目次

  1. 唯一無二のロックバンド
  2. Weezerを聞いてみる
  3. 日本との関係
  4. 精力的に活動をし続けるバンド

唯一無二のロックバンド

Weezer promo 650

ウィーザー (Weezer) は、1992年2月14日に結成された、アメリカの4人組オルタナティヴ・ロックバンドである。パワー・ポップブームの火付け役であり、作風は一時期「泣き虫ロック」と評されていた。2011年現在はコミカルなパフォーマンスをすることが多い。
2011年現在までに6枚のアルバムを発表している。また、「Goat Punishment」というバンド名で、カバーをしていた時期がある。

■メンバー
リヴァース・クオモ (Rivers Cuomo、1970年6月13日 - )/ ヴォーカル、ギター
ブライアン・ベル (Brian Bell、1968年12月9日 - ) / ギター、ヴォーカル
テネシー州ノックスビル出身。Weezerの他にSpace Twinsというバンドでも活動している。
1993年、1stアルバムのレコーディング中にジェイソン・クロッパーと入れ替わりで加入。ファッションセンスの良さで知られており、ファンからは愛情を込めて"The Sass Master"と呼ばれている。
スコット・シュライナー (Scott Shriner、1965年7月11日 - )/ ベース、ヴォーカル
オハイオ州トレド出身。Weezer三代目のベーシスト。
高校生の頃にベースを始めるが、卒業後、海兵隊に入隊し2年間過ごす。25歳の時にベースを本格的に弾こうと思い立ち、ロサンゼルスへ行き、幾つかのバンドで活動する。以前はBrokenというバンドのメンバーだった。2001年夏、マイキー・ウェルシュの脱退後、Weezerへ加入した。
パトリック・ウィルソン (Patrick Wilson、1969年2月1日 - )/ ドラム、ギター(ライブでは2008年から一部の曲でギターを弾くようになり、2009年からはギターに専念するようになる。)
ニューヨーク州バッファロー出身。ソロプロジェクトのThe Special Goodnessの活動もしている。
1994年にジェニファーと結婚し、2004年には息子のチャーリーが生まれた。

1988年
リヴァース・クオモが18歳の時、ロックスターを夢見てロサンゼルスに行くが、すぐに挫折。
1992年
2月14日、同じ様にロサンゼルスに来たマット・シャープ、パトリック・ウィルソン、ジェイソン・クロッパーとWeezerを結成。1年強、ロサンゼルスで活動する。
3月、Weezerの初演奏。Hollywood Boulevard(ハリウッド大通り)にある「Raji's Bar」で、「Dogstar」(キアヌ・リーブスが所属するバンド)のオープニングアクトを務める。ギャラは35ドル。
1993年
6月、DGCレコード(当時ゲフィン・レコード傘下)と契約し、ニューヨークへ移り、The Cars(カーズ)のリック・オケイセックをプロデューサーに迎えてレコーディングを行う。
1994年
5月10日、1stアルバム『Weezer』 (The Blue Album) で全米メジャーデビューし、グラミー賞、MTVビデオ・ミュージック・アワーズ賞等を受賞。300万枚を売り上げる
1995年
3月、1stアルバム『Weezer』が日本で発売される。
8月、Microsoft Windows 95発売。『Buddy Holly』のミュージックビデオが付録。
1996年
9月24日、2ndアルバム『Pinkerton』がアメリカで発売。アメリカでは当時50万枚しか売れず失敗作扱いであったが、その後再評価される。
9月21日、日本でPinkertonが発売される。日本ではヒット。Pinkerton発表後、ピンカートン探偵社からタイトルが原因で訴えられるが、タイトルはオペラ 『蝶々夫人』から拝借したものであるため、探偵社は訴えを取り下げた。
1997年
リヴァースはハーバード大学に進学する為、ボストンに移る。
ボストンでマイキー・ウェルシュと出会い、意気投合。
1998年
リヴァースの心の支え、マット・シャープがThe Rentals(ザ・レンタルズ)の活動に専念する為脱退。
マットが抜けた事によりリヴァースが落ち込み、解散状態になる。
マットの後任にマイキー・ウェルシュが加入。
2000年
2月21日-3月18日、アメリカでツアーを行う。
8月6日、サマーソニックに参加。
2001年
5月15日、ゲフィンより3rdアルバム『Weezer』 (The Green Album) を発表。プロデューサーはリック・オケイセック。
6月22日、ワープドツアー(VANS WARPED TOUR)に参加。
7月-8月、マイキー・ウェルシュが自主的に精神病院へ入院する。
マイキー・ウェルシュ脱退。
夏、スコット・シュライナー加入。
2002年
5月14日、4thアルバム『Maladoit』を発表。日本では2002年5月11日。
8月、サマーソニックに参加。
小休止に入る。
2005年
5月10日、プロデューサーにリック・ルービンを迎え、5thアルバム『Make Believe』を発表。後にプラチナアルバムに認定される。
7月、LOLLAPALOOZA 2005 シカゴツアーに参加。
8月、サマーソニックに参加。8月15日、ZEPP東京にて単独ライブを行う。
12月、weezer japan tour 2005を開催、来日する。(リヴァースが来日の際に、「来年、日本人と結婚する」と話す)
2006年
5月16日、『Beverly Hills』が全米カレッジ・ラジオ局で最多オンエア回数を稼ぎ、「College Song Of The Year」を受賞する。(第54回 2006 BMI Pop Awardsの特別賞)
6月8日、リヴァースがハーバード大学を卒業、英文学士号を取得。
6月、リヴァースが長年交際していた日本人女性と結婚する。式はカリフォルニア州マリブで行われた。(97年にマサチューセッツで出会った)
2007年
5月、リヴァースと夫人に娘が生まれる。Miaと命名。
リヴァース・クオモがソロ名義でデモトラック集『ALONE』を発表。
2008年
6月4日、DGC/インタースコープより6thアルバム『Weezer』 (The Red Album) を発表。
2009年
7月26日、フジロックフェスティバルの最終日に、ヘッドライナーとして来日した。
10月28日、7thアルバム『Raditude』を発表。なお、同アルバムのリリースをもってインタースコープとの契約が満了した。
2010年
9月14日、インディー・レーベルのエピタフ・レコード移籍第1弾アルバム『Hurley』を発表。
11月3日、未発表曲集『デス・トゥ・フォルス・メタル〜レア・トラック貯蔵庫』とセカンドアルバム『ピンカートン』のデラックス・エディションを同時発売。
2014年 
10月7日、リパブリック・レコード移籍第1弾アルバム『Everything Will Be Alright In The End』を発表。プロデューサーはリック・オケイセック。

出典: JA.WIKIPEDIA.ORG

Weezerを聞いてみる

かつて、泣き虫ロックと呼ばれた彼らの曲は哀愁と衝動が入り混じっている。
どこにでも居そうな青年たちが作り上げた曲や歌詞は誰もが共感し得るものだ。

まさに哀愁と衝動の交差した地点の一曲。

Weezerならではの明るくも暗い耳に残る曲。

日本との関係

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Weezerのアルバム「ピンカートン」のジャケットは葛飾北斎の絵を彷彿させるものだったり、
ボーカルのリヴァースは日本人の女性と結婚したりなど、Weezerは日本との関わりが深い。
リヴァースが日本が嫌いだと発言していたという話もあるが、
メンバーは日本のサブカルチャーを好んでいる。
日本人の女の子から届いたファンレターがきっかけで曲を作ったこともある。
また、リヴァースはポップパンクバンド、アリスターのボーカルスコット・マーフィーと
「Scott and Rivers」という日本語で歌うことをコンセプトとしたバンドを組み、
2013年「Homely Girl」という曲をシングルで出している。

精力的に活動をし続けるバンド

結成20年を超えるWeezerだが、いまだにレコーディング、ツアーを精力的に行っている。
2014年には新たな天地での一作を出したばかりだ。
その度に泣き虫ロックと呼ばれた頃とは違った一面や継承されたものを見せてくれる。
今後のWeezerの活躍から目を離せない。

最後にWeezerの代表曲・Buddy Hollyを紹介。
歪んだギターの音とキャッチーなメロディとコーラスがマッチしている。
歌詞は決して強くない男の大事な女性を思う気持ちに親近感が湧くもの。