目次

  1. 概要
  2. メンバー
  3. 浜田雅功(はまだ まさとし)
  4. 松本人志(まつもと ひとし)
  5. 来歴
  6. 出会い
  7. 吉本入り
  8. 下積み~ブレイク
  9. トップタレントへ
  10. ソロ活動の充実
  11. 「ダウンタウンのごっつええ感じ」打ち切り
  12. 2000年代以降~現在
  13. 代表作
  14. テレビ
  15. 「4時ですよ~だ」
  16. 「夢で逢えたら」
  17. 「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」
  18. 「ダウンタウンのごっつええ感じ」
  19. 「人志松本のすべらない話」
  20. ラジオ
  21. 「放送室」
  22. 音楽
  23. GEISHA GIRLS
  24. H Jungle with t
  25. 「明日があるさ」
  26. 「チキンライス」
  27. 書籍
  28. 『遺書』
  29. 『松本』
  30. エピソード
  31. 養成所時代
  32. 紳助・竜介の解散
  33. 数々の造語(説)
  34. 受賞暦

概要

ダウンタウン(DOWNTOWN)とは、浜田雅功と松本人志からなるお笑いコンビである。吉本興業が創立したタレント養成所・NSC(大阪校)に浜田が松本を誘う形で第一期生として入学することをきっかけに1982年に結成された。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)所属。多数の冠番組の他、ソロとしても司会者、俳優、歌手、声優、著述等幅広く活躍しており、それぞれ日本を代表するお笑いタレントである。とんねるず、ウッチャンナンチャンらとともにお笑い第三世代の代表格として数えられる。

メンバー

浜田雅功(はまだ まさとし)

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ダウンタウンのツッコミ担当。出演番組では主に司会、仕切り役に回ることが多い。
1963年大阪生まれ、その後尼崎市へ移り松本と出会う。小学校、中学校ともに松本と同じ学校に通っていたが、高校は別の三重にある当時全寮制の日生学園高等学校(現在は桜丘高等学校)に入学。2年次に移動した日生学園第二高等学校(現在は青山高等学校)を卒業する。高校卒業後、競艇選手の試験を落第したことをきっかけに松本を誘い、吉本興業により創立されたばかりのタレント養成所・吉本総合芸能学院(NSC)に入学する。それと同時に松本とコンビを結成、「松本・浜田」「ひとしまさし」「てるお・はるお」「ライト兄弟」などのコンビ名を経て最終的に「ダウンタウン」となった。
先輩芸人や大御所芸能人に対して臆することなく呼び捨て、タメ口をきいたり、容赦なくツッコミを入れたりするなど、粗暴で傍若無人なキャラクターで知られる一方、司会や番組回しなどは出演者への目配り細やかにそつなくこなし、お笑い業以外に俳優、声優、歌手としても活躍するなど器用な側面を両立させている。
妻はタレントの小川菜摘、長男はOKAMOTO'Sのメンバー(ベース担当)、ハマ・オカモトである。

松本人志(まつもと ひとし)

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ダウンタウンのボケ担当。出演番組では浜田とともに司会を務めることも多いが、基本的に仕切りや番組回しよりも話を振られたり拾ったりした際のコメント役、ボケ役を主に演じている。
1963年兵庫県尼崎出身。兵庫県立尼崎工業高等学校卒業後、印刷会社への就職が決まっていたが、小学校・中学校の同級生で友人である浜田に誘われNSCに第一期生として入学、ダウンタウンを結成する。
笑いに対する人一倍強い情熱から独自のお笑い論を持っており、これまでそうした考えを『遺書』『松本』等の著書において積極的に発信するなど、1990年代以降のお笑いに多大な影響を与えてきた。アドリブ時の頭の回転の速さや発想力に特徴があり、漫才、フリートークを問わず発揮されるシュールなボケが持ち味である。また、タレント業のほか番組の企画・構成の担当をはじめとして、著述、作詞、映画監督等、多方面でマルチな才能を発揮している。
2009年に元タレントの伊原凛と結婚、同年10月に長女が生まれている。

来歴

出会い

松本が通っていた小学校に浜田が転校してきた事をきっかけとしてお互い顔見知りになる(ただし、松本の著書『遺書』をはじめとするそうした情報の他に、幼稚園から知り合いであったとする説もある。どちらも本人たちによる発言であるため、真偽のほどは定かではない)。松本は浜田の第一印象を「異性をタップリ意識した立ち居振る舞いは、俺に嫌われる要素を十二分に満たしていた」と語っている。浜田は松本の第一印象を「真っ黒。正露丸みたいやった」と語っており、松本が抱いたほどには悪印象ではなかったようである。当初は取り立てて仲が良かったわけではないが、中学2年のときに同じクラスになったことをきっかけに「親友」の間柄になる。その後、別々の高校に進学し、特に浜田が全寮制で厳しい校風で知られる日生学園高等学校に入学したことからしばし交流は途絶えるが、学園を脱走した浜田を松本が数日かくまうというエピソードなどから、疎遠というほどでもなかったようである。

吉本入り

高校卒業後、競艇選手の試験に落ちた浜田が松本を誘い創立したばかりの吉本総合芸能学院(NSC)に第一期生として入学、同時にコンビを結成する。コンビ名は「松本・浜田」「ひとしまさし」「てるお・はるお」「ライト兄弟」等を経て最終的に「ダウンタウン」となる。当時お笑い芸人を目指す者は業界で実績を持つ師匠へと弟子入りするのが一般的だった中、特定の師匠を持たず養成所からスタートする「ノーブランド」芸人のはしりとなった。同期生にはトミーズ、ハイヒール、内場勝則、浜根隆、前田政二などがいる。

下積み~ブレイク

NSC在学中からすでにその実力は評価・注目されており、デビュー2ヶ月目にはテレビ初出演となった毎日放送の「素人名人会」にて名人賞を獲得、同時期に「第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で福笑い大賞を受賞するなど順調なスタートを切る。その後しばし停滞期を経験するが、1984年には「NHK上方漫才コンテスト」で優秀賞、「ABC漫才・落語新人コンクール」で漫才の部・最優秀新人賞を獲得、1987年から放送開始した関西ローカル番組「4時ですよーだ」にて本格的にブレイクし、翌1988年に放送開始した「夢で逢えたら」で東京進出、共演したウッチャンナンチャンらとともに全国区の人気を得るに至る。

トップタレントへ

ブレイクのきっかけであり、ダウンタウンの看板番組である「4時ですよーだ」が平日夕方の帯番組だったこともあり彼らの主戦場は関西だったが、1989年に同番組が最終回を迎えたことをきっかけにダウンタウンは本格的に東京進出を果たすことになる。
同年「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」が放送開始、過激なものからシュールなものまで多岐にわたる企画や、アドリブとは思えないほど完成度の高いフリートークが人気を博す。特に「笑ってはいけないシリーズ」は、現在も「NHK紅白歌合戦」の裏枠として根強い人気を保っている。1991年には日曜夜20時台のゴールデンタイムで「ダウンタウンのごっつええ感じ」が放送開始、ダウンタウンが得意とするシュールなコントとそこで演じられる多様なキャラクターは全国的な人気を不動のものとする。1993年に放送開始の「ダウンタウンDX」や1994年に放送開始した「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」など、俳優や歌手など異なる業界の人間がゲストとして出演することが多い番組を手がけることになるが、そこでも見事にゲストの魅力を引き出しつつもダウンタウンの軽妙なコンビトークをいかんなく発揮し、お笑いに留まらず多方面へと活躍の幅を広げることになる。1990年代の中盤まででダウンタウンは日本のトップタレントに上り詰めることになる。

ソロ活動の充実

東京進出以降コンビとしての活動は継続しつつも、それぞれ方向性の異なるソロ活動も充実のときを迎えることになる。
浜田は「ADブギ」「人生は上々だ」「竜馬におまかせ!」等数々のドラマに出演し俳優業をこなす一方、1995年には小室哲哉と結成した音楽グループ「H Jungle with t」により出された第1弾シングル「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」がセールス200万枚の大ヒットとなり歌手としてブレイク、同年のNHK紅白歌合戦への出演を果たす。
松本は1994年に入場料1万円のライブ「寸止め海峡(仮題)」、1995年には日本武道館で初のお笑い芸人の単独ライブ「松風'95」を開催するなど独自の笑いを追求し続ける傍ら、週刊朝日に連載していた主に自身のお笑いに対する考えを綴ったエッセイをまとめた単行本『遺書』『松本』で、それぞれ250万部、200万部を売り上げベストセラーとなる。

「ダウンタウンのごっつええ感じ」打ち切り

1997年番組改編期でもない11月に「ダウンタウンのごっつええ感じ」が突如打ち切りとなる。発端は放送予定であったスペシャル版が、前日にマジックナンバー「1」が点灯し、その日優勝が決定する可能性があるヤクルトのプロ野球中継に急遽差し替えられたことだった。事前連絡すらなかったことや、このスペシャル放送の日に合わせて番組の人気キャラクター「エキセントリック少年ボウイ」のCD発売が行なわれており、番組内容がそのCDに関係する作りになっていた事から、「このスペシャルはその日に放送しなければ意味がない」ものとして、松本が激怒したことによる。松本は当初フジテレビの出演全番組の収録をボイコットをするというスタンスを見せていたが、最終的に手打ちとして「ダウンタウンのごっつええ感じ」のみの打ち切りということで事は一応の収まりを見せた。松本は多方面から批判を受けることになり、特に野球好きで知られる萩本欽一からは名指しで非難されることとなった。ただ、実はその事件以前から番組スタッフに制作をめぐる熱意のギャップを感じており浜田ともども不信感を抱いていた。報道では松本一人のワガママという内容が一人歩きしていたが、番組を辞めることに関してはダウンタウン二人で決めたという旨が後に浜田の口から語られた。結局そのスペシャルはお蔵入りとなり、ダウンタウン不在のまま急遽作られた総集編で番組は終了することになるが、出演していたフジテレビの他番組の変動はなかった。

2000年代以降~現在

2000年代に入ってからもダウンタウンとしては「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」や「ダウンタウンDX」など長寿冠番組を継続しつつ、それぞれソロとしても「ジャンクSPORTS」(浜田)や「人志松本のすべらない話」(松本)をはじめ数々の人気番組を世に送り出し、二人は安定的な人気を保ち続ける。
2001年に放送開始したドラマ「明日があるさ」では、主演の浜田を筆頭に同ドラマの主要メンバーである吉本芸人たちで「Re:Japan」を結成、主題歌「明日があるさ」で同年のNHK紅白歌合戦に出場、2004年には「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」で槇原敬之がゲスト出演した際のトークをきっかけに、槇原が作曲したメロディに松本が自身の貧しい少年時代のエピソードを盛り込んだ詞を乗せ、浜田がメインボーカルをとったクリスマスソング「チキンライス」をリリース、オリコン初登場2位を記録する。2011年松本がソロで出演する「松本人志のコントMHK」のレギュラー放送第1回目にてゲストとして出演した浜田とともに、ダウンタウンとしては2001年に一夜限りの復活スペシャル「ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル」以来約10年振りのコントを披露。2014年の「笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号」では一部不仲説が囁かれていたとんねるずや爆笑問題と約20余年振りの、また戦友でもあるウッチャンナンチャンとも共演を果たしている。