目次

  1. 経歴
  2. エピソード
  3. 「NIPPON」騒動
  4. 音楽性
  5. ルーツ
  6. シングル
  7. 幸福論(こうふくろん)
  8. 歌舞伎町の女王(かぶきちょうのじょおう)
  9. ここでキスして。
  10. 本能(ほんのう)
  11. ギブス
  12. 罪と罰(つみとばつ)
  13. 真夜中は純潔(まよなかはじゅんけつ)
  14. 茎(STEM)~大名遊び編~(くき(すてむ)~だいみょうあそびへん~)
  15. りんごのうた
  16. この世の限り(このよのかぎり)
  17. ありあまる富(とみ)
  18. カーネーション
  19. 自由へ道連れ(じゆうへみちづれ)
  20. いろはにほへと/孤独(こどく)のあかつき
  21. NIPPON(にっぽん)
  22. 至上の人生(しじょうのじんせい)
  23. 最果てが見たい(さいはてがみたい)
  24. 長く短い祭り/神様、仏様(ながくみじかいまつり/かみさま、ほとけさま)
  25. ジユーダム
  26. 13 jours au Japon ~2O2O日本の夏~(さーてぃーんたーぐんおいじゃぱん~2020にほんのなつ~)
  27. アルバム
  28. 無罪モラトリアム(むざいもらとりあむ)
  29. 勝訴ストリップ(しょうそすとりっぷ)
  30. 唄ひ手冥利~其ノ壱~(うたいてみょうり~そのいち~)
  31. 加爾基 精液 栗ノ花(かるき ざーめん くりのはな)
  32. 平成風俗(へいせいふうぞく)
  33. 私と放電(わたしとほうでん)
  34. MoRA(もーら)
  35. 三文ゴシップ(さんもんごしっぷ)
  36. 浮き名/蜜月抄(うきな/みつげつしょう)
  37. 逆輸入~港湾局~(ぎゃくゆにゅう~こうわんきょく)
  38. 日出処(ひいずるところ)

経歴

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デビューシングル「幸福論」にてセーラー服を着用した椎名林檎

先天性食道閉鎖症(身体に栄養を取り込めない肉体的異常)を持って生まれ、出生後すぐ慶應義塾大学病院で2日間にわたる手術を受ける。
2歳のとき父親の転勤で静岡県清水市(現・静岡市清水区)に移り、11歳で福岡県福岡市早良区に越して18才までを過ごす。
「椎名林檎」として音楽活動を始めた福岡を出身地としている。
中学入学後、友人とバンドを結成。高校進学後軽音部に入部、数多のバンドでボーカルだけでなくあらゆる楽器を担当し、洋楽邦楽問わずコピー演奏していた。自身で曲を書くようになって以降は学外の友人たちとバンドを結成、ライブハウスで演奏する。

1994年「第19回ホリプロタレントスカウトキャラバン放課後の決戦~カラオケ・バトルロイヤル~」に出場。1995年「Marvelous Marble(マーベラス・マーブル)」というバンドで「第9回TEEN'S MUSIC FESTIVAL」に出場し、福岡地区で1位を獲って全国大会に進出、奨励賞を受賞する。このときティーンズ大賞・文部大臣奨励賞(グランプリ)に輝いたのがaikoで、aikoとの友人関係はこのときから始まっている。同年秋、RKBラジオの家村博之ディレクターの推薦で「長崎歌謡祭」に出場、ファイナリストとなる。

高等学校2年3学期が終わると同時に学校を中退。ピザ屋や警備などのバイトをしながらデモテープを作る日々を送る。
1996年「THE 5th MUSIC QUEST JAPAN福岡大会」にバンドで出場し、大会関係者にソロ転向を勧められ、同大会決勝「MUSIC QUEST JAPAN FINAL」に『椎名林檎』として出場。「ここでキスして。」を歌って優秀賞を獲得する。

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デビュー前

このことがきっかけでいくつかのレーベルから声がかかり、そのうち特に熱心な推薦をした東芝EMI九州エリアの宣伝マンの紹介で東芝EMI制作ディレクター・篠原雅博(しのはら まさひろ)と契約を交わす。
篠原の紹介した実績のある外部ディレクターと組んで仕事を始めて早々に曲の改変について対立。
1997年イギリスで1月から3月にかけて3ヵ月間ホームステイし、帰国後、新たに紹介されたアレンジャー兼ベーシストの亀田誠治とデビューに向けた楽曲制作を始める。

1998年5月、シングル「幸福論」にてメジャーデビュー。1999年、1stアルバム「無罪モラトリアム」が160万枚のヒットを記録する。
2000年2stアルバム「勝訴ストリップ」が250万枚を超えるセールスを記録し、トップアーティストとしての地位を確立する。
11月にギタリストの弥吉淳二と結婚。2001年、シングル「真夜中は純潔」を発表した直後、妊娠が発覚し出産のため休業。「真夜中は純潔」のPVの撮影時に既に妊娠していたことがわかり、急遽内容がアニメーションに差し替えられた。そのため椎名林檎自身が出演しているPVは幻となる。
2002年5月、カバーアルバム「唄ひ手冥利〜其ノ壱〜」「唄ひ手冥利~其の弐~」を発表。
2003年2月には「加爾基 精液 栗ノ花」を発表し、ソロ活動を休止。「東京事変」としてバンド活動を始める。

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東京事変(左からギター・浮雲、ドラム・刃田、ボーカル・椎名、ベース・亀田、ピアノ・伊沢)

2007年、映画「さくらん」に音響監督として参加、
「さくらん」のために作った楽曲を斎藤ネコとアレンジしたアルバム「平成風俗」を発表し、ソロ活動を再開。
2008年、デビュー10周年を記念して、これまでに発表したシングルのB面を集めたアルバム「私と放電」を発表。
このアルバムは2枚組になっており、これまでのライブでの様子を収めたDVD「私の放電」と同時発売であった。

2009年3月、文化庁主催「平成20年度芸術選奨」大衆芸能部門において、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞する。
6月24日に「三文ゴシップ」を発表。純粋なソロ名義としては6年4ヵ月ぶりのアルバムであった。
2013年11月13日、デビュー15周年を記念したコンピレーションアルバム「浮き名」「蜜月抄」を発表。
2014年5月27日、数多のアーティストへ提供してきた自身の楽曲をセルフカバーしたコンセプトアルバム「逆輸入~港湾局~」を発表。
全収録曲で異なるアレンジャーを起用し話題に。
11月5日、5年半ぶりとなるオリジナルアルバム「日出処」を発表。
2016年リオオリンピック閉会式の演出を務め、世界各国から高い評価を得る。

エピソード

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・「椎名林檎」という名前はビートルズのドラマー、リンゴ・スターからつけた。
幼少の折、恥ずかしがり屋ですぐに頬が赤くなる性質であったことも由来のひとつとして挙げている。
高校1~2年生の時、自身の楽曲「茜さす帰路照らされど」「ギブス」「虚言症」「ここでキスして」といった楽曲をJASRACへ著作権登録しようとした際に筆名が必要だったために考え、以来『椎名林檎』として音楽家活動を続けている。

・ピアノとクラシックバレエを10年にわたって習っていたが生まれてすぐに受けた手術の後遺症で身体の左右に均等に力を入れることができなくなり断念している。

・デビュー後しばらく「新宿系」を名乗っていたが、後に「取材などで常に『ジャンルは何系?』と聞かれるのが面倒臭いので口から出まかせを言った」「本当は意味などなかったが何か理由づけをしないと悪いと思って聞かれたことに対して一生懸命答えたのだろう」と当時の心境を明かしている。

・デビュー当時の志望は「作曲家」であったため、広末涼子やともさかりえに楽曲提供を行っている。
自身のアーティストとしての地位が確立されてからも栗山千秋、TOKIO、石川さゆり、真木よう子、柴咲コウ、林原めぐみなどに多数楽曲を提供した。
またそれらをセルフカバーしたアルバム「逆輸入~港湾局~」も発表している(このアルバムでは、日本語歌詞で提供された曲の多くが英語歌詞に変更されている)。

・左の口元のほくろがトレードマークだったが、2003年に手術をして除去。
また、同年そのほくろをタイトルとしたシングル「リンゴカタログ~黒子時代再録纂~」を発表している。
ほくろに関して「小学校時代に女優の沢口靖子やマドンナのように口元にほくろのある女性に憧れて、ペンで書いていたら本物になった」と述べている。

・歌詞に旧仮名や旧字体を多用するため、読者家だと思われることが多いが実際は小説よりは辞書を読むのが好き。
使用する旧仮名についても自分の美意識に沿うもの優先であるためすべてが正規のものとは限らない。

・イチローの大ファンであることを公言しており、ロックバンド・東京事変として発表した楽曲「スーパースター」はイチローのことを想い書いた曲である。2007年2月23日フジテレビ系音楽番組『僕らの音楽』内でのイチローとの対談で、イチローに「その才能にジェラシーを感じる」と発言されている。

・2014年11月8日(土)23:00.23:29(NHK総合)で放送された『SONGS』内で「もっとも不安な事柄」として「東京オリンピックの開会式」を挙げ、秋元康による「JAPAN 48」で彩られる開会式にならないかを心配する発言をしている。

「NIPPON」騒動

2014年7月4日「週間朝日」誌上でNHKのサッカー番組のために書き下ろした「NIPPON」の歌詞について「(サッカー日本代表のチームカラーを「混じり気無い青」と表現した歌詞が)『純血性』を強調している」、「死をイメージさせる歌詞(「嗚呼また不意に接近している淡い死の匂いで」、「乾杯!乾杯!いざ出陣」、「あの世へ持っていくさ」など)が特攻隊を思わせる」、「『日本の応援歌なんだから日の丸は当然』と言うが、意味深な歌詞をはためく国旗の下で歌われてしまうと、さすがにいろいろ勘ぐりたくもなる」と批判される。

これについて音楽評論家の石黒隆之が「日本に限定された歌がずっと流れることになるのも、相当にハイリスク」「過剰で、TPOをわきまえていないフレーズ。日本以前にサッカーそのものを想起させる瞬間すらない」と、NHKのワールドカップ中継のテーマとしてふさわしくないとさらに批判。
ジャーナリストの清義明も「サッカーは民族と文化のミクスチャー(混在)のシンボル」「最近は浦和レッズの一部のサポーターが掲げた『ジャパニーズ・オンリー』という横断幕が差別表現と大批判された事件もあったのに、サッカーのカルチャーをまったくわかってないとしか言いようがない」と批判していた。
一方で、音楽評論家の宗像明将は「デビュー当時から和の要素も含む過剰な様式美を押し出してきた人ですから、その要素が過剰に出すぎて議論を呼んでいるだけでしょう」と述べている。

これらの批判に対して雑誌『SWITCH』のインタビューで椎名は「貧しい」「諸外国の方々が過去の不幸な出来事を踏まえて何かを問うているなら耳を傾けるべき話もあるかもしれないが、日本人から右寄り云々と言われたのは心外。(それらの批判は)揚げ足を取られたと理解するほかない。趣味嗜好の偏りや個々の美意識の違いなどという話を踏まえた上でも、自分は誰かを鼓舞するものを書こうとはしても誰かに誤って危害を加えるようなものは書いていないつもりだ」と反論。
不謹慎だと言われた“死”という言葉については「死は生と同じくみんな平等に与えられるもので、勝負時にせよ今しかないという局面にせよ、死の匂いを感じさせる瞬間は日常にもある。ここを逃すなら死んだ方がマシという誇りや負けた後のことまで考えていられないという決死の覚悟をそのまま写し取りたかっただけ」と述べた。

また、2014年6月14日にゲスト出演したラジオ番組『JA全農 COUNTDOWN JAPAN』では「最前線で戦う方だけにわかる『ここを逃したら死ぬしかない、死んでもいいから突破したい』っていう気持ちはどんな分野にでもある。その瞬間だけを苦しむんじゃなくて、楽しもうという気分を切り出せば成功するだろうと思い、頑張って取り組んだ」と語っている。

音楽性

ロックンロール、ジャズ、ヒップホップなどジャンルを問わない柔軟さで
ボーカル、ギター、鍵盤、ドラムなど各種楽器演奏、そして作編曲をこなす能力の幅が広い音楽家である。

なかにし礼や阿久悠といった職業作詞家たちが書いた昭和の歌謡曲に慣れ親しんで育ったため
「歌には上手い下手などなくて『歌になっているか、なっていないか』があるだけなのではないか」という考えを持っている。
宇崎竜童・阿木燿子夫妻に憧れており、その二人の形を一人二役でこなす作家になるのが夢だという。

元RKB毎日放送音楽プロデューサー野見山賽はデビュー前の椎名林檎の詩集を見て
「詩の発送と着眼点、展開が凡人とは異なる。曲については、作品の中にジャズやシャンソンなどを取り入れた同年代の若い作家にはあまり例を見ない発想がある」と評した。

作曲について「旋律(メロディ)と和声(ハーモニー)の関係性にこそ常に関心を持つべきだ」という考えを持ち、
ビートや音色に触発されてサウンドのほうから組み立てるアプローチは極力せぬよう心掛ける。
また、デモを作る段階で編成のボリュームを決め込み、レコーディングの際それぞれのプレイヤーからのプラスアルファで音が減っても増えないようにしている。

作詞について、最初に曲のイメージを損なわないよう英語で仮の詩を書いてからデモを作りその後メロディと母音子音から英語詞か日本語詞かを決める。
後から当てはめていくように詩を作るのが特徴。

ルーツ

クラシック、ジャズ、ポピュラー・ミュージックに造詣の深い父親と、歌謡曲が好きな母親を持つ。
音楽的原体験はドビュッシーのピアノ曲である。
クラシックバレエやピアノを習っていたため幼少期はクラシック音楽、とくにピアノ曲を好み、交響曲ではバレエ音楽ばかりを聴いていた。
歌のある曲には興味がなかったが父親の影響でザ・ピーナッツは好きであったという。

小学校に上がってからは歌謡曲や女性ジャズボーカリストを好んで聴く。
特によく聞いたミュージシャンは以下のとおり。
映画「風の谷のナウシカ」サウンドトラック/五輪真弓/太田裕美/朱里エイコ/大塚博堂/寺尾聡/来生たかお/ペドロ&カプリシャス/長谷川きよし/渡辺貞夫/ビリー・ジョエル/ニーナ・シモン/サラ・ボーン/エラ・フィッツジェラルド

中学に上がると、兄・椎名純平の影響でモータウンやソウル・ミュージック、R&Bといったブラック・ミュージックに傾倒。
高校に進むとBLANKY JET CITYから日本語の歌詞のよさに気づき再び邦楽を聴くようになる。
洋楽ではレディオヘッド/ビョーク、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ/レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン/パール・ジャムを好み、セックス・ピストルズのビデオ映像に衝撃を受けた。高校中退後はトッド・ラングレンやレッド・ツェッペリンを好んで聴く。

ボーカリストとしてフェアーグラウンド・アトラクションのボーカル、エディ・リーダーに憧れを抱いていたが、声室がまるで異なることを自覚していたため、もう一人の憧れであったジャニス・イアンを目指す。

デビュー当時は「和製アラニス・モリセット」と言われることが多かったが本人は自身のイメージをクランベリーズのドロレス・オリオーダンだと思っていた。

シングル

幸福論(こうふくろん)

1998年5月27日に発売されたデビューシングル。
椎名林檎本人はカップリング収録となった「すべりだい」をデビューシングルとして表題曲に据えたいと考えていたが周りの意向でいつのまにか幸福論が表題曲となっていた。

福岡時代に交際していた男性について歌った曲であり、「時が暴走する」「すべりだい」の続編となっている。
当初発売された8cmフィルム版には「時が暴走する」は収録されていなかったが、繋がった曲であるため、リスナーに対する中途半端さを嫌った椎名林檎の希望で1990年10月27日に発売された12cmフィルム版には「時が暴走する」もカップリングとして収録されている。

1999年2月24日に発売された1作目のスタジオ・アルバム『無罪モラトリアム』に「幸福論(悦楽編)」としてアルバムバージョンが収録された。
そのためシングルバージョンは、オリジナルアルバムには収録されていない(デビュー10周年企画の第3弾として2008年11月25日に初回完全生産限定で発売されたボックス・セット『MoRA』の『無罪モラトリアム』にはボーナス・トラックとして収録された)。
カップリング曲の「すべりだい」と「時が暴走する」は、2008年7月2日に発売されたデビュー10周年記念アルバム『私と放電』に収録されている。

歌舞伎町の女王(かぶきちょうのじょおう)

1998年9月9日 発売。
「新宿系」の肩書きと共に椎名を代表する曲。
1999年9月よりサントリー「ザ・カクテルバー ミモザ クラッカー篇」CMソングとして使用された。
福岡から上京した椎名がレコードショップでアルバイトをしていた時期、SMクラブで働いてくれないかと勧誘をしつこく受けたことから着想を得て制作した楽曲。この曲を制作した当時、椎名は歌舞伎町を訪れたことはなかった。

大まかなアレンジを含めて30分程度でできあがったというこの曲は、椎名の楽曲の中では珍しく全編フィクションである。
曲を作る際にドラムを叩いている少女が頭に浮かんだため、椎名自身がその少女になりきってドラムを叩いている。
ジャケット写真は東京都新宿区にある新宿ゴールデン街、ミュージック・ビデオは東京都豊島区にある法明寺で撮影されている。
後にPVを見た友人に「あれホラーだよ~~」と言われショックを受けたと述べている。

ここでキスして。