消えた声が、その名を呼ぶ(映画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

第一次世界大戦時のオスマン帝国。アルメニア人の鍛冶職人ナザレットは、ある夜突然憲兵隊に連行され、強制労働を強いられたのち処刑される。喉を切られ声を失ったが、なんとか命をとりとめたナザレットの唯一の希望は、愛する家族に会うこと。砂漠を歩き、海を渡り、8年の歳月をかけ地球半周もの旅をした一人の父親を、若き名匠ファティ・アキンが描いた壮大な歴史ドラマ映画。

アルメニア人虐殺とは

多民族国家であったオスマン帝国には、トルコ人の他にもクルド人、アラブ人、ギリシア人など多くの民族が住み、それぞれイスラム教、ユダヤ教、キリスト教などを信仰していた。アルメニア人たちもまた共同体として、キリスト教を信仰しながら政府と良好な関係を保っていたが、西欧との交流を通し民主主義に目覚めるものが現れ始めると、徐々に民族運動などの気運が高まり、イスラム教徒たちとの間に軋轢が生じ始める。

1914年、衰退の一途を辿っていたオスマン帝国は、ドイツ側につき第一次世界大戦に参戦。これを受けロシアがオスマン帝国に侵攻すると、アルメニア人の中にロシア側につくものやオスマン軍へのゲリラ活動を行う者も現れた。これらを反国家、利敵行為とみなしたオスマン政府は、1915年春にロシアとの戦闘地域に住むアルメニア人を収容所へ強制移住させる「死の行進」政策を開始。4月24日にはアルメニア人の政治家や知識人約600人が連行され、その多くが後に殺害された。

今も分かれる見解と論争

100年以上も前に起きたこのアルメニア人虐殺は「20世紀最初のジェノサイド」と言われ、ヒトラーが手本にしたとされている。しかしその見解は国や立場によって大きく分かれており、アルメニア側は組織的に行われた虐殺であると主張するのに対し、トルコ側は戦闘の中で偶発的に起きた悲劇だとしている。犠牲者の数も150万人以上だという意見もあれば、数十万人という見解もある。

しかし近年ではこれを虐殺とする見方が主流となってきており、2006年にはフランスの国民議会で「アルメニア人虐殺否定禁止法」が可決。2016年にはドイツの連邦議会がアルメニア人虐殺をジェノサイドと認定した。トルコのエルドアン首相も、2014年にトルコ指導者としては初めて「アルメニア人虐殺」に対して追悼の意を表明した。

『消えた声が、その名を呼ぶ』の名言・名セリフ/名シーン・名場面

主人公を導く妻の幻

劇中効果的に使われているのが、冒頭に妻ラケルが口ずさんでいた歌である。まだ平和だった夜、ナザレットは妻の美しい歌声を聴きながら眠りについた。その後ナザレットが妻と再会することはない。しかし彼が迷ったとき、くじけそうなとき、どこからかこの歌が聴こえてくる。それはまるで妻が彼を娘たちのもとへ導いているようだった。

そしてナザレットが砂漠を歩き続け倒れてしまう場面では、どこからともなくラケルが現れる。しかし手を差し伸べることはない。声をかけ、彼が起き上がると、少し安心したような顔をしてまたどこかへ行ってしまう。何もない白い砂漠の背景と相まって、とても神秘的で美しいシーンだ。

チャップリンの『キッド』

戦争が終わると彼らは自由の身となった。アレッポからトルコ人たちが去る時、人々は石を投げつけた。しかし戦争が終わっても困難は続く。難民となった彼らには行く場所がなかった。そんな時、町にやってきたのが映画だ。壁に映し出されたのはチャップリンの無声映画『キッド』である。この作品は映画史上初めて喜劇と悲劇を融合したといわれている。チャップリンのコミカルな動きに人々から笑いが起こる。そしてナザレットもいつのまにか笑顔になっていた。おそらく喉を切られていなければ声をあげて笑っていただろう。

家族を失い、友人を失い、明日の希望も見えないそんな時代に、チャップリンがもたらした笑顔。チャップリンの偉大さや、映画の素晴らしさを感じられるシーンである。

『消えた声が、その名を呼ぶ』のエピソード・逸話

歴史的タブーに挑んだファティ・アキン

100年以上経った今も見解が分かれているこのテーマを、トルコにルーツを持つファテ・アキン監督が取り上げることは、決して簡単なことではなかった。事実彼はこの映画を撮ったことで脅迫をうけ、トルコに気軽に行くことができなくなったという。

しかし彼はこの映画でトルコを糾弾しているわけではない。描きたかったのはジェノサイドではなく、娘を探す父親の物語であり、移民と移住の話だという。娘たちを探すため、父親は砂漠を歩き、海を越える。神を信じ善良であろうとした男が、娘に会うため加害者にもなる。そんな一人の人間を見守る映画なのだ。

手を差し伸べた巨匠たち

本作は制作にあたり、映画界の巨匠たちが数多くサポートをしている。作品の全体像については、この物語を絶賛したマーティン・スコセッシ監督がアドバイスをおくった。また、ロマン・ポランスキー監督は壮大な物語の撮影方法について、アトム・エゴヤン監督はアルメニア人を描くにあたっての助言をしている。

さらにマーティン・スコセッシ監督の『レイジング・ブル』などを手掛けたアルメニア人のマルディク・マーティンは、30年ぶりに脚本家として作品に参加し、共同脚本を務めた。また、『シンドラーのリスト』でアカデミー賞美術賞を受賞したアラン・スタルスキが美術監督を務めている。

予告動画

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