目次

  1. ますだおかだの増田英彦の「M-1グランプリ」にかける「覚悟」
  2. ますだおかだの前に現れた「とてつもないライバル」
  3. 「敗者復活枠」で無名から有名へ。~スピードワゴンの存在~
  4. 「ますだおかだ」がM-1グランプリ王者になった「M-1グランプリ」の価値。

ますだおかだの増田英彦の「M-1グランプリ」にかける「覚悟」

 2001年、中川家がM-1グランプリの初代チャンピオンになったとき、一人の男が
悔しそうな表情をしながら、その姿を見つめていた。
 その男の名前は、「ますだおかだ」の増田英彦。その悔しい思いは私たちの想像を
はるかに超えていた。
 あれから1年、2002年に「ますだおかだ」は再びファイナリストとして再び戻ってきた。
この時増田英彦は、相方の岡田圭右にも言えない「大きな覚悟」を持って、今回のM-1グランプリに挑んでいた。
 その思いとは、「いくら面白くても結果が出なかったら、漫才を辞めなければならない。」という思いを抱いていたのだ。

 「ますだおかだ」の「正統派漫才」は前回に比べ、審査員の評価も高く、その時は暫定1位でこのまま優勝されると思われた。ところが、彼らの前に「大きなライバル」が彼等の
前に現れたのだった。

ますだおかだの前に現れた「とてつもないライバル」

M-1グランプリ2002年に出場した笑い飯の漫才です。

M-1グランプリ2002年に出場したフットボールアワーの動画です。

 ところが、「ますだおかだ」の前に二組の「とてつもないライバル」が現れた。
 一組は、「ダークホース」と呼ばれた「笑い飯」。
後に彼らは「ミスターM-1」と呼ばれ、
9年連続ファイナリストとして出場することになる。
彼らの漫才スタイルは「ダブルボケ」という独特のスタイルを持っており、
当初審査員をはじめ、周りに大きな衝撃を与えた。
 
 もう一組は2001年にファイナリストとして出場した「フットボールアワー」
2001年に出場した当初は審査員の得点があまりにも低かったので、リベンジで参戦した。
その努力が実って、審査員の評価も高く、決勝に残った。

ますだおかだの漫才です。(M-1の動画ではないです)

2015年のますだおかだの漫才です。

「敗者復活枠」で無名から有名へ。~スピードワゴンの存在~

 更に、2002年から、「敗者復活枠」という制度が設けられ、スピードワゴンが敗者復活枠で選ばれた。後に、スピードワゴンは「無名」から「売れっ子漫才師」として、メディアに
引っ張りだこな存在になり、現在も活躍している。

「ますだおかだ」がM-1グランプリ王者になった「M-1グランプリ」の価値。

 2002年に「ますだおかだ」はM-1グランプリ2002年王者として選ばれた。
この時、松竹芸能事務所所属である、「正統派漫才師」の「ますだおかだ」が選ばれたことで、「M-1グランプリ」は「ガチンコの漫才バトル」であることが証明されたのだ。
 
 そして、最終決勝で残った「笑い飯」と「フットボールアワー」の戦いは2003年に続くのだった・・・。