『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』解説まとめ【ストーリー・人物・企画・名言・主題歌など(ネタバレあり)】

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一般視聴者が本気で汗にまみれ、泥につかり、池に落ち、壁にぶつかる。そんな姿はお茶の間の大爆笑を呼ぶとともに、自分たちも参加してみたいと思わせた。そして日本国内だけではなく、海外でも大いに受けた。『風雲!たけし城』はそんな番組である。
谷隼人率いる攻撃軍と、ビートたけし率いるたけし軍の、数々の関門を介した激闘は127回に及んだ。

番組概要

『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』は、1986年5月から、1989年4月までTBS系で放送されたバラエティ番組。

「ファミコンゲームを実際の人間がやったらおもしろいんじゃないか?」「子供のころの原っぱ遊びや泥遊びを本気でやりたい」というビートたけしの提案がもとになり、数え切れないほどの一般視聴者が緑山スタジオに集って、本気になって数々の関門に挑戦した。

内容は一部編集されつつも、台湾、アメリカ、フィリピン、ヨーロッパ諸国で放送されるなど、世界的にも知名度が高い番組である。

「天を突き高く聳え立つこの城を人はたけし城と呼ぶ!今まさにこの城を巡って壮絶なる戦いの火蓋が切って落とされようとしていた!」という、宮内鎮雄アナウンサーの名調子もつきものだった。

主な出演者

城主・ビートたけし

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総工費1億円をかけ、たけし城を建立。たけし軍を率いて谷隼人軍の挑戦を待ち受ける。

番組最後のカート戦では移動要塞「たけし号」を自ら操縦し、参加者をことごとく退けてきた。

たけし城を谷軍に占領された特番では、自ら「悪魔の館」や「コリントでポン」などに挑戦したが、ことごとくイカサマだった。

フライデー事件での謹慎中は、ラッシャー板前が中に入った「たけしくん人形」が代役を務めた。

攻撃軍隊長・谷隼人

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毎回100人前後が参加した攻撃軍の総指揮官。

「これから難攻不落のたけし城を攻め落とす!行く手には数々の難関が待ち構えているが、全力を尽くして頑張ってほしい!いいな!?」や、「よくぞ生き残ったわが精鋭たちよ!」がお約束のセリフ。

谷はこの時期、スーパー戦隊シリーズ『光戦隊マスクマン』の姿三十郎長官も演じており、「たけし城も落とせない奴が地底帝国チューブ(敵の組織)を倒せるわけがない」と言われていた、という逸話も存在する。

2代目家老・東国原英夫之守三太夫Jr.

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初期は「第一砦」守備隊長だったが、番組中盤から出世を果たす。

新しい関門のルール説明をしたり、たけしや軍団とともにゲーム合間のコントを行ったり、というのが見せ場。

コント内ではたけしから一方的にひどい目に合わされることも多い。

初代家老・三太夫(石倉三郎)

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番組初期の家老。新しい関門の説明を行うときのたけしとのやりとりはほぼ漫才(たけしと石倉は浅草時代からの親友である)。

フライデー事件でたけしが謹慎している間は、喋れないたけしくん人形の意思を代弁していた。

たけし城の操縦も行っていたが、ゲストに運転技術を酷評されたこともある。

たけし軍団

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関わった関門――第一砦(守備隊)、第二砦(守備隊)、これは玉RUN(守備隊)、ジブラルタル海峡(砲撃主)他

稲川淳二

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「戦場リポーター」として、参加者にインタビューしたり、関門の間のコントに参加した。

ストロング金剛

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