目次

  1. The Smiths 概要
  2. 結成
  3. ラフ・トレードとの契約
  4. 1stアルバム「The Smiths」
  5. 2ndアルバム「Meat Is Murder」
  6. 3rdアルバム「The Queen Is Dead」
  7. 4thアルバム「Strangeways, Here We Come」そして解散
  8. ザ・スミス以降のキャリア
  9. The Smithsのメンバー
  10. Morrissey(モリッシー)
  11. Johnny Marr(ジョニー・マー)
  12. Andy Rourke(アンディ・ルーク)
  13. Mike Joyce(マイク・ジョイス)
  14. The Smithsのオリジナルアルバム
  15. The Smiths
  16. Meat Is Murder
  17. The Queen Is Dead
  18. Strangeways, Here We Come
  19. The Smithsの代表曲
  20. Reel Around the Fountain
  21. This Chaming Man
  22. Hand in Glove
  23. Suffer Little Children
  24. That Joke Isn't Funny Anymore
  25. Barbarism Begins at Home
  26. The Boy with the Thorn in His Side
  27. There Is a Light That Never Goes Out
  28. Some Girls Are Bigger Than Others
  29. Stop Me If You Think You've Heard This One Before
  30. The Smithsの逸話

The Smiths 概要

結成

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1978年8月31日、モリッシーはマンチェスターのアポロシアターで行われていたパティ・スミスのライブを見に行った際に、友人を介して当時14歳だったジョニー・マーと出会った。

1982年5月、いくつかのバンドに参加していたジョニー・マーは新しいバンドを組むことを決め、モリッシー宅を訪れた。モリッシーは当時、ライターとしてアメリカのパンクバンド、ニューヨーク・ドールズのファンクラブを立ち上げ会報を書いていた。読者でもあったジョニー・マーはモリッシー宅の玄関先で一緒にバンドを組む提案をした。2人はお互いに音楽の趣味も合うことがわかり、翌日モリッシーがジョニーに電話をかけ、バンドを組むことを了承した。
数日後、モリッシーとジョニーは初めて一緒にスタジオに入った。オリジナル曲や60年代のバンドのコピー曲など数曲をカセットレコーダーに録音した。オリジナル曲はモリッシーが歌詞を書き、ジョニーが曲をつけた。

1982年の夏の終わり頃にモリッシーがユニット名の"ザ・スミス"と名付けた。のちにインタビューで名付けた理由について、「スミスという名前は最もありふれた名前で、そんな世界中のありふれた人々が目立つべきだ、と考えたから」と語っている。
その後も何度かスタジオに入ったあと、オーディションを行い、数回のメンバーチェンジを経て、ドラマーにマイク・ジョイス、ベーシストとしてジョニーの旧知の知人であるアンディ・ルークが加入した。

1982年12月、EMIレコードに送るデモテープを作るためにスタジオに入り、「What Difference Does it Make?」、「Handsome Devil」、「Miserable Lie」の3曲をレコーディングしたが、EMIからは何の返事も得ることが出来なかった。

ラフ・トレードとの契約

EMIとの契約を果たせなかったバンドはデモテープを持ってロンドンを訪れ、インディーレーベルのラフ・トレードの創始者ジェフ・トラビスに会いに行った。契約には至らなかったが、ジェフはデモテープにあった曲「Hand in Glove」をシングル曲としてリリースすることを約束した。モリッシーはシングルのアートワークにジム・フレンチという写真家が撮影した同性愛的なイメージを醸し出す写真を使用するように主張した。このシングルは1983年5月にリリースされ、イギリスのシングルチャートには入らなかったがまずまずの売り上げを記録した。その後、有名ラジオ番組のプロデューサーであったジョン・ウォルターという人物が企画したライブに出演し、ジョンに高い評価を得た。ジョンはスミスに対して、「どんなバンドにも似ていない特別なサウンドで、彼らがどんな音楽を聴いてきたか想像がつかない。」と述べた。これが機会となり、スミスはラジオの音楽セッション番組に呼ばれ、バンドとして初めてインタビューを受け、ニュー・ミュージック・マガジン誌にも掲載された。

その後、ジェフに認められラフ・トレードとの契約に成功する。バンドはファーストアルバム制作のため東ロンドンにあるエレファント・スタジオに行った。アルバムのプロデュースはジョン・ポーターという人物が行った。

先行してリリースされたシングル「This Charming Man」、「What Difference Does It Make?」はイギリスのシングルチャートでそれぞれ、25位と12位を記録するなど、スミスは熱心なファンを生んで行った。

1stアルバム「The Smiths」

1984年、バンドはデビューアルバム「The Smiths」をリリースした。本作はイギリスアルバムチャートで2位を獲得した。収録された「Reel Around the Fountain」と「The Hand That Rocks the Cradle」の2曲は小児性愛を歌っているとタブロイド紙に非難された。

1984年5月にはザ・チューブという音楽番組に出演し、パフォーマンスを行った。

同年にアルバム未収録曲「Heaven Knows I'm Miserable Now」、「William, It Was Really Nothing」の2曲をリリースし、この曲のプロデューサーとエンジニアを務めたステファン・ストリーツとはその後もバンドとの関係を持つようになった。
その後、B面曲や初期にレコーディングした曲を集めたコンピレーションアルバム「Hatful of Hollow」をリリースし、1984年の活動を終えた。

2ndアルバム「Meat Is Murder」

1985年に入るとバンドはセカンドアルバム「Meat Is Murder」のレコーディングに入った。この作品は前作に比べより自己主張的で政治的なものであり、タイトルトラックが菜食至上主義を表していたり、共産主義について歌った曲が収録されていたりする。バンドのサウンドも変化に富み、ジョニーがロカビリー風のリフを弾いたり、アンディがファンクを想起させるフレーズを弾いたりしている。
本作「Meat Is Murder」はコンピレーション作品を除くとバンドにとって唯一イギリスチャートで1位を獲得した作品である。2003年にはローリング・ストーン誌が選ぶ最高の500枚で295枚目に選出されている。

モリッシーはこの頃のインタビューでは政治的な主張を繰り返していた。彼の主張の標的は当時のサッチャー政権からイギリスの君主制、チャリティーグループのバンド・エイドにまで及んだ。
本作からリリースされたシングルは「That Joke Isn't Funny Anymore」トップ50位入りも叶わなかったが、続いてリリースしたアルバム未収録シングル「Shakespeare's Sister」はシングルチャート26位を獲得した。

3rdアルバム「The Queen Is Dead」

1985年、バンドは次のスタジオアルバム「The Queen Is Dead」のレコーディングと並行して、アメリカとイギリスをまわる大規模なツアーを行っていた。「The Queen Is Dead」は1986年6月にリリースされ、イギリスのアルバムチャートで2位を記録した。ただ全てがうまくいっていたわけではなく、アルバムは実際、1985年11月に完成していたにも関わらず、ラフ・トレードとの揉め事によりリリースを7ヶ月あまり延期にさせられたり、ジョニーが過密なツアーやレコーディングスケジュールに辟易とし始めていた。そうしている間に、アンディがヘロイン使用のため、バンドを解雇されてしまった。
アンディの代わりに元アズテック・カメラのクレイグ・ガノンがベーシストとして加入した。しかし、アンディが2週間あまりでバンドに復帰した。クレイグはリズムギターにスイッチし、バンドに残った。5人組となったバンドはシングル「Panic」、「Ask」をリリースし、それぞれイギリスシングルチャートで11位、14位を獲得した。5人組でイギリスツアーも行ったが、1986年10月にクレイグはバンドを去っている。

4thアルバム「Strangeways, Here We Come」そして解散

1987年、シングル「Shoplifters of the World Unite」がリリースされ、イギリスのシングルチャートで12位を獲得した。この頃、2枚目のコンピレーションアルバム「The World Won't Listen」をリリースした。アルバムタイトルはモリッシーのバンドのメインストリームでの認知度の無さに対するフラストレーションを当てたものである。同年4月にはシングル「Sheila Take a Bow」をリリースし、バンド史上2作目のシングルトップ10にランクインした。「The World Won't Listen」を海外市場向けに編集した別のコンピーレーションアルバム「Louder Than Bombs」がアメリカでリリースされた。

リリース的な成功が続いていくにも関わらず、バンド内、主にモリッシーとジョニーの間の様々な緊張感はバンドを切り裂いていっていた。ニュー・ミュージック・マガジンがバンドの不和を報じると、同年6月にジョニーはバンドを去ってしまう。ジョニーはこのNMEの記事はモリッシーが他のミュージシャンと作業する自らを妬んで書かせた物だと考え込み、最終的にバンドからの脱退を決めたと言われている。

イギリスのインディーバンド、イースターハウスの元ギタリストであるアイバー・ペリーがジョニーの代役として加入し、レコーディングに臨んだが、完成することはなかった。アイバーは"誰もジョニー・マーの代役を望んでいない"という雰囲気がとても居心地が悪かったとのちに語っている。
そして4枚目のアルバム「Strangeways, Here We Come」をなんとか完成させ、解散に至る。

ジョニーが別のアーティストとコラボレートすることがモリッシーをイライラさせ、ジョニーはそのモリッシーの60年代ポップミュージックへの傾倒や音楽的柔軟性のなさにイライラしていた。これらが重なり合いお互いの中に亀裂が入ってしまった。

「Strangeways, Here We Come」はイギリスのチャートで最高2位を記録した。アメリカビルボードチャートでは55位にランクインするなど、バンド全作品のなかでアメリカで一番アルバムとなった。批評家からはあまりいい評価を得なかったが、モリッシーとジョニーは今作をファイヴァリットとして挙げている。

ザ・スミス以降のキャリア

バンド解散後、モリッシーはソロでの活動を始めた。そして1988年5月に「Viva Hate」をリリースした。「Viva Hate」をイギリスで1位を獲得した。この成功により、モリッシーはソロアーティストとしてキャリアを幸先よく迎えた。

ジョニーはバンド解散から2年後の1989年に音楽シーンに戻り、ニュー・オーダーのバーナード・サムナー、ペット・ショップ・ボーイズのニール・テナントと共に"エレクトロニック"というグループを結成した。"エレクトロニック"は結成から10年間で3枚のアルバムをリリースした。ジョニーはバンド"ザ・ザ"のメンバーでもあった。"ザ・ザ"には1989年から93年まで在籍し、2枚のアルバムをリリースした。その他にもセッションミュージシャンとしてブライアン・フェリーやブラック・グレイプ、トーキング・ヘッズやベックなどと共作した。
2000年には別のバンド、ジョニー・マー・アンド・ザ・ヒーラーズを結成した。2002年にはオアシスのアルバム「Heathen Chemistry」にギタリストとして参加した。2008年にはインディーバンド、ザ・クリブスと共作を始め、2011年4月ごろまでメンバーとして在籍していた。2013年と2014年にはソロアルバムをリリースしている。

アンディとマイクはバンド解散後も一緒に作業を続け、ツアーを行ったり、シングルをリリースしたりしていた。2007年に彼らはスミスに関するドキュメンタリーDVDをリリースしている。このDVDにはモリッシー、ジョニーはもちろん、スミスの音楽も一切流れない作品になっている。
その後もアンディとマイクは個人のキャリアを追求し、マイクは1990年にバンド、スウェードとレコーディングを行い、1990年から91年にかけてパンクバンド、バズコックスとツアーを行う。92年にはジョン・ライドンとのツアーも行っている。
アンディはモリッシーのB面のソロ曲を提供したり、バンド、キリング・ジョークやイアン・ブラウンとのレコーディングも行っている。2007年にはピーター・フックとマニという2名のベーシストとともにフリーベースというバンドを結成する。この2010年まで活動を行い、一枚アルバムをリリースしている。

The Smithsのメンバー

Morrissey(モリッシー)

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1959年5月イングランド生まれのシンガーである。本名スティーブン・パトリック・モリッシー。
音楽ジャーナリストとして自身のキャリアをスタートし、1982年にジョニー・マーとザ・スミスを結成する。
嘲笑的でウィットに富んだ歌詞と独特な風貌によってザ・スミスを牽引した。
1987年にバンドが解散した後は、現在までソロシンガーとして活動している。

Johnny Marr(ジョニー・マー)

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1963年10月31日イングランド生まれのミュージシャンである。
1982年から1987年まではザ・スミスのギタリストとして活動し、ボーカルのモリッシーとともに多くの曲を共作した。
ザ・スミス解散後はエレクトロニック、ザ・ザ、ザ・クリブスなど様々なバンドに参加している。
2013年にはソロアルバム「The Messenger」をリリースした。

Andy Rourke(アンディ・ルーク)