KICK THE CAN CREW(キック・ザ・カン・クルー)とは【徹底解説まとめ】

『KICK THE CAN CREW』とは、KREVA、MCU、LITTLE、DJ SHUHOからなる3MC+1DJの日本のラップグループである。マルシェで紅白歌合戦出場を果たし、ヒップホップを全国的に広めた。1996年に結成し、2004年人気絶頂の中活動休止。その後はそれぞれソロ活動し、MCUとLITTLEはULというユニットを結成し活動をしている。

『KICK THE CAN CREW』の概要

KREVA、MCU、LITTLE、DJ SHUHOからなる3MC+1DJの、日本のラップグループである。
1996年に結成し、コンピレーションアルバムで初共演した曲「カンケリ」にちなんで、KICK THE CAN CREW(缶を蹴る奴ら)と名付けた。
通称はキック、雑誌などでは、イニシャルをとって「KTCC」と表記されることもある。

RHYMESTER等が在籍するヒップホップコミュニティの、「FUNKY GRAMMAR UNIT」や「神輿ロッカーズ」の一員でもある。
「キャラ立ち三本マイク」を愛称に、ヒップホップを全国的に広めた。
2001年に「スーパーオリジナル」でメジャーデビュー、2004年に活動を休止するも2014年に活動再開した。

KICK THE CAN CREWのメンバー

KREVA

本名は畠山貴志(はたけやまたかし)、江戸川区出身の1976年6月18日生まれである。
血液型はO型、身長は177cmありKICK THE CAN CREWの大中小の「大」を担当。

慶應義塾大学に進学し、同級生ラッパーのCUEZEROと、共にBY PHAR THE DOPESTを結成。
アンダーグラウンドで活動を開始、1998年頃まで活躍していた。

1997年KICK THE CAN CREWの活動をスタートさせる。
MCバトル「B-BOYPARK」にて1999年から、2001年に当時前人未到の3連覇を成し遂げる実力派である。
KICK THE CAN CREWの全ての楽曲のトラック制作に携わっており、LITTLE、MCUによるユニット「UL」の1stアルバムのプロデュースもしている。

LITTLE

本名は小島健司(こじまけんじ)、AB型で東京都八王子市出身の1976年5月7日生まれ。
レゲエからヒップホップの道へ進んだ当時では異色の経歴の持ち主。

MCネームの由来となる身長は156センチと3人の中で最小ながら、KICK THE CAN CREWのリーダーを務める。
それだけでなくDJ TATSUTA、KICK THE CAN CREW、CHANNEL、DJ SHUHOからなるカセットビジョンのリーダーでもある。

KICK THE CAN CREWの活動休止後はソロ活動を行い、2015年にMCUとULを結成する。
またラッパーとしては珍しく、リリー・フランキー原作のアニメ「おでんくん」で、「ニセおでんくん」役で声優もしていた。

175RのボーカルSHOGOと交流があり、度々共演曲を発表している。
またヒップホップグループZINGIのFAMILYだった経歴もあり、童子-Tを兄貴のように慕っている。

MCU

本名は小泉雄志(こいずみゆうし)雄志くんの愛称で親しまれる、東京都豊島区巣鴨出身で1973年8月1日生まれ。
MCを目指したのはRUN D.M.C.の「WALK THIS WAY」がきっかけである。

RADICAL FREAKS、東京U家族での活動を歴て1997年KICK THE CAN CREWとしてメジャーデビュー。
元々はロックが大好きでありTHE BOOMとFLYING KIDSの大ファンとしても有名である。
THE BOOMの宮沢和史、FLYING KIDSの浜崎貴司をコラボした楽曲も発表している。
ゲーム好きとしても有名であり、雑誌「EYESCREAME」でゲーム紹介記事などの連載をしている。

映画にも俳優として度々出演しており、「20世紀少年 最終章 ぼくらの旗」や「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」などの出演歴がある。
また料理も得意で雑誌「オレンジページ」で取り上げられたこともある。

DJ SHUHO

本名は古橋秀鷹(ふるはし しゅうほう)、 東京都昭島市出身で1976年10月8日生まれ。
遅刻が多いという理由からサポートメンバーという扱いになっている。
曲中で度々でてくる、3MC1DJのときの1DJはDJ SHUHOのことである。
また嵐主演の映画「ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY」への、サウンドプロデュースやサウンドトラック制作の担当をしていた。

活動履歴

1996年~

1996年12月発売のコンピレーションアルバム内の楽曲「カンケリ」で初共演をきっかけに結成。

1997年シングル「タカオニ」でインディーズデビューを果たす。
当時BY PHAR THE DOPESTのKREVA、RADICAL FREAKSのMCU、DJ SHUHOと活動をしていたLITTLEのグループの結成は話題となった。

1999年、KREVAがラップバトル大会「B-BOYPARK」にて初優勝を果たす。

2000年~

2000年、代々木で毎年行われているヒップホップイベント「B-BOYPARK」のテーマソングを担当する。

2001年5月23日にシングル「スーパーオリジナル」でメジャーデビューを果たす。
同年KREVAは「B-BOYPARK」のラップバトルで史上初の3連覇を達成した。
また大晦日の紅白歌合戦に、初出場しマルシェを披露する。ラッパーとして2組目の出場である。

2002年1月に発売した「マルシェ」が岡村隆史主演の映画「無問題2」のテーマソングに起用され大ヒットを記録する。
また同曲でラッパーとしてはEAST ENDに続く2組目の紅白歌合戦に出場した。
同年2月14日のバレンタインにはメジャー初アルバム「VITALIZER」をリリース。

2003年8月からは5ヶ月連続でシングルを発売し、台湾親善大使に任命され、台湾でのライヴ敢行を積極的に行っていた。
またヒップホップ界世界最高峰の賞「The Source Awards」に日本人初のノミネートした。

2004年人気絶長の中、活動休止。その後はそれぞれソロ活動し、MCUとLITTLEはULというユニットを結成し活動をしている。

2005年~

2008年8月3日に毎年8月に茨城県ひたちなか市で開催される、日本の野外ロック・フェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008」で、KREVAが「LITTLEとMCUを呼び、活動休止後初めて3人で「イツナロウバ」「アンバランス」の2曲を披露した。

2011年8月28日に放送の日本テレビ系音楽番組「MUSIC LOVERS」にて、KREVAがゲストとしてLITTLEとMCUを招き、「挑めRemix」を披露する、実に約8年ぶりのテレビ共演となった。
同年、MCUとLITTLEによるユニット「UL」を結成する。

2014年3月5日に、KREVAプロデュースによるULのデビューアルバム「ULTRAPS」をリリースする。
同年8月2日には約11年ぶりにKICK THE CAN CREW名義で「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014」出演し、復活を果たす。

KICK THE CAN CREWのエピソード・逸話

K DUB SHINEとの関係

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