目次

  1. THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 概要
  2. インディーズからメジャー・デビューまで
  3. メジャーデビューから解散まで
  4. THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのメンバー
  5. チバユウスケ
  6. アベフトシ
  7. ウエノコウジ
  8. クハラカズユキ
  9. ディスコグラフィ
  10. cult grass stars
  11. High Time
  12. Chicken Zombies
  13. ギヤ・ブルーズ
  14. カサノバ・スネイク
  15. ロデオ・タンデム・ビート・スペクター
  16. SABRINA HEAVEN
  17. SABRINA NO HEAVEN
  18. THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの代表曲
  19. 世界の終わり
  20. ゲット・アップ・ルーシー
  21. バードメン
  22. エピソード
  23. ライヴ中断
  24. ペットボトル事件
  25. Mステ t.A.T.uドタキャン事件
  26. 関連サイト

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 概要

インディーズからメジャー・デビューまで

1991年、明治学院大学のサークル「ソング・ライツ」内にてバンド結成。結成時からのメンバーであるのはチバのみ。学園祭でのライヴを観覧していたクハラがチバに「おまえの後ろでたたかせてほしい」と申し出た事で、現役ドラマーをクビにしクハラが加入。その後ベーシストが脱退し、クハラと親交の深かったウエノが後任ベーシストとなる。この時のギタリストはシガケイイチ。都内ライヴハウスを中心に活動する。
1993年にUKプロジェクトより、初音源のライヴ・アルバム『MAXIMUM! MAXIMUM!! MAXIMUM!!!』をリリースする。この後ギタリストのシガが脱退するも3人編成でバンドは活動を続行。
1994年、知人の仲介によりアベが加入。現行メンバーが揃う事となる。
1996年、日本コロムビア・トライアドレーベルよりシングル「世界の終わり」にてメジャー・デビュー。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTというバンド名は、チバの友人がイギリスのバンド、ダムドのアルバム『マシンガン・エチケット(Machine Gun Etiquette)』の筆記体で記述されたアルバムタイトルを読み違え、それをそのまま採用したとされている。

細身のモッズスーツを衣装としている。色は黒が多い。スーツは東京・世田谷の「洋服の並木」でオーダーメイドされたものを着用していた。この店は氣志團や東京スカパラダイスオーケストラなど、多数のアーティストに支持されていた。また、革ジャンや黒を基調とした服装も多い。ライヴ後半は暑さの為もありTシャツとなる事もある。

ライヴ活動を重視し、1ツアーで40~60公演を回る。このライヴの数に関してウエノは、「レコード作ってその後もうやることが無いので、ツアーやるのが仕事」と発言している。ロック・フェスティバルにもメイン・アクトとして登場し、2000年のフジ・ロック・フェスティバルでは日本を代表するロックバンドとしてヘッドライナーを務めている。

メジャーデビューから解散まで

1997年、5thシングル「ゲット・アップ・ルーシー」、6th「バードメン」をリリース。番組タイアップ、音楽番組の出演もありメジャー・ヒットとなる。

1998年は、東京・豊洲で行われた『フジ・ロック・フェスティバル』に出演。白熱のライヴは圧死事故を避ける為、幾度も中断される事態となる。そして、4thアルバム『ギア・ブルーズ』リリース後のツアーファイナルステージとなった横浜アリーナでは、会場として前代未聞のオール・スタンディング・ライブを開催。観客の動員数は延べ1万5000人とも言われ、日本のミュージックシーンを激震させる圧巻のライヴを展開する。

1999年は、国内のみならずイギリスやアメリカも廻る『WORLD GEAR BLUES TOUR』を実施。

2000年には、アルバム『カサノバ・スネイク』のリリースを経て、ヨーロッパを廻る『TMGE EUROPE TOUR 2000』を実施。その帰国後、国内ツアーを経ての『フジ・ロック・フェスティバル』では、2日目のグリーンステージのトリを飾るという快挙を成し遂げる。

2001年、6thアルバム『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』の発売日、東京・代々木公園にてフリーライヴを開催するが、当日午前0時の情報解禁にも関わらず、朝から長蛇の列ができ、雨天にも関わらず2万人を動員。その後、数か月に及ぶロングツアーを行うも、一時的に活動は休止となる。

2002年、年末にコロムビアのトライアドレーベルより、3枚目となるベストアルバム『THEE MICHELLE GUN ELEPHANT GRATEFUL TRIAD YEARS』をリリースし、同日ユニバーサルミュージックに移籍。第1弾シングル「太陽をつかんでしまった」をリリース。

2003年、移籍後、7thアルバム『SABRINA HEAVEN』と8thアルバム『SABRINA NO HEAVEN』を連続リリースしツアーも行う。ミュージックステーションにてロシアの女性ユニットt.A.T.u.が生放送中に出演を放棄するハプニングの穴埋めとして、もう1曲生演奏する。この事件はミッシェルというバンドを世に大きく知らしめる事となる。
8月31日、ファンクラブの封書により解散を告知。9月1日にはwebサイトにて解散を正式発表する。
最終日である10月11日、15thシングル「エレクトリック・サーカス」の発表と同時に幕張メッセで約37000人を動員したライブをもって活動に幕を下ろした.

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのメンバー

チバユウスケ

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ヴォーカリスト。結成当時から在籍。楽曲によってはギターやタンブリン、マラカス、ハーモニカなどの楽器も使用。まれにピアノなども演奏する。全楽曲の作詞も手掛ける。幼少の頃はヴァイオリン教室に通っていた.「カサノバ・スネイク」から「ロデオ・タンデム・ビート・スペクター」にかけ、髪形はオールバック。そのセットにはUNOを3本使用し、激しいライヴでも彼の髪は乱れなかった。
解散後はROSSO等で活動後、2006年よりクハラと共にThe Birthdayを結成し活動中。

アベフトシ

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ギタリスト。1994年加入。「カッティングの鬼」と評されるほど、カッティング技術が高い。非常に寡黙でコーラスにも滅多に加わらないがライヴパフォーマンスは激しい。エフェクターはほとんど使わず、基本的にギターとアンプのみで音作りをしている。ピックが滑り落ちないよう、中指、人差し指、親指の3本で持つ。メンバーで一番長身。
解散後は、KOOLOGIに参加するも脱退。また、CARRIEを結成するがすぐに解散。その後、故郷である広島に帰りペンキ屋として生計を立てていたが、吉川晃司の要請により、吉川晃司のステージのギターを務めた。結果、これが生涯最期のステージとなる。2009年7月22日未明、急性硬膜外血腫により急逝。享年42。

ウエノコウジ

Ueno

ベーシスト。結成直後に加入。アベに次ぐ長身で、またアベに負けず劣らずライヴパフォーマンスは激しい。だがライヴ映像ではあまり映らないことが多く、「もっとウエノを映せ」というコメントも多い。
メディア露出の際、取材時はチバの発言や、無口なアベのフォローを行う。アベ同様エフェクターは一切使用しない。ベースはフェンダー・プレシジョンベースをメインに使用。
中学時代にキャロルに影響を受けてギターを始める。明治学院大学時代の音楽サークル「世界民族音楽研究会」で組んだバンドでベーシストが居なかったことからベースに転向。以降ベーシストとなった。
解散後は主にthe HIATUS、Radio Carolineのメンバーとして活動。また武藤昭平 with ウエノコウジとしての活動や、サポートミュージシャンとしても活動している。

クハラカズユキ

Kuhara

ドラマー。結成直後に加入。バンドのリーダーであり、愛称は「キュウ」。
地元の北見市役所で職員として勤務していたが、週末のみ東京に通いでバンド活動を続けるという時期を経てメジャーデビューを迎えた。
トレードマークはモヒカンで(金髪時代もある)、アベ、ウエノと並ぶと特に小さく見える。MCではチバと絡む展開が多い。ドラムのプレイスタイルはシンプルだがパワフル。使用ドラムはCANOPUS。他にギターやトランペットの演奏ができる。また、洗濯したてのバリバリのシーツが好きな事もあり、ツアーのホテル暮らしも好き。解散後、うつみようこ&YOKOLOCO BANDや、M.J.Qなどのメンバーとして活動し、2006年からチバと共にThe Birthdayを結成し活動中。

ディスコグラフィ

cult grass stars

1st cult

1.トカゲ
2.strawberry garden
3.キング
4.世界の終わり (Primitive version)
5.toy
6.ブラック・タンバリン
7.I was walkin' & sleepin'
8.Dalls fried chicken
9.アンクルサムへの手紙
10.スーサイド・モーニング
11.いじけるなベイベー
12.眠らなきゃ
13.remember Amsterdam

1996年3月1日リリースの1stアルバム。CDとアナログの2タイプがある。
レディオヘッドのアルバムなどを手掛けたエンジニア、クリス・ブラウンを迎え、ロンドンにてレコーディングした事も話題になった作品。
チバが「元ギタリストのシガケイイチに捧げる歌」と述べていたM1「トカゲ」。「メジャーアルバム1曲目には“この歌を持ってこよう”と以前から思っていた」とデビュー当初のインタビューで語っている。