月がきれい(アニメ)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『月がきれい』は、2017年4月から7月にかけて、全12話(6話と7話の間には6.5話として、前半を振り返る総集編が放送された)で放送されたオリジナルアニメ作品。製作はfeel.である。埼玉県の川越市を舞台に、主人公の中学3年生、安曇小太郎と同じクラスの水野茜が繰り広げる恋愛模様を中心とした、リアルな人間ドラマが描かれている。

リアルな思春期の心情

また本作においては、思春期ならではの心が丁寧に、繊細に描かれており、それも見どころのひとつである。
たとえば、物語の冒頭。
小太郎と茜が家族と共にファミレスに食事に出かけ、偶然にも顔を合わせてしまったシーンでは、とても恥ずかしそうな、気まずそうなふたりの表情や態度が描かれている。
家族と仲が良いことは素晴らしいことのはずなのに、何となく、それを知られてしまうのは恥ずかしい。自分の家族がどんな人間なのかを知られてしまうのは恥ずかしいと言う思いは、思春期ならではの感情だと言える。

ファミレスでは、茜の母親が小太郎の家族に挨拶をする。
大人からすれば、クラスメイトのご両親に挨拶を、と言うつもりなのかもしれないが、これもまた、子供から見ると何とも恥ずかしいことである。

また物語の後半。母親と進路のことで気まずい雰囲気になってしまった小太郎は、母親が差し入れてくれたおにぎりに、意地をはって口を付けようとしない。
しかし空腹のあまりお腹が鳴ると、その手を伸ばしおにぎりを口にして、その後には夢中になっておにぎりを食べると言うシーンにおいては、思春期ならではの親への反抗心と、けれどそれを長く持たせることができない精神的な幼さのようなものも描かれている。

このような思春期特有の心の機微は、今、小太郎や茜と同年代の人にとっても、そしてかつて、小太郎や茜と同年代であった人にとっても、『あぁ~、その気持ち、わかる!』と思わず言いたくなるような感情である。
純粋な恋愛模様だけでなく、このような、誰にとっても一度や二度は経験したことがあるような感情を描いているからこそ、本作は多くの人から支持を受けたとも言うことができ、見どころシーンとして挙げることができる。

茜と心咲たち女子の友情関係

純粋な恋物語が描かれる一方、茜を取り巻く女子の友情シーンと言うのも、非常にリアルに描かれており視聴者から高い支持を受けた。

茜は、クラスにおいては心咲、節子、そして美羽と行動を共にする。
たとえば、その中のひとりがトイレに行くと言ったら、他のみんなもぞろぞろとトイレに行く。用があるわけでもないのに、トイレに集団で行く。
トイレだけでなく、どこに行くのも一緒と言うスタンスを崩さない。
あるいは、『友達でしょ』『友達だからね』の一言で、何かとプライベートなことを聞き出そうとする。
そして『友達でしょ』『友達だからね』と言っておきながら、しかし、その友達が何か失敗をした時にはその本人がいないところで、そのことを笑う。

甘酸っぱい小太郎と茜の純愛の中。時折、鋭く突き刺すようにして描かれる、こうした生々しい女子の友情模様と言うのも、また本作の見どころだと言える。

ちなみに茜が心咲や節子、美羽と共に行動をしているのは、クラス発表がされたその日。
緊張しながら茜がクラスに足を踏み入れたところを、既にグループを組んでいた心咲や節子、美羽から声をかけられたため。
心咲と茜は、既知の関係だったようで、それをきっかけに、茜は心咲たちのグループに合流したと言う流れがある。

周囲の空気を敏感に察知し、それを乱さないよう、時には自分の思いも飲みこんでしまう性格の茜。
一方、気が強く、『友達でしょ』『友達だから』と言う言葉を頻繁に口にして、何をするのも一緒と言うスタンスを崩さない心咲、節子、美羽。
物語中においても、目につくのは、心咲たちの視線や言葉(場を離れようとする茜に、しきりにその理由を問う言葉など)を気にし過ぎるあまり、小太郎に会うこともできない、行動を制限されてしまっている茜の姿であり、本当に茜と心咲たちは『友達』なのだろうか、と視聴者に思わせるような描かれ方である。

思春期において、クラスの中でひとりでいると言うのは、耐え難いことである。
そのため茜にしてみれば、声をかけてきてくれた心咲たちの存在に、自分はひとりにならなくて済んだ、と言うような安堵のような気持ちを抱いたのかもしれない。そしてひとりになりたくないと言う気持ちから、心咲たちと一緒に居続けていたのかもしれない。

そう考えると茜と心咲たちとの関係には、思春期特有の、女子同士にありがちな複雑な友情模様が描かれているようで、見ごたえがある。

作中名言・名セリフ

『人が人に影響されないなんて、大嘘だと知った』

「或る実験報告。人は人に影響を与えることもできず、また、人から影響を受けることもできない。」

これは太宰治のエッセイ『もの思う葦』に登場する言葉である。
この言葉を信じている小太郎は、あるいは自分の小説を他人に見せる恥ずかしさもあってか、自分の小説を他人に読ませるようなことはしていなかった。

しかし小太郎のそんな思いは、茜の存在により一変する。
颯爽とグラウンドを駆け抜ける茜の姿。
緊張しいで人に見られるのが苦手、だからすぐに失敗してしまうと恥ずかしそうに笑う茜の姿。
それでも、走るのが好きだから、と言った茜の姿、その言葉。

自分にとっての弱点(緊張しい、人に見られるのが苦手、すぐに失敗してしまう)と言うことを、恥ずかしそうに、でも、しっかりと話してくれた茜。
それに小太郎の胸は、強く揺さぶられ、そしてその胸中には何かしらの感情が芽生えたのだろう。
その結果、小太郎が語ったのがこのセリフである。

この後、小太郎は小説を出版社に投稿することを心に決め、そのためのアドバイスを仰ぐために大輔に自分の小説を読ませる。
人は人により影響を受け、そこから新たな一歩を踏み出すこともあると言うことを、実感させるセリフである。

『告白していい?ちゃんと諦めたいから』

6話。茜に対して千夏が言ったセリフ。

この時点で千夏は、自分が思いを寄せている小太郎が、茜と付き合っていることを、茜から聞かされている。
それにもかかわらず、こんなセリフを茜に対して口にするあたり、千夏の良い意味でも悪い意味でも物おじしない、自分の思いにまっすぐすぎる性格と言うのが出ている。

だが一方で、千夏の立場に立ってみると、思いを告げないことには完全に諦めることができない。小太郎と茜は付き合っている。だけど、もしかしたら、もしかしたら僅かでも希望は残されているのではないか、と言う藁にもすがるような思いが胸の中にあり、だからこそ、告白をしてみるまではわからない、と言うような気持ちがあると推測できる。
そう考えると、この言葉を口にした千夏の切ない思いも伝わってくる。

『ずっと一緒にいられますように』

出典: renote.net

8話にて、風鈴祭りに出かけた小太郎と茜は、風鈴に飾る短冊に願いを記す。
だが、互いが互いに恥ずかしいからと、どんな願いを書いたのかは知らないままだった。

しかし視聴者には、その短冊が映し出される形で、小太郎と茜の記した願いが明らかにされる。
それが、『ずっと一緒にいられますように』と言う願いである。
その願いの純粋さに視聴者は悶えること必至だが、小太郎も茜も、全く同じ願いを記入していたこと、だけどお互いそのことは知らないままと言うところも、演出しては非常に心憎い。

『好きな人が自分を好きになってくれるなんて』『奇跡だと思った』

電車の中で、小説と言う形で、小太郎からの愛の思いを受け取った茜。
そして、遠く離れた街に出向く茜に対し、ありったけの思いを叫んだ小太郎。

その後には、初めての恋に悩み、傷ついたこと。それでも一緒にいたいと言う思いが、小太郎と茜の言葉によって語られる。

そして、その流れを締めくくる、エンディング前に挟まれるセリフがこのセリフである。
前半は小太郎によって、そして後半は茜によって語られるこのセリフは、本作最後のセリフでもある。

出会い、初めての恋愛に戸惑い、苦しみ、たくさん傷つき、それでも輝かしい思い出を作り上げてきたふたり。
そして最後には、風鈴祭りの時に短冊に記した願い『ずっと一緒にいられますように』を叶えたふたりの恋物語を象徴するセリフだと言える。

『月がきれい』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

『月がきれい』と言う言葉にまつわるエピソード・逸話

本作のタイトルである『月がきれい』と言う言葉には、ひとつの逸話がある。
それは、日本を代表する文豪のひとり、夏目漱石が英語教師を務めていた頃、生徒が『I Love You』を、そのまま『私は君を愛している』と訳した。
すると漱石は、日本人はそんな言葉は口にしないから、『月がきれいですね』とでも訳しておけ、とダメ出しをした、と言う逸話である。

ただしこれに関しては、それを証明するための出典が戦後のものしか見当たらないことから、後世による創作された逸話ではないかと言う説もある。
しかしこの逸話をもとに、小説やなどの創作物内では、愛を伝えるセリフの代りに『月がきれいですね』と言った言葉が登場することもしばしばある。
今作も、この逸話をもとに『月がきれい』と言うタイトルが選択されたのかもしれない。

ちなみにその検証を独自に行い続けているサイト『月が綺麗ですね』検証もあるので、詳細を知りたい方は、そちらをアクセスしても良いだろう。

niguruta.web.fc2.com

『月がきれい』の主題歌

オープニング:『イマココ』/東山 奈央

ryouan
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@ryouan

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