ndアルバム「Bang!」をリリース。このアルバムよりプロデューサーは土屋昌巳が担当する。後に解散まで主要となる代表曲、「ディズニーランドへ」「SOON CRAZY」「RAIN DOG」などが収録されている。オリコン初登場7位。
1992年2月、ミュージックステーション初出場。
1992年9月、ライヴアルバム「Live!!!」をリリース。同年5月4日の渋谷公会堂でのライブを収録している。
1992年11月、初期の代表曲となる「悪いひとたち」をバンド自身の事務所である東京ピストルよりシングルとしてリリースした。この曲の歌詞に“麻薬”という言葉が入っているため東芝EMIからはリリース出来なかったためである。
1993年2月、3rdアルバムとなる「C.B.Jim」をリリースする。
1993年12月、ミニ・アルバム「Metal Moon」をリリースする。
1994年5月、4thアルバム「幸せの鐘が鳴り響き、僕はただ悲しいふりをする」をリリース。これまでのBLANKEY JET CITYには無かったジャズ的なフレーズ等が多用されていて新しい一面を見せている。
1995年3月、ベストアルバム「The Six」をリリース。これに収録されている「悪いひとたち」は3rdアルバム「C.B.Jim」に収録されているバージョンの完全版であり、ストリングスが導入されており、“麻薬”という言葉がカットされていない。
1995年6月、初の海外ライヴをイングランドで行った。激しい個性を持つ3人の音がぶつかり合って生み出される音楽がBLANKEY JET CITYの魅力とも言えるのだが、それ故に解散の話は絶えなかった。このツアーにて一度解散を決意するまでに至っている。
1995年8月、代々木公園野外ステージにてフリーライヴを敢行する。ライヴタイトルは「Are You Happy?」。このライヴを最後に解散の予定だったが動員数13000人に昇り、3人にとって会心の出来であったことで解散の話が消滅する。
1995年11月、5thアルバム「Skunk」をリリースする。
1996年、3人それぞれのソロプロジェクトが始動する。浅井健一はSHERBET(浅井健一を始めとする4人組のオルタナティヴ・ロックバンド)、照井利幸はJoe Brown、中村達也はLOVE SHOP LOSALIOS(後のLOSALIOS)として活動する。
1997年、6thアルバム「Love Flash Fever」をリリース。初のセルフプロデュースアルバム。
1998年1月、ベストアルバム「国境線上の蟻~The Very Best of Blankey Jet City~」をリリースする。
1998年6月、発売から1週間で実に30万枚以上のセールスを記録した7thアルバム「ロメオの心臓」をリリース。
1999年、再びソロ活動期間となる。
2000年5月、8thアルバム「Harlem Jets」をリリース。発売前に突然、“最高のアルバムが出来たのでおれたちは解散します”と宣言した。オリコン初登場2位を記録した。
2000年7月、ラストライヴ「Last Dance」を横浜アリーナにて行う。
2000年7月、フジ・ロック・フェスティバルにてメインアクトを務める。これが最後のライヴとなった。
2008年、これまでの作品を再発表。未発表曲や音源化されていなかった楽曲をまとめたアルバムのリリースが発表された。
2013年1月、26日に期間限定でラストツアーの密着映像「VANISHING POINT」を公開した。30日にはDVD、Blu-rayで「VANISHING POINT」リリース。
2013年3月、シングル曲をコンプリートした「COMPLETE SINGLE COLLECTION (SINGLES)」を発売。また、"BJCキャンペーン"として過去のアルバム作品をSHM-CDで、DVDは廉価版にて発売された。

BLANKEY JET CITYのメンバー

浅井 健一(あさい けんいち)

愛称はベンジー(Benzie)、ヴォーカル、ギター。またほとんどの楽曲の作詞・作曲を担当。愛知県出身、1964年12月29日 生誕。身長171cm、体重59kg、血液型はAB型。BLANKEY JET CITYからソロに至るまで約20年間活動している。音楽プロデューサーでもありインディーズレーベル・Sexy Stones Records代表取締役社長である。
唯一無二の表現力を持つ歌とギターで独特な世界を生み出している。語り部のようなヴォーカル、ノイジーでありながらどこか切ないギターが魅力。

照井 利幸(てるい としゆき)

愛称は照ちゃん、テリー。1964年2月28日生誕。ベーシスト、作曲家。ドラム 中村達也と奏でるリズム体は野太くアグレッシブ。故に繊細で切ない浅井の歌とギターに絶妙に融合している。特別なことをしているわけでもなく淡々と演奏していることが多いが、1音1音にパワーを感じるベーシストだ。

中村 達也(なかむら たつや)

愛称はタツヤ。ドラム担当。ジャズ的な雰囲気を持ちながらパワフルで攻撃的な演奏をする。数多くのバンドに参加しており、BLANKEY JET CITY以外にもMANNISH BOYS(斉藤和義とのユニット)、The Golden Wet Fingers(チバユウスケ、イマイアキノブとの3ピースバンド)、SPEEDER-X、the day、LOSALIOS、FRICTION、などで活動。また俳優としても活動しており、涙そうそう (2006年 東宝)、るろうに剣心 京都大火編、HiGH&LOW〜THE STORY OF S.W.O.R.D.〜(2015年 日本テレビ)など数々のドラマ、映画に出演している。

ディスコグラフィ

Red Guitar And The Truth

1.CAT WAS DEAD
2.僕の心を取り戻すために
3.胸がこわれそう
4.不良少年のうた
5.TEXAS
6.公園
7.ガードレールに座りながら
8.あてのない世界
9.狂った朝日
10.MOTHER

BLANKEY JET CITY のデビュー・アルバム。1991年4月12日にリリースされた。プロデューサーにはクラッシュ、ピストルズなど世界的に有名なロックバンドを手がけたJEREMY GREENを起用している。初回盤は金色の紙ケースに収納。デビュー・アルバムからオリコン8位になる快挙を成し遂げるも、メンバーは“サウンドに満足していない”と発言している。

Bang!

1.RAIN DOG
2.冬のセーター
3.SOON CRAZY
4.ヘッドライトのわくのとれかたがいかしてる車
5.絶望という名の地下鉄
6.とけちまいたいのさ
7.★★★★★★★
8.クリスマスと黒いブーツ
9.BANG!
10.ディズニーランドへ
11.二人の旅
12.小麦色の斜面

2ndアルバム。1992年1月22日にリリースされた。アマチュア時代の楽曲が中心となる構成。しかしながら解散までのライヴで主要曲として演奏された曲が多く、彼らの代表作の一つとなっている。プロデューサーは土屋昌巳。

C.B.Jim

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