目次

  1. Red Hot Chili Peppersとは
  2. Red Hot Chili Peppersのサウンド
  3. 最後に

Red Hot Chili Peppersとは

Redhotchilipeppers2014

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ (英: Red Hot Chili Peppers) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のロックバンド。主な略称は「RHCP」や「The Chili Peppers」。日本では主に「レッチリ」と略称される[1][2][3]。2012年にロックの殿堂入り。
2015年現在、オリジナル・アルバムを10枚、ベスト・アルバムを2枚発表している。

メンバーがそれまでに所属していたバンドには、チェイン・リアクション (Chain Reaction) やアンセム (Anthym) などがある。
1983年 - アンソニー・キーディスとフリー、ヒレル・スロヴァク、ジャック・アイアンズによりバンド結成。
1984年 - Capitol/EMIと契約し、デビューアルバム『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ』をリリース。プロデューサーにギャング・オブ・フォーのアンディ・ギルを迎えて作成されるが、この作品には、ヒレルとジャックは参加していない。
1985年 - ヒレルが復帰して、アルバム『フリーキー・スタイリー』をリリース。プロデューサーに、ジョージ・クリントンを迎えて作成された。
1987年 - アルバム『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』をリリース。前作で復帰したヒレルに続き、ジャックもバンド復帰して制作された作品で、最初で最後のオリジナルフルメンバーによるアルバムになった。このアルバムから、初めて日本盤が発売される。
1988年 - ヒレルが、ヘロインの摂取過多により死亡。これに伴い、ジャックもバンドから脱退してしまう。
1989年 - 新メンバーに、ジョン・フルシアンテ、チャド・スミスを迎え、アルバム『母乳』をリリース。このアルバムの裏ジャケットの絵画は、ヒレルが生前に描いたものである。初めてのチャートヒット作品となり、この頃から大会場規模なツアーを行うようになる。
1991年 - Capitol/EMIからWarnar Brothers Recordsに移籍し、アルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』をリリース。全世界レベルでのブレイク作品となる。現在のプロデューサーであるリック・ルービンを迎えた作品。このアルバムに収録され、シングルカットされたUnder The Bridgeで、初の全米1位を獲得。また、同じくシングルカットされたGive it awayは、グラミー賞のハードロック部門最優秀シングル賞を受賞している。
1992年 - 世界ツアーでの来日中、ジョンが突如帰国、脱退してしまう。
1995年 - ギタリストにデイヴ・ナヴァロを迎え、アルバム『ワン・ホット・ミニット』をリリース。しかし、デイヴはこの作品のみで脱退してしまう。
1999年 - ジョン・フルシアンテが復帰し、アルバム『カリフォルニケイション』をリリース。「スカー・ティッシュ - Scar tissue」で、2度目のグラミー賞を受賞。驚異的なセールスを記録し、現在までの最大のヒット作となる。
2002年 - アルバム『バイ・ザ・ウェイ』をリリース。チャドが「very john」と表現したように[4]、ジョン色が全面に押し出されたアルバムとなった。アルバムチャートでは、ついにイギリスで1位を獲得した。
2006年 - アルバム『ステイディアム・アーケイディアム』をリリース。初のアメリカアルバムチャート1位をはじめとして、全世界24ヶ国で1位を獲得。日本のアルバムチャートでも、2枚組の洋楽アルバムとしては、史上初の初登場1位を獲得した。先行シングルとなったDani Californiaが、同年に日本で公開された『デスノート』の主題歌として採用。同アルバム収録のSnow ((Hey Oh))も『デスノート the Last name』の主題歌に採用された。また、このアルバムで3度目のグラミー賞を受賞している。
2006年 - 7月28日に、テレビ朝日系の音楽番組『ミュージックステーション』に出演。日本のテレビ番組で、生出演や演奏はデビュー23年目で初めて。
2007年 - 3月19日の京セラドーム大阪、3月22日・23日の東京ドームの公演は、いずれもアンソニーが「急性肺炎、10日間の絶対安静」との医師の所見のため、3月17日の来日直前になって急遽延期された。
2009年 - ジョン・フルシアンテがソロキャリアで自分の志向を突き詰めたいとして脱退。この脱退はメンバーの間では前年からある程度既定事項で、前回の脱退とは違い友好的なものであり、親交は今まで通り続いている模様[要出典]。
2011年 - 新ギタリストとしてジョシュ・クリングホッファーが加入し、アルバム『アイム・ウィズ・ユー』を前作から5年ぶりにリリース。リリース間隔として5年のブランクは結成以来最長である。

メンバー
アンソニー・キーディス (Anthony Kiedis) - ボーカリスト、作詞家
1962年11月1日生まれ(1983年 - )ミシガン州グランド・ラピッズ出身。175cm。バンド結成時からのメンバーだが、『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』のレコーディングの頃に一度脱退、その後に復帰した。2006年に、自伝『スカー・ティッシュ』を発表。環境保護団体のシーシェパードのスポンサーとしての側面も持つ。
フリー (Flea、本名マイケル・バルザリー (Michael Balzary)) - ベーシスト・バッキング・ボーカリスト
1962年10月16日生まれ(1983年 - )オーストラリアメルボルン出身。身長168cm。同じく、バンド結成時からのメンバー。ベースの技量は高く、All Music Guideにおいて「one of rock's most talented bassists(史上最も才能豊かなロックベーシストの一人)」と評されている。これまでも様々なミュージシャンと共同活動を行ってきたが、2009年レディオヘッドのトム・ヨークと新バンドを結成。2012年ブラーのデーモン・アルバーン、トニー・アレンとRocket Juice & The Moonを結成。
チャド・スミス (Chad Smith) - ドラマー
1961年10月25日生まれ(1989年 - )ミネソタ州セント・ポール出身。身長191cmの巨漢。脱退したジャック・アイアンズの後任ドラマーを決めるオーディションで実力を買われて加入。アルバム、「母乳」での一節より、当初はレザージャケットと頭にバンダナを巻いたロッカースタイルがメンバーの間で気に入られず、スキンヘッドにさせようという話があった模様。ソロ活動も精力的で、ドラム・セミナーなどで来日も果たしている。他のメンバーと同様、チリ・ペッパーズ以外にもサイド・プロジェクトを手掛ける。
ジョシュ・クリングホッファー (Josh Klinghoffer) - ギタリスト・バッキング・ボーカリスト
1979年10月3日生まれ(2010年 - )カリフォルニア州ロサンゼルス出身。チリ・ペッパーズには2007年のステイディアム・アーケイディアム・ツアーの合間からサポートミュージシャンとして参加。2010年2月、チャド・スミスより、2009年12月に脱退したジョン・フルシアンテに変わって、新ギタリストとなることが発表された。

評価[編集]
音楽性[編集]
チリ・ペッパーズは、ファンクとハードロックやパンク・ロックを混ぜ合わせた、いわゆるラップロック、ファンクロック(ミクスチャー・ロック)バンドの一つとして有名である。初期は、フィッシュボーンやジェーンズ・アディクションなどと共に、これらのパイオニアとして活躍し、その評価向上に大いに貢献した。3rd『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』までは、アンダーグラウンドの活動がメインであったが、4th『母乳』で知名度を上げ、5th『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』で世界的人気を誇り、バンドと共に一躍ラップロックやファンクロックといったジャンル自体をメインストリームへと急浮上させた。
その後は、度々音楽性を細かく変えながらも、ファンク・パンク色は薄れ、メロディー路線が顕著となり、会心の復帰作7th『カリフォルニケイション』は、『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』を凌ぐセールスを記録し、現在までの最大のヒット作となった。
音楽面で初期のバンドをリードしていたのはフリーであり、そもそもバンドの結成理由が、フリーのベースラインとアンソニー・キーディスのライミングのマッチングが思いのほか良かったから、というものだったことも含め、まさにバンドの核と言える存在だった。中期以降は、ジョン・フルシアンテの活躍が目覚ましいが、フリーやチャド・スミスらもライブと音源双方において、依然として大きく貢献している。 2002年6月、「Graind House magazine」にてフリーが、「同じことを繰り返して、成長しないというのは絶対にイヤだね。人間として成長すれば、音楽も成長し、そして変化する。オレたちは成長したい、変化したいっていつでも思ってる。それが最も重要なことさ」と語っている。
歌詞[編集]
これまでの歌詞は、ほとんどヴォーカリストであるアンソニーによるもの。初期から中期にかけての主な題材は、ドラッグや性的倒錯、アルコール、男根主義、パンク的アナキズム、ファンク的快楽主義などであり、その音楽自体ともよくマッチングしていると言えるだろう。キャリアの中期以降は、ヒレル・スロヴァクの死などの様々な影響で、詩的で叙情的な歌詞も多く見られるようになった。

出典: JA.WIKIPEDIA.ORG

Red Hot Chili Peppersのサウンド

レッチリのサウンドは好きな人にはもはや説明不要。
しかし、聞いたことのない人のために説明するのならば、一言。
「ライブを見れば凄さが分かる!」
そう。彼らはそれぞれが世界的に認められる技術を持った化け物集団なのだ。
ということで、ここでは彼らのライブ映像を紹介していこう。

ジャムセッションから名曲、Can't Stopへ続いていく。
それぞれのパートの技術の高さが分かる。

ドラムソロから始まるこの曲は日本でも人気漫画を原作とした映画に起用されたことで知られる。

レッチリ初心者にも聞きやすい一曲であろう。
しっとりとしたサウンドだが、ギターなどの技術にも注目だ。

これもまたセッションから始まる。
レッチリのライブはセッションから曲へと展開することが多い。

最後に

レッチリと言えば確固たる技術を誇るバンドなのだが、
2009年にギタリストのジョン・フルシアンテが脱退した時には驚いた。
これからのレッチリが不安になるほどに、ジョンの影響を大きかった。
しかし、新たなギタリスト、ジョシュに関しては何も心配することはなかった。
穴を埋めるということではなく、しっかりと彼らしいギタープレイでレッチリを再構築させた。
雨降って地固まるという言葉があるように、
これからもレッチリから目が離せない。