目次

  1. blink182とは
  2. トムの脱退について
  3. blink182の楽曲
  4. これからのblink182

blink182とは

ブリンク 182 (Blink-182、ワンエイティートゥー) はアメリカのポップ・パンク・バンド。もともとは「Blink」というバンド名だったが、アイルランドの同名のバンドから訴訟を起こされ、やむなく「Blink 182」と変更した。「182」という数字の由来ははっきりとはせず、ベースのマーク・ホッパスによれば、「たまたま泊まっていたホテルの部屋番号から」、ギターのトム・デロングによれば、「マークが逮捕され、法廷に呼び出されたときの整理番号」とのこと。
ポップ・パンクの代表的なバンドの一つ。 裸で街の中を駆け回ったり、アイドルグループを馬鹿にしたPVが若者を中心に支持され、MTVで大量にオンエアされる。その同時期に発表した「エニマ・オブ・アメリカ」が全世界で700万枚の売り上げを突破し、世界各国で数々の賞を総なめにするなど、爆発的なヒットを記録した。同アルバムは、新世代パンクの始まりを告げるようにランシドやグリーン・デイの作品を担当していたジェリー・フィンをプロデューサーに迎え、パンクにもかかわらずポップで洗練された音を実現させた。
また、スケボー、サーフィンなどのブランドを中心としたファッションが特徴である。自らもマークとトムがATTICUS、MACBETH、トラヴィスがFamous stars and strapsというブランドを立ち上げた。(現在、マークは両ブランドのオーナー権を売却し、トムもATTICUSのオーナー権を破棄をしている)
2005年で無期限の活動休止を宣言し、現在までにオリジナルアルバムを5枚リリースした。売上の総合計は全世界で2000万枚以上を記録している。音楽のみならず、クロージングブランドも自ら経営し、その影響はストリートカルチャー 全体をも巻き込んだ。
2009年活動再開。2011年9月に再結成後としては初、そして実に8年ぶりとなるニューアルバム『ネイバーフッズ』がリリースされた。

現メンバー
マーク・ホッパス (Mark Hoppus) ボーカル、ベース
トラヴィス・バーカー (Travis Barker) ドラム、1998年加入

略歴[編集]
1992年~1998年 : 「結成」[編集]
1992年、カリフォルニア州サンディエゴ郊外のパウエイで結成。
1993年、『Fly Swatter』を自主制作し、リリース。
1994年、カセットテープ作品の3rdデモ『ブッダ』を限定販売。2月には1stアルバム『チェシャー・キャット』をリリース。
1997年、2ndアルバムの『デュードランチ』をリリース。これを機にメージャー・レーベルであるMCAと契約。
1998年1月から行われたワープド・ツアー'98にNOFX、ペニーワイズらとともに参加、2度目の来日を果たす。ツアー後にはスコット・レイナーが脱退し、後任としてトラヴィス・バーカーが加入した。
1999年~2000年 : 「エニマ・オブ・ザ・ステイト」[編集]
1999年、3rdアルバム『エニマ・オブ・ザ・ステイト』をリリースする。全米で500万枚、全世界で700万枚以上のセールスを記録し、出世作となった。このアルバムからジェリー・フィンがプロデューサーを務めることになる。なお、この作品はニュースクールパンクの音作りを象徴するものとなり、ポップパンクのアホなキャライメージを植えつけることになった。
2000年、MTV、ベスト・グループ・ビデオ・アワード受賞(米)。ベスト・ニュー・アクト・アワード(欧)受賞。前作のヒットした直後のライヴを収録したアルバム『ザ・マーク、トム、アンド・トラヴィス・ショウ(エニマの逆襲!)』をリリース。「ファンへのプレゼント」という彼らの意向が反映され、約2か月で廃盤になる。
2001年~2002年 : 「テイク・オフ・ユア・パンツ・アンド・ジャケット」[編集]
2001年、通算4作目となる『テイク・オフ・ユア・パンツ・アンド・ジャケット』をリリース。全米初登場1位、全世界で400万枚の売り上げを記録。前作の洗練された音をベースに、激しいパンクサウンドや、キーボードを駆使してエモ的な要素を見せた。この頃、頭角を現し始めていた後輩バンドのSum 41、ニュー・ファウンド・グローリー、シンプル・プランなどへのゲスト・PV参加といった援助をしていた。
2003年~2005年 : 5thアルバム「Blink-182」~活動休止へ[編集]
2003年、通算5作目のアルバム『Blink-182』をリリース。全米最高3位、全世界で600万枚以上の売り上げを記録した。このアルバムで今までのポップパンク路線から脱却し、エレクトロニック、ヒップホップ、ニューウェーブなど様々なジャンルをパンクにミックスした新たな音楽に取り組んだ。彼らが好きなアーティストとしてあげている、ザ・キュアーのロバート・スミスもボーカルでゲスト参加をし、ダークな一面をのぞかせている。
2005年2月24日に無期限の活動停止を発表。活動停止を発表後、マーク・ホッパスはプロデューサーとしても活躍しつつ、2005年にドラムのトラヴィス・バーカーと共に結成した4人組の新バンド+44でアルバム『When Your Heart Stops Beating』をリリースし、全米で初登場2位を獲得した。同アルバムはブリンク 182の延長上にあり、エレクトロニック、R&Bなどの要素がより一層強い。トム・デロングは元オフスプリングのドラマー、アトム・ウィラードと新バンドエンジェルズ・アンド・エアウェーブズを結成、デビュー・アルバム『We Don’t Need To Whisper』、セカンドアルバム『I-Empire』をリリース。ローリング・ストーン誌で報じられたようにU2やピンク・フロイドに類似しているとの意見がある。
2008年9月19日夜、アメリカ・サウスカロライナ州コロンビアで6人を乗せたプライベートジェット機が、離陸前に滑走路を突き抜けフェンスに衝突、隣接する道路に突っ込んで炎上し、搭乗の4名が死亡、トラヴィス・バーカー他1名が重体となる事故が発生。24日現在アメリカ国家運輸安全委員会は、事故の原因を調査することを発表。トラヴィスは無事に退院し、怪我は既に完治している。
2009年~2010年 : 活動再開[編集]
2009年2月5日、51回目のグラミー賞でブリンク182がプレゼンターとして登場すると発表された。メンバーの3人が一緒にステージの上を立つのは2004年の12月以来[1]。エンジェルズ・アンド・エアウェーブズのデイビッド・ケネディーがバンドのMODLIFEでブリンク182が2009年に新しいアルバムをレコードする事を語った[2]。しかし、そのアルバムリリースは、後に大幅に延期される事となる。
2011年~現在 : 「ネイバーフッズ」[編集]
2011年9月27日、約8年ぶりとなる6枚目のアルバム『ネイバーフッズ』をリリース。全米ビルボード200にて、初登場2位を記録。その他、イギリスやカナダでも初登場上位を記録するなど、彼らの復帰を決定付ける作品となった。
メジャーを離れ、2012年のクリスマスに5曲入りEP 「Dogs Eating Dogs」をデジタル配信のみのリリースをした。

出典: JA.WIKIPEDIA.ORG

トムの脱退について

Tdwhite

TomDeLonge

2015年、ファンを驚かせ落胆させたニュースがある。
ブリンクの初期メンバーである、ギター&ボーカルのトム・デロングが脱退するというのだ。
メンバーのマーク・ホッパス(ベース&ボーカル)、トラヴィス・バーカー(ドラムス)らによると、
マネージャーを通して「バンドを脱退したい」との連絡があったそうだ。
その後、そんなことは言っていないなどとやり取りがトムとブリンク側であったが、
その後のツアーに代役を立てることになりトムは正式にメンバーからの脱退となった。
そこに至るまでには、これまでもトムは似たような言動をしていた模様で、
今回、とうとうマークとトラヴィスの堪忍袋の緒が切れたようだ。
代役としてはAlkaline Trioのギター&ボーカルのマット・スキバが立てられた。

Matt skiba portrait

Matt Skiba

トムはその後ソロアルバムをリリース。
ブリンクは2015年8月にアルバムのレコーディングに入る。
そこでも、マット・スキバをゲストとして迎え入れるようである。
マットを正式なメンバーにするかどうかはまだ決まっていないようだが、
マット自体はそれ以前にバンドとしての問題(トムとの押し問答か?)を解決しなければ。
と発言しているようで、正式なメンバーとして参加することに意欲は示している。

blink182の楽曲

今やブリンクはポップパンクの代表格となっている。
それはGreen dayとはまた違ったサウンドであり、
歌詞に関しては当初のブリンクの方は下ネタやバカっぽさが目立った。
若者に共感できるような楽曲は人気を博し、アルバム、エニマ・オブ・アメリカは700万枚以上のセールスを上げている。

これからのblink182

以前にも活動休止となり、その後再結成したブリンクだが、
今回のトムの脱退は少々訳が違うようだ。
今後はマットがメンバーになるという見方が強いと思われる。
どちらにせよトムという存在が抜けることはファンにとっては痛いニュースである。
しかし、バンドが解散するという最悪な事態は避けられたかのようにも思える。
今後は2015年にレコーディングされるアルバムの行方に注目である。