目次

  1. そもそもジュール・ヴェルヌって誰?
  2. 『八十日間世界一周』って何?
  3. 世界一周に挑んだふたりの女性記者とは?
  4. 本の見どころは?

そもそもジュール・ヴェルヌって誰?

ジュール・ヴェルヌ(1828年2月8日-1905年3月24日)は、フランス人のSF作家である。
一番てっとり早いのは、Wikipediaの記事を読んでしまうことだ。

JA.WIKIPEDIA.ORG

2015年は映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でタイム・マシンが訪れた未来として描かれた。
1985年に公開時には2015年がはるか遠い未来に思えたのだろう。
マーティとドクはシリーズ1作目では未来である2015年に飛んだが、3作目では過去である1855年に飛んだ。
そこでドクはクララ・クレイトンという女性にひとめぼれをする。二人は月を見ながらSF小説について語り合う。
ドクは子どもの頃に読んだ古典SFとして、クララは最近発売されたSF小説として、ヴェルヌの名前を出す。

SF作家として有名なヴェルヌ、代表作は『八十日間世界一周』だ。
他にも『海底2万マイル』や『月世界旅行』といった有名な作品を残している。
『海底2万マイル』は、小説は読んだことはなくとも、ディズニーシーのアトラクションで知っている方が多いのではないだろうか。
ちなみに『月世界旅行』は1902年に映画化され、世界初のSF映画として映画歴史を語る上では欠かせない作品である。

『八十日間世界一周』って何?

主人公フィリアス・フォッグは裕福なイギリス人貴族。独身である彼は、規則正しい生活を送ることが何よりも重要だと考えていた。
彼の要求に正確にこたえられることのできなかった執事は容赦なく解雇され、今日から新しく雇ったのはフランス人のパスパルトゥーだ。
その日の遅く、フォッグは行きつけのクラブで他の紳士たちとあるニュースについての話から「世界一周が80日間で可能になった」と宣言する。そして賭けが始まった。
もしそれを実現できなかった場合、フォッグは全財産を失う。実現できれば賭けに勝って大金を手にするのだ。
彼とパスパルトゥーはその日の内に出発した、世界をぐるりと一周して再び戻ってくる旅だ。

ヴェルヌの代表作として有名なこの作品は、1956年と2004年に映画化された。
映画のみならず舞台化もされており、舞台には機関車や本物のゾウが登場したのだという。

"Around the World in 80 Days" (1956) Trailer

世界一周に挑んだふたりの女性記者とは?

ヴェルヌの『八十日間世界一周』が発売されてから17年後。
ニューヨークに立ち並ぶ新聞社では記者たちが忙しく働いていた。ほとんどが男性で、女性の姿は見られなかった。
女性記者もいることにはいた。だが、彼女たちに任せられていたのは女性向けの記事ばかりだった。
上流社会のゴシップやウェディングドレスについて、刺繍やお茶会の記事。

そうしたなか、「ワールド」誌の記者ネリー・ブライは危険をともなう潜入捜査を行い、内部暴露記事を書くことで名前をあげた。
父親を亡くしたあとに貧乏生活から母親と自分を救うために、彼女は北部ペンシルベニア州からニューヨークへと移り、必死に働いた。
やがて彼女はある企画を思いつく。ヴェルヌの作品が本当かどうかを、実際に確かめてみるというものだ。

それより前にも、世界一周に挑戦した人びとはいた。いずれも男性で、またいずれも失敗に終わっていた。
彼女はデスクにその企画を持ち込み、そのときには採用されなかったものの、「ワールド」誌の売り上げが落ち込み始めたとき、あらためて実現された。

Nelliebly

エリザベス・ジェーン・コクラン(Elizabeth Jane Cochran, 1864年5月5日 - 1922年1月27日)
ペンネームは「ネリー・ブライ」

ネリー・ブライがニューヨークから東回りの世界旅行に出発した日の夜、もうひとりの女性記者が西回りの世界旅行へと出る。
彼女の名前はエリザベス・ビズランド。

Elizabeth bisland around the world

エリザベス・ビスランド(ビズランド)・ウェットモア (Elizabeth Bisland Wetmore、1861年2月11日 - 1929年1月6日)

南部のルイジアナ州出身の彼女は、南北戦争によって多くを失った両親に育てられた。
文学・詩にたいしての造詣が深く、日本では「小泉八雲」の名前で知られているラフカディオ・ハーンとも親交があった。

ネリー・ブライが勇敢かつ闘争的なタイプだとしたら、エリザベス・ビスランドはその反対だった。
彼女は新聞社におけるセンセーショナルな見出し記事に興味がなく、どちらかといえば文学作品の書評や詩を作ることを好んでいた。
南部のゆっくりとした喋りと深い教養によって、彼女は文学サロンの男性たちを魅了していた。

彼女は雑誌「コスモポリタン」のジョン・ブリスベン・ウォーカーから指示を受けて、ネリー・ブライが出発した日の夜に、世界一周の旅へ出る。
あまり乗り気ではなかったようだが、引き受けなければこれからの仕事にさしさわりがあることは明らかだった。

こうして二人の女性は世界一周の旅に出た。

本の見どころは?

作者は本を読むことで世界一周の旅に出ることができる。しかも19世紀の。
わくわくするような冒険活劇は見られないものの、この本にはドラマがある。
行く先々で描かれる国の光景は、遠い昔のことであっても、むしろ遠い昔だからこそ魅力的なものだ。
日本では横浜が登場し、わりと好意的に書かれているのも嬉しいところだ。

どちらの女性が勝つかという読み方もできるだろう。
その場合、読む前に結果を知ってしまってはもったいないので、彼女たちのWikipedia記事は見ないことをオススメする。

同時に、この本では当時の社会において女性がどのような位置に押し込められていたかを知ることができる。
少々ぶ厚い本だが、紀行文はするする読めるもの。ぜひ手に取ってみてほしい1冊である。