目次

  1. 概要
  2. 結成 (1983–84)
  3. 初期ツアーとリリース(1985–88)
  4. デビューアルバムと成功 (1989–91)
  5. セカンド・カミングと解散(1992–96)
  6. 解散後(1997–2010)
  7. 再結成 (2011–2017)
  8. メンバー
  9. Ian Brown(イアン・ブラウン)
  10. John Squire(ジョン・スクワイア)
  11. Mani(マニ)
  12. Reni(レニ)
  13. オリジナルアルバム
  14. The Stone Roses
  15. Second Coming
  16. 代表曲
  17. I Wanna Be Adored
  18. She Bangs the Drums
  19. Waterfall
  20. Made of Stone
  21. I Am the Resurrection
  22. Elephant Stone
  23. Fools Gold
  24. Ten Storey Love Song
  25. Begging You
  26. Love Spreads
  27. 裏話
  28. Oasis『Don't Look Back In Anger』に登場するSally(サリー)の由来

概要

The stone roses fortitude suggests

結成 (1983–84)

学校で友人同士だったイアン・ブラウンとジョン・スクワイアは1980年にザ・クラッシュに影響を受けた、ザ・パトロールというバンドを結成する。ライブやデモテープを作るなどの活動をしていたが、次第にメンバーは活動意欲を失っていき、イアンは自分の楽器を売ってスクーターを買ったりしていた。そんな中ジョンは練習を続け、ベーシストのゲイリー・マニ・マウンフィールドとザ・ウォーターフロントという別のバンドでの活動を始めた。1983年にヴォーカルを務めていたメンバーが脱退すると、ジョンはイアンに声をかけ、イアンはヴォーカリストとしてザ・ウォーターフロントに加入した。
1983年の後半になるとバンドは活動を休止するが、メンバーの一人がイアンとジョンを誘って新しいバンドを始めることを決めた。バンド名が無いままリハーサルを重ねる中、ある日ジョンが「ザ・ストーン・ローゼス」という名前を思いつく。バンド名の由来に関しては諸説あり、バンドはもともと「イングリッシュ・ローズ」やザ・ローリング・ストーンに似た名前で呼ばれていたなどと言われているが、真相は分かっていない。この頃にドラムスとしてレニが加入した。
1984年10月にロンドンでピート・タウンゼントのサポートとして「ザ・ストーン・ローゼス」というバンド名で初めてライブを行う。このライブは多くのジャーナリストに見られており、バンドはまもなくマネージメントを希望する声やライブのブッキングなど注目を集めるようになった。

初期ツアーとリリース(1985–88)

1985年に入るとデビューシングルとデビューアルバム制作に向けてセッションを開始した。セッションでは両A面のデビューシングルとなる「So Young/Tell Me」をレコーディングした。
この年の6月、ベーシストとして参加していたガーナーが脱退することとなった。そして前身のバンドであるザ・ウォーターフロント時代のベーシストだったゲイリー・マニ・マウンフィールドを後任として加入させた。後年イアンはマニが加入したことによってバンドサウンドにこれまでに無かったグルーヴが生まれた、と語っている。
1988年10月にイギリスのバンド、ニュー・オーダーのピーター・フックのプロデュースの下でシングル「Elephant Stone」をリリースした。同じ頃シルヴァー・トーンというレーベルと契約を交わし、その後、ラフ・トレード・レコーズのジェフ・トラヴィスが紹介したプロデューサーのジョン・レッキーのもと、ファーストアルバムのレコーディングを開始した。

デビューアルバムと成功 (1989–91)

バンドは1988年から1989年にかけてロンドンにあるスタジオでファーストアルバムのレコーディングをした。ファーストシングルとなった「Elephant Stone」はあまり注目を集めることはなかったが、続くシングル「Made of Stone」はメディアの評価も上がり、ラジオ曲での放送も多くなった。そしてファーストアルバム「The Stone Roses」は1989年5月にリリースされた。メディアからは好意的な評価を持って迎え入れられ、イギリスアルバムチャートの32位を記録した。
1989年にBBCの「The Late Show」という番組に出演したことは良くも悪くもバンドの知名度を上げた。というのも、番組に出演し、楽曲を演奏している最中に電源が落ち、演奏がストップさせられたことにイアンが腹を立て、番組スタッフ達に「素人ども!」と罵った。これがバンド初のテレビ出演となった。
この年の後半に両A面のシングル「Fools Gold/What the World Is Waiting For」をリリースし、イギリスのシングルチャートで8位を記録した。「Fools Gold」はポップな曲ではなかったため、当初B面としてリリースされる予定だったが、すぐさまバンドの代表曲となった。この両A面シングルで初めてトップ10に入ることが出来た。
バンドはこの年、イギリスの音楽誌NMEのバンド・オブ・ザ・イヤー、ベスト新人バンド、シングル・オブ・ザ・イヤー(Fools Gold)、アルバム・オブ・ザ・イヤー(デビューアルバム)の賞を総なめにした。クリスはこのアルバムを小綺麗でまとまりすぎている、とあまりよく思っていないようである。
1990年5月にスパイク・アイランドで開かれたストーン・ローゼスの野外ライブは27,000人もの観客を集め、この世代のウッドストックフェスティバルだと評され伝説ととなっている。7月の終わり頃にシングル「One Love」をリリースし、イギリスのシングルチャート4位を記録した。しかしながら売り上げとは裏腹にギャラの支払いの悪い所属レーベルのシルバートーンに不信感をもったバンドはレーベル脱退をしようと思うが、契約上のルールからレーベルはこれを拒否。この問題は裁判沙汰になったが、1991年にようやく契約解除をすることができ、バンドは新たにゲフィン・レコーズと契約をし、セカンドアルバムの制作に着手した。

セカンド・カミングと解散(1992–96)

シルバートーンとの裁判沙汰によって、バンドは地元マンチェスターのクラブシーンから遠ざかり、1993年の中頃にセカンドアルバムを制作し始めるまでヨーロッパを旅して周っていた。イアンとジョンの2人が父親になったこと、バンドに近い関係者が何人か亡くなったことなどが重なり、新作の制作はなかなか進まなかった。時代は彼らが作り出した「マッドチェスター」から「ブリットポップ」と呼ばれるブームに移行しつつあった。
バンドはセカンドアルバム「Second Coming」を1994年12月にリリースした。セカンドアルバムはジョン主導によって制作され、ブルースやヘヴィーロックに影響された音楽性となっている。収録曲「Love Spreads」はイギリスのシングルチャートで2位を獲得した。「Second Coming」の前作とガラリと変わったサウンドは賛否両論であり、音楽ジャーナリストのサイモン・レイノルズはストーンローゼスは前作とは全く別のバンドになってしまった、と述べている。
1995年3月、セカンドアルバムのプロモーション・ツアーの2週間ほど前に、ドラマーのレニがイアンとの軋轢から脱退した。後任のドラマーは加入させ、同時にライブのサポートをするキーボーディストを迎い入れる。1995年8月からはツアーが計画されていたが、ジョンがマウンテンバイク運転中に事故を起こし、骨折してしまったことによって、バンドは同年12月頃までコンサートを次々とキャンセルした。有名なものでは1995年のグラストンベリー・フェスティバルを出演キャンセルしたことである。

1996年4月、バンドの中心人物であったジョンが人間関係と音楽感の溝から脱退を表明した。ツアーギタリストとして、シンプリーレッドのアジズ・イブラヒムが迎えられ、ツアーを続行した。しかしながらジョンの脱退はバンドにとって大変大きく、クオリティが落ち、レディング・フェスティバルに出演した際には、観客からイアンの歌が音痴すぎるということでブーイングを浴びせた。この頃には音楽誌もこぞってバンドを非難し続け、最終的にイアンとマニはバンドを解散することを決めた。

解散後(1997–2010)

イアン、ジョン、マニの3人はストーン・ローゼス解散後も一定の成功を収めた。ジョンは解散前から組んでいたザ・シーホーセスというバンドで活動する傍ら、ソロアルバムを2枚リリースした。2007年のインタビューでは画家としても活動していることを明かしている。イアンは6枚のソロアルバムとベストアルバムをリリースしている。マニは1996年にスコットランドのバンド、プライマル・スクリームにベーシストとして加入した。マニはストーン・ローゼス再結成までプライマル・スクリームの正式メンバーとして在籍した。レニはストーン・ローゼス解散後、1999年にザ・ラブというバンドを結成したが、数回のライブを行ったのみで目立った活動をしなかった。

バンドが再結成する噂は解散から実際に再結成されるまで何度も浮上していた。
バンドのデビューアルバム「The Stone Roses」のリリース20周年記念盤が2009年8月にリリースされた。リマスターは当時のプロデューサーのジョン・レッキーとイアン・ブラウンが担当した。この記念盤には未発表曲「Pearl Bastard」が収録された。

再結成 (2011–2017)

2011年の春頃、マニの母親がなくなり、その葬儀で顔を合わせたイアンとジョンが解散からおよそ15年ぶりに会話を交わした。このことが再結成へのきっかけとなった。
同年10月に解散時のメンバーである、ジョン、イアン、レニ、マニが集まり、記者会見を開いた。その場でストーン・ローゼスの再結成とワールドツアーやニューアルバム制作の計画があることを明かした。翌年6月29日、30日、7月1日に地元マンチェスターにて再結成ライブを行い、3日間で22万人を動員した。同年7月には来日し、フジロック・フェスティバル2012にヘッドライナーとして出演した。

ライブのみでなかなか新曲の発表がなかったが、2016年5月動画サイトYoutubeに新曲「All for One」がアップロードされた。翌月には続いて新曲「Beautiful Thing」がアップロードされた。新曲は1994年リリースのセカンドアルバム以来22年ぶりとなった。

メンバー

Ian Brown(イアン・ブラウン)

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1963年2月生まれのイギリス人ミュージシャンである。バンド、ストーン・ローゼスのリードシンガーとして有名である。
ストーン・ローゼス解散後はソロアルバムを6枚をリリースしており、45カ国でのライブを経験している。
2011年のストーン・ローゼス再結成にも参加しているが、同時にソロキャリアも続けている。
映画「ハリーポッターとアズカバンの囚人」にカメオ出演していることが有名である。

John Squire(ジョン・スクワイア)

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1962年12月イギリス生まれのミュージシャン、ギタリストである。
ストーン・ローゼスのギタリストとして有名であり、同バンド脱退後はザ・シーホーセスというバンドを結成し、アルバムを2枚リリースしている。2007年には一度ミュージシャンとしてリタイアし、画家になることを明言したが、2011年のストーン・ローゼス再結成には参加した。
英バンドのザ・スミスのギタリストであるジョニー・マーからギタープレイやメロディ、音色など相当な影響を受けている

Mani(マニ)

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1962年イギリス生まれのベーシストである。バンド、ストーン・ローゼス及びプライマル・スクリームのメンバーとして有名。
ストーン・ローゼスがデビューした頃には、画家のジャクソン・ポロックがペイントしたギターベースのリッケンバッカー4005を使用していた姿が印象的である。
ストーン・ローゼス解散後にはプライマル・スクリームにベーシストとして参加した。ジーザス・アンド・メリー・チェイン、オアシスに加入することも検討していたという。