目次

  1. 芸人人生最大のピンチ・・・。
  2. 「休業中の大吉」に対する華丸の思い
  3. 芸人人生の大ピンチに訪れた「大きな転機」
  4. 大吉をひとまわり大きくさせた「2か月間のインド滞在」にまつわるエピソード

彼らの出会いから、福岡での地獄の下積み生活、そして彼らの夢がここで語られてます。
非常に貴重です。記事と一緒に見てみると面白いです。

芸人人生最大のピンチ・・・。

彼らの芸人人生最大のピンチに陥れた大事件。それは・・・。

 「大吉が一年間の休業を強いられる。」

 当時、電波少年が流行っていたことから、テレビ局が福岡よしもと側に相談もなしに
「大吉のアメリカ留学企画」を出していた。メインMCの大吉は生放送で「春からアメリカに留学します。」と発表。
それを見ていた福岡よしもとの所長は「寝耳に水」と大激怒。
テレビ局と揉めて、好評だった番組は打ち切りになった。そして、番組で発表してしまった大吉は
所長からこう言われた。

 「おまえはとりあえず自宅待機や。」

 テレビにかなり出ていたため、有名だった大吉。外に出ることも出来なかった。
では、大吉は待機の期間どこにいたのか?
実は当時の彼女のワンルームに隠れるようにずっと住んでおり、彼女に食べさせてもらっていたのだ。
(後に、大吉はその彼女と結婚することになる。)

 ところが、ずっと家に閉じこもっているとやることがなく、外に出たくなったのだ。
そこで、大吉は「もう見つかってもいい。」と思い、深夜のビデオレンタル店でバイトを始めた。

 

「休業中の大吉」に対する華丸の思い

 一方、相方の華丸は大吉の休業について、こう語った。

(このまま、やめるだろうなあ・・・・。)

 大吉が休業中の間もテレビ局と福岡よしもと側が揉めたので、華丸が間に入り辛い思いをしたのだ。

 

芸人人生の大ピンチに訪れた「大きな転機」

 彼らにとって、とても長く辛い一年間だったと同時に、このことが彼らにとって「大きな転機」となる。

 「漫才のネタを大吉が作るようになる。」

 それまでは華丸がネタを作っていたが、タレントとしての活動期間が長かったため、漫才師としての感覚を忘れてしまっていた。
大吉が暇つぶしに漫才を本格的に作り始めたことで、ネタのストックがたまっていった。
 大吉が暇つぶしに漫才を本格的に作り始めたことで、ネタのストックがたまっていった。
 
 

大吉をひとまわり大きくさせた「2か月間のインド滞在」にまつわるエピソード

 一年後、テレビ局と福岡よしもと側が和解。番組を作るにあたって、芸人の数が少ないとのことで
大吉に復帰の声がかかる。

 ただ、アメリカに行く予算も時間もなかったので、所長からインドに行くよう言われた。

 ここでも彼らの絆の強さを物語るエピソードがある。
当初、旅費を見積もったところ、10万円。大吉の手持ち金は5万円しかなかった。
仕方ないので、華丸にお願いするも、借金がありお金がなかった。
その後、華丸は時計を入れて質屋に入れて、5万円を大吉に渡した。
それは華丸が初めてラジオのレギュラーが決まったときに買った
記念の時計だった。
この出来事は後の「R-1ぐらんぷり2006」の出来事に大きく関係していく事となる。

 2ヶ月間のインド滞在は大吉を「芸人」として大きくなるきっかけとなった。
大吉は当時のことをこう語っている。

 「2ヶ月間のインド滞在がなかったら、芸人を辞めていた・・・。」

 こうして、彼らは再びコンビとして活動できるようになった。
だがこの後、更なる悲劇が彼らを待ち受けていることを彼らは知らなかった・・・。